男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2017年10月

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・水師営会見所


■2017年9月17日(日) 旅順へ

朝食はホテルのバイキングで。みんなよく食べる(ような)ので、負けてはいられない。
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個人で旅順へ行けないこともないが、公共交通機関を使って廻るのは非効率すぎる。しかも日本人スパイとあらぬ嫌疑をかけられるなど、リスクが高い。よって現地ツアーを事前に申し込んでおいた。

・旅順一日観光コース
 http://www.dlachikochi.com/view.php?id=1015

9時、ホテルのロビーで日本語ガイドのTさんと落ち合う。ドライバーのCさんは日本語も英語もダメのようだ。
想像通り、ツアー代金の先払いを求めてきたが、きっぱりと断った。
快晴の中、旅順へ出発。先にコーヒー代50元×2を渡しておいた。この辺りのチップは重要だ。

車中で旅順の蘊蓄を聞かせてもらった。
・旅順の人口は26万人。
・終戦時の日本人人口は10万人
・冬の気温は-8℃、夏は14℃。
・高新区(工業団地)には日系合弁企業も多い。パナソニック、富士電機等
・自家用車の急増に伴い、12系統あったトラム=路面電車は2系統に激減した。
・9月、10月の大安の日曜は結婚式が多い
  これは、中山広場で何組もの結婚式を挙げたと思われるカップル(ウェディングドレス姿)を見かけたため。納得。
・10月1日から1週間は国慶節であり、国内旅行、国際旅行に向け中国人旅行客の大移動が始まる。
・4月下旬より桜、5月末ごろよりアカシア、6月はさくらんぼが花開く。
・地元のビールはガグンビールだ。
・大連~旅順間の鉄道は通勤用に運行されていたが、廃止となった。

10時5分、東鳩冠山へ到着。

■東鳩冠山北堡塁

1900年より設営されたロシア軍トーチカ要塞。ここを落とさないと、旅順港のロシア海軍を攻撃できないということで、数万人の死傷者を出した日露戦争の激戦地。
この地域を天から見ると鳩の形をしているので、東鳩冠山と称するそうな。
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「旅順口区国防教育基地」って、日本のことを悪しざまに書いた展示室のことだった。
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日清戦争は日本軍の侵略、日露戦争は日本軍による北朝鮮・中国への侵略らしい。初めて知りましたぞ。
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盧溝橋事件のことは「九一八事変」と呼ぶらしい。
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終戦は、中国軍の圧倒的勝利?
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で、たっぷり洗脳教育された後で、ロシア軍トーチカを巡ることになる。
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この後もそうだが、日本統治・日露戦争の跡がことごとく「中国々民高揚」「日本落とし」に利用されているのを知ると、憤慨やるかたないな。

■旅順日露刑務所跡

ロシアが設営し、日本が運営を引き継いだ政治犯の刑務所。
ここは完全に中国人・朝鮮人向けの観光施設。説明文も英中韓のみ。
特別展は「日本軍を叩きのめした八路軍」だし、日本人の行く所ではなかった。
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こんなところにまで共産党のスローガンが。
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伊藤博文を殺害した朝鮮人テロリスト、安某が英雄として立派に祀られていた。
ガイド氏に「安某を知っているか?」と問われ「テロリスト」だと答えると、複雑な表情をしていたな。
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内部はモロに刑務所。
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処刑場。テロリスト、安某もここで生涯を終えた。
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日露戦争にまつわる品々も展示されていた。蒸気自動車なんて珍しいな。
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水雷ってこんなかたちだったんだな。
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乃木希典将軍の碑銘がこんなところに。
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■旅順田舎料理

水師営会見所のすぐ前にある食堂で昼食を摂ることに。

なんて呼ぶのか忘れたが、野菜と味噌をとうもろこしの生地で包んでたべるアレは美味でした。
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■水師営会見所

