男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2018年12月

19世紀後半、開国したニッポンからもたらされた美術工芸品の数々。それらは芸術家に衝撃を与えただけでなく、一般家庭でも装飾品、愛好品として広く受け入れられた。
ジャポニスムの西洋での社会的な広がりと、現代にもたらされた「遺産」。本書では、"日本ブーム"の全体像をとらえたうえで、この2点を軸にジャポニスムが論じられる。

・japonismeの用語としての使われかたに注意が向けられる。単に"印象派たちの作品に顕われる日本美術の影響"ではなく、19世紀後半の人々の意識=主体、作品、ムーブメントなど、広い意味で使われていたことがわかる(p22)。その端緒が、フランスの新聞の定点観測を行った著者によると、アヘン戦争=1840年頃から見え始めていたという(p35)。

・モネやゴッホといった芸術の頂ではなく、裾野=広く一般市民に見えていた"日本"とはどのようなものだったか(p16)。ペリーによる日本強制上陸・条約締結の動きが、フランスの新聞で詳細に報じられ(p45)、この頃から「中国帝国」と「日本帝國」の差が明確に意識され始めたらしく、扇子や団扇が大々的に輸入された。一般市民の急激に湧き上がる日本への好奇心と驚きが、そのバックグラウンドにあったという(p50)。

・レオン・ド・ロニー、この驚異的な人物。日本語を「独学」で習得し、若干19歳にて日本語入門書を出版したという天才だ。彼は幕末の遣欧使節団の通訳にフランス政府から指名されるのだが、福沢諭吉、寺島宗則との邂逅を考えると興奮せざるをえない。そして図画入りの日本詩歌集を出版し、戯曲を書き、東洋語学校で教授に就任し……日本を一度も訪れることのなかったのが心残りだったろうに。

・ジャポニスムをパリに広げた林忠正、アール・ヌーヴォーの立役者であるジークフリート・ビングの活躍も取り上げられる。なるほど、ビングの開催した1890年の浮世絵展がロートレックを刺激して、かの作品群を生み出させたのか(p81)。

・モネの『ラ・ジャポネーズ』を特徴づける要素の一つが団扇と扇子だが、1890年一年間だけでも実に200万本ものフランス向け輸出が行われていたというから驚きだ(p105)。これらが「団扇散らし」という室内装飾にとどまらず、西欧の美術品の展示方法まで変えてしまったという(p112)。これもジャポニスムのひとつか。

・本書後半では、印象派・モダンアートに日本美術の与えた影響が、色彩・空間・線の観点から考察される。「ジャポニスムは、西洋において非イデオロギー的な生活空間を実現させたとともに、個人主義的な空間表現をもたらしたのだ」(p200)。遠近法空間からの解放、特にマネの作品に与えたジャポニスムの影響は大きかったんだとわかる(p174~)。ドガの踊り子の作品を日本文化と対比し、「都市における、危うい存在としての『個人』が照射される」(p182)のも興味深い。15世紀に中国を経由してもたらされた西欧の遠近法が日本画に影響を及ぼし、独自の味付け・加工が施され、それが19世紀の西欧に還流して(p194)「パースペクティブ革命」が起こったのだから、歴史というものは面白い。

・美術工芸の分野では、アール・ヌーヴォーの流行・衰退とともにジャポニスムの影響は終焉を迎える。代わって詩歌・文芸、音楽、建築の分野でジャポニスムの影響が現われるのも興味深い(p250)。そして柔らかな「幻想の日本」の表層から「サムライ」軍国主義の姿が顕われだすと、日本礼賛は黄禍論にとって代わられることとなる……。そして現代の「カワイイ」ネオ・ジャポニスム現象に至る(p261)。さて、これが触媒となって何かが生まれるか、一時的なブームに終わるのか……。

著者は随所において、西洋は近代以降、様々な非西洋文化を貪欲に呑み込み、(西洋臭を拭い去った)普遍的・国際的な文化を生み、世界中に波及させたと述べる(p7,24,143,258)。確かに、感覚的に納得できる。