12時30分頃より、水師営会見所に入場。ここは専任のガイドが担当するようで、若くてきれいな女性だったのが嬉しかった。
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なんと、日本統治時代の満鉄グッズが無造作に置かれ、すべて販売されているとな?
からくり時計は80万円……。
満鉄一般社員に配布された懐中時計と、満鉄幹部に渡されたガラス製のルビーの置時計、それに切子グラスを、値切って、値切って、1,800元(3万円)で購入した。
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なんで販売しているのか? 中国人は支配者であった満鉄のグッズに興味がないとのことで、もっぱら日本人観光客に買ってもらっているとのこと。

本当は会見場の撮影は禁止されているが、満鉄グッズを買ったということで特別に撮影させてもらった。奥に乃木希典将軍が座ったそうな。
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12時55分にここを出る。


■二〇三高地 日露戦争最大の激戦地、そして慰霊の地

13時に到着。
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山頂までは歩くこと15分。以前はバスが運行されていたが廃止されたらしい。タクシーも入れない。年配の方々にはキツイだろうな。
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東鳩冠山からの砲撃では効果がなく、より旅順港に近いこの地から艦隊に向けて砲撃するため、占領の必要に迫られた。
ガイド氏によると、ここを含めて日露戦争の死者は日本軍4万人、ロシア軍6.6万人に上るそうな。南無。

爾霊山(にれいさん)記念碑
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何々? 日本軍国主義による対外侵略の罪の証拠と恥の柱となった?
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ここは戦死した日露の兵士の慰霊のための地だ。軍国主義的共産主義国家が勝手なことを書いてくれるな!
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なるほど、旅順港が良く見渡せる。艦隊にとっては急所だな。
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乃木将軍の息子の慰霊碑もあった。こんな山中で戦死したのか。
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13時45分に再出発。これから旅順旧市街へ向かう。

旅の途中ですが、続きます。

いまは失われてしまった大連の日本文化、その跡を見てみたい。また「坂の上の雲」の時代、先祖が勝ち取ったものをこの目で確認しておきたい。
初秋の三連休を利用して行ってきた。

旅のテーマは次の二つだ。
■大連の日本統治時代の姿を垣間見る
■旅順の戦跡をみて、昔日を想う

【参考データ】
往路便
 2017年9月16日(土) 関西国際空港10時10分発NH945便、大連行き
復路便
 2017年9月18日(月) 大連周水子国際空港14時15分発NH946便、関西国際空港行き

香港宿泊先:InterContinental Dalian(大連中遠海運洲際酒店:2泊)


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・風格あるヤマトホテルは素晴らしい!


■2017年9月16日(土) 大連行

台風18号の迫る朝7時10分、JR三ノ宮駅より関西国際空港行きバスに乗車。
三連休だけあってほぼ満席だ。

8時10分に空港へ到着。セルフチェックイン機は便利だが、これからはオンラインチェックインでも良いかも。
Wi-Fiモバイルルータの受け取りカウンターはすごい行列。割り込もうとするオバサンもいて、この世界の哀しみを思ったりした。
15分後に無事受領。実は初めてレンタルするのだが、中国旅行にはVPNルータは必須だ。

海外旅行保険はいつもの3千万円・5800円プランに加入。高いけど仕方がない。

85,305円を4,700元へ両替。今回は現金決済が多そうだし、余ったら11月の北京旅行に回せばよい。
丸善で立ち読みして文庫本を買ったら、時間が無くなってしまった。

9時38分に出国、のどあめとドラ焼き購入。
まぁ、ゲート103はすぐそこだし。バスで機体へ向かうが、10分も乗車するとは思わなかった。

雨足が強くなってきた。まぁ、台風はまだ九州だし、国際線には影響ないはずだが。

10時7分にボーディング。B7373-700は満席だし、狭い。
10時27分に離陸。今回は通路側の座席にした。
11時05分に昼食が配膳される。シーフードオムライス+白ワインはまぁまぁ。
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なんだ? 良く揺れるぞ。やはり台風の影響なんだろうな。