それにしても『ラ・ジャポネーズ』の赤の破壊力ときたら! 僕は京都で修復直後の現物と対峙したが(2014年秋、華麗なるジャポニスム展)、そのサイズ(232×142センチ)といい、強烈な色彩といい、カミーユ・モネの美しさと構図と相まって、それは素晴らしい感動を味わえた。本書でジャポニスムに興味を持たれた方は、ぜひ、ボストン美術館へ足を運ぶことをお奨めする。

ジャポニスム 流行としての日本
著者:宮崎克己、講談社・2018年12月発行
2018年12月30日読了
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1920年代の世界的なモダニズムと21世紀初頭のグローバルなネット革命の拡がり、そして関東大震災と東日本大震災。これらが合わせ鏡となって社会の変貌を誘発する可能性と時代の課題を突き詰めると、現代社会のひな形が集中して生まれた大正という時代がクローズアップされてくる。
本書は、多彩で、同時に反撥もしあう諸「可能性」が散乱し、游動する空間(p262)=歴史の踊り場としての大正時代を、大衆文化、消費社会、百科事典・新語辞典、前衛芸術・エンターテインメント、地域コミュニティ、サラリーマン・職業婦人、校歌・替え歌、政治参画などの観点から俯瞰し、「日本の可能性」を考える試みとなっている。

・関東大震災をどうとらえるか。震災を機に「改造」が一大ブームとなり、人々の言動にあらわれたが、それだけではない地殻変動、たとえば明治以来の社会秩序の変化、コンクリート建築など都市風景の変貌、それが人心に与える影響こそ、震災のもたらしたものである。翻って東日本大震災では帰宅困難者の問題が大きく報道されたが、その根本には生活基盤の大きな変化があげられる。グローバルな市場の論理に翻弄され、もはや制御不能となった生活基盤(p28)。日常の生活範囲を縮小することの是非が問われる。そして関東大震災でも東日本大震災でも、根拠のない風説・デマが「可能である」、ただそれだけの理由で拡散したことは銘記して忘れないことが重要だ(p79)。

・個人的には「サラリーマン・職業婦人・専業主婦の登場」の章に興味を引かれた。安月給取りの洋服細民、腰弁から1928年出版の「サラリーマン物語」に示される「洋服と月給と生活とが、常に走馬灯のように循環的因果関係をなして…中産階級とかいう大きなスコープの中に放り込まれている集団」(p139)として定着する様子が、僕自身の姿を含めて哀しくも面白い。あと、割烹着もこのころに定着したんだな(p151)。翻って現代のインターネット社会では、労働と娯楽と睡眠と家事の時間配分とその組み合わせ方(p159)を考える時期がきているのかもしれない。

・15編からなる小コラム「踊り場の光景」「時代を読む視点」が大正時代の姿を目前に蘇らせてくれる。「大正期特有の西欧への憧れと和の文化との融合」(p239)、モダン・ガール、丸の内美容院、宝塚歌劇団、資生堂、感性の面での脱国籍化(p125)、自由とリベラル(p249)。なるほど、現代社会の起点は確かにここにあるし、失われた可能性を考えることは実に興味深い。

諸「可能性」が交錯するあそびの間=「歴史の踊り場」であり、現代の関心をも超える諸「可能性」の連結(p264)とある。タイトルに魅かれて購入したが、過去の「可能性」を識ることは、現代と未来への考察に直結することを教えられた一冊であった。