2時間のフライトを経て11時37分に大連周水子国際空港へ到着した。日本との時差は1時間だ。
前回の香港と違って入国審査は実にスムーズ。最速の11時50分に入国できた。
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市街中心部までは地下鉄を利用する。代金4元は良いのだが、自販機6台のうち使えるのは2台だけ? 中国らしいや。
空港のようなX線検査機に荷物を通すが、係員はおしゃべりに夢中。
11時58分に発車。
・驚いたことに、発車時の車内アナウンスに日本語が含まれている。
・若者から中年まで、スマホ、携帯ゲーム機に夢中だ。年配に席を譲る気配もなし。この光景、日本以上にひどいかも。
・座席はプラスチックだけでクッションなし。"硬座"とはよく言ったものだ。

12時29分、友好広場へ到着。
エスカレータには左右びっしりと立つのか。どちらかを空けるってことはしないんだな。

12時35分に地上へ出る。インターコンチネンタル・ホテルは目の前だ。
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少し早いが12時50分にチェックイン。19階からの景色は、う~ん、いま一つだ。
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VPNルータの設定をして……おお、西側世界の味方、Googleにつながった。これで一安心。
関西空港で買ったドラ焼きを食べて、さぁ、お散歩開始!


■中山広場を見て、歩く。

14時にホテルを出て中山路を東へ歩くこと10分、大連を代表する観光名所、中山広場に到着した。
銀行、旧大連警察署を通り過ごし、ロータリーを歩むと、おお、見えて来た。

大連賓館、満鉄直営の旧大連ヤマトホテルだ。
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中山広場を挟んで正対するは近代的な中国銀行大連分行、旧横浜正金銀行か。
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そのままロータリーに沿って反時計回りに歩く。

中国工商銀行、旧大連市役所。
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交通銀行、旧東洋拓殖大連支店
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中山広場を半周したところで、地下通路に潜り、中山広場の中心部へ渡ってみた。
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中山広場の中央にはこんなプレートが。
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共産党のスローガン。実態とのかい離に苦笑せざるをえないが、後で大連の至るところに掲げられていると知り、社会主義国家≒全体主義国家の怖さを垣間見る気分となる。
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横断歩道はあって無きが如く。歩行者より自動車の優先される社会のこと。自動車の切れ目を狙って集団で渡るしかない。

郵政局、旧関東通信局
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旧関東銀行が右側に見える
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■旧大連ヤマトホテル

中山広場を一周し、旧ヤマトホテルに戻ってきた。
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うん、美しい。
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細部まで美しい。
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ガイドブックやWEBによると、旧大連ヤマトホテルの内部を有料で見学させてくれるらしいが……。
閑散としたロビーの端にあるホテルのフロントに訊くと「10分から15分待て」とのこと。

しかたがない、待とう。
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大理石の床とシャデリアが見事だ。
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待つこと20分、フロントに尋ねると「ああ」と思い出し、ロビーにたむろしていた係員を呼ぶ。
「今日は団体が多くて忙しい」「本当は予約が必要」と拙い日本語の20代の女性の先導で、ひとりツアーが始まった。代金50元。

見学のメインとなるのは迎賓室。ここはいまでも大連市等の会議室として使われているらしく、かつては日本の首相も中国共産党政府首脳と会談したらしい。シャンデリアは本物の水晶、柱には金箔が塗布され、豪華絢爛。
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見学のもう一つのメインと言えるのが館蔵陳列室(資料室)だ。写真撮影は不可。地図や写真、ヤマトホテル運営時の食器などが展示されていたが、想像よりもショボかった。
旧満鉄時代の切子グラスが展示・5千円で販売されていた。高いが、買っておけばよかったと後悔している。

溥儀氏が満洲国皇帝に就任する前に宿泊した部屋が、当時のまま残されている(写真撮影禁止)。意外と狭い。天井の木組みなどは、なんでも奈良ホテルをモデルに設計された部屋らしく、現存するはこの部屋だけらしい。

15時15分~30分までの15分でツアーは終了。まぁこんなものか。


■旧満鉄調査部

中山広場より南東方面、魯迅路を延々と歩く。地球の歩き方によると世紀街に面して旧満鉄調査部があるはずだが……。
もしかして、この専門学校らしき建物がそうなのか?
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もったいないなぁ。

ところで、世紀街は路面電車201路の通りであり、ひっきりなしに新旧のトラムが走っていた。
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ここ大連で気付いたことのひとつに、「完全電動」と書かれたEVバスと電動バイクの多いことだ。香港では見かけなかったから、この地区特有のものだろうか。

■旧満鉄本部

旧満鉄調査部のまさに近傍に、その建物は廃墟となって残されていた。
旧満州鉄道本部だ。事前連絡すれば内部を見学できるようだが、今回は時間がないな。
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■旧横浜正金銀行

中山広場に戻って、ふたたびロータリーを巡る。旧横浜正金銀行も美麗な建築物だ。
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ところで、どこを探しても「雑誌」がない。日本のコンビニと違うのは、雑誌の類が置かれていないことだ。香港ではそんなことなかったのに。
同康街にある新華書店に入ったが、バッグを預けないといけないのには驚いた。ここにも「雑誌」はなかった。
探し方が悪かったのかな?

さて、次へ向かおうか。

■旧ロシア人街

友好広場から北上すると、旧日本橋郵便局が見えてくる。アール・デコの良い雰囲気だ。
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旧日本橋、勝手に名付けられた勝利橋を超えると、旧ロシア人街だ。ここは半ばテーマパーク、半ば土産物売り場。ロシア人の姿は見かけず、完全に中国人にとっての観光地になっている。
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旧東新鉄道汽船の本社ビル。このレプリカが下関に存在する。
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観光地にも共産党のスローガンが満載。たまらないな。
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近隣の日本人街を探すも、少し「それらしき建物」が残っているだけで、廃れてしまったようだ。
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上海路を南下し、ふたたび中山広場へ向かう。途中のローソンで水を2.5元で買う。ここにも雑誌は置かれていない。市の方針なんだろうな。

中山広場のライトアップはなかなかのものだ。
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17時50分、ホテルへ戻る。足が棒のようだ。

この地のインフラはひどい。街のシンボルである中山広場にしたって、8基あるエスカレータのうち、きちんと稼働しているのは2基だけ。あとは長期間放置されているようで、さび付いていた。最初から階段にしておけば良いのに。
駅の券売機も2台しか稼働していないし、歩道もガタガタだ。
愚痴を言っても始まらないか。途上国だし。

夕食はホテル3階の中華レストラン「"魚包"魚王子」で。食べ過ぎ(4品)、飲みすぎ(ビール1L)で400元チップ込みだ。
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それにしても、街中に共産党のスローガンが目についた。バナー、銀行のLED表示、建築物のポスター、等々。ベトナムも似たような感じだったが、より大規模にしたようだ。

明日は旅順だ。早めに就寝(と言っても24時)。

続きます。

アメリカ東海岸を極西、東アジアを極東とする平面の「世界」から、丸い「地球」へ。本書は、人々の世界観が実質的に変化した19世紀の半ばに焦点を当て、グローバリズムの軌跡とコミュニケーションの変容のプロセスを、鉄道、蒸気船、電信に着目して描写する。

・イギリスによるインド航路・東アジア航路の開設(p80)、アメリカによる大陸横断鉄道+太平洋航路の開発と、これに対抗するカナダ=イギリスの構図(p184)が面白い。結局は英米によって地球の丸さが現実のものとされたことになる。それにしても、イギリスのカリフォルニア領有、あるいはアメリカによるカナダの併合が実現していたら、いまごろの世界はどうなってただろうか。興味深い。

・長崎の石炭がここまで重宝されたとは知らなかった。

・1860年代のアメリカ人コフィン氏の西回りの世界一周の旅は興味深い。瀬戸内海の絶景はこのころから世界的な観光名所になっていたんだな(p134)。

グローバル化において、世界の共通のシステムと異質の文化が、とり少ないコンフリクトで折り合える調和点を模索する必要性(p213)は、その通り。
それにしても『米欧回覧実記』の事実上の著者、久米邦武のリアリストぶりには舌を巻く。世界的な変遷期、すなわち「地球の縮小化」(p17)の余波の中で生じたのが幕末・明治維新期の日本史であることが明確となり、興味深く書を閉じることができた。

世界一周の誕生 グローバリズムの起源
著者:園田英弘、文藝春秋・2003年7月発行
2017年9月30日読了

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