大正=歴史の踊り場とは何か 現代の起点を探る
編著者:鷲田清一、講談社・2018年5月発行
2018年12月28日読了
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「魔都・上海」の名付け親にして1923年の紀行文を遺した村松梢風を筆頭に、吉行エイスケ、芥川龍之介、横光利一、田中貢太郎、内山完造、直樹三十五、開高健ら15人の筆による上海の魅力、いや、魔力を描き出した紀行文と小説のアンソロジーだ。
・吉行エイスケ『上海・百パーセント猟奇』はモダンガールの生態を描く。1920年代の上海の躍動が直に伝わってくるような文体と相まって、優れた都市文学だ。阿片とコカインとコニャック。ジャズの音楽の中で優雅な腰を振って踊っている。「肉の香りのために気が狂いそう」な清朝時代の伝統と、二十世紀の極北の両翼を彷徨う女(p54)。いいなぁ。
・世界各国の文明の影がぐるぐると舞っている港町(p73)。世界のいずれにも属さない特異な都市。田中貢太郎『上海瞥見記』の、私娼の群れにつかまってボッタクられる男の様子が面白い。
・日貨排斥、日本人への攻撃が極限にまで高まった五・三〇運動、そして上海事変。『松井翆声の上海案内』、直木三十五生『日本の戦慄』からは生々しい排撃と市街戦の様相がリアルに伝わってくる。一方で中国人の側に立った鹿地亘『上海戦役のなか』からは、日本帝国主義のあからさまな中国侵略の姿がみえてくる。「ようするに腕まくりの『帝国』おし入ってきて、のさばりかえり~戦争はいつでもここが火元だった」(p261)
・毛沢東の大罪「文化大革命」、四人組の中国。開高健と有吉佐和子の紀行文は、中国近代史のの暗部を抉り出す。

極端なる自由(村松梢風、p359)。帝国主義の繁栄と流浪びとの移入がもたらした、世界に類をみないコスモポリタン都市、上海。複数の視点と時代からその姿を探る本書の試みにより、世界中に分散したボーダーレス多国籍都市のあるべき未来の姿まで垣間見えるような気がした。

上海コレクション
平野純(編)、筑摩書房・1991年10月発行
2018年12月18日読了
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満洲国国務院および軍政部発行の国内外向けのカラフルなポスター、JTB等の発行した満洲旅行のパンフレット、満洲グラフ、果ては切手やレコードレーベルまで、およそ新興国家の心象イメージを高めるための媒体が蝟集され、A4フルカラーで迫力あるビジュアルを楽しめる。また、その背景にあるものの詳細な解説に唸らされる。

・新興国家だけあって派手なプロパガンダが必要だ(p3)。ポスター群は構図も色彩も旧ソビエト連邦のそれに似ていることが興味深い。
・神戸から下関、釜山を経由して客船で大連・旅順へ。そこから奉天、新京、哈爾浜へ鉄路の旅に出て、豊饒かつ歴史的な満州を観光してまわる。当時の旅客にとって実に魅力的な観光コースだったろう。JTBや満鉄の旅行パンフレットからそのことが窺える(p10~17)。
・建国十周年式典に招待された、兵庫県立明石中学校長(現・明石高校ね!)の宿泊した新京の「国都ホテル」の建物が現在も使用されているとは(p35)。見に行きたいな。
・指導者としての日本と、オリエンタリズムの対象としての満洲国(p124)。どの宣伝媒体にもこの帝国意識が通底していることがわかる。

どのビジュアルも明るく華やかだが、その背後にある現実、領土を収奪した支那、その背後にいる英米仏の姿と自らの先行きを直視するには、やはり厳しいものがあったのだろう。満洲の「真の姿」「王道楽土」「五族協和」ぶりを積極的に発信してゆくこと。それは大日本帝国にとっても、傀儡国家である満洲国を世界に示す重要な情報戦であった(p34)。これが現実だったんだな。

当時の日本臣民、満州臣民ならびに全世界に発信された「満洲国」のイメージを体感できた気がする。欲を言えば、当時の音源をCD化して付録にしてほしかった。

満洲帝国ビジュアル大全
辻田真佐憲(監修)、洋泉社・2017年3月発行
2018年12月15日読了
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先進的な売れっ子作家の母を持つミッションスクールの女学生、花村茜14歳の青春にちょっとした変化が生まれる物語。三つ編みに断髪に、裁縫に、"お姉さま"。"少女の友"に、高畠華宵に、フランス出身の尼僧、"僕っ娘"な夏我目潮の軍人の"兄"との邂逅……。和洋折衷文化が花開く「昭和6年」と「マツオヒロミ」の表紙画に反応して店頭で買ってしまったが、序盤の内容は期待をグンと高めてくれる。
・ふとした事件から探偵団が結成される第一話「少女探偵ごきげんよう」は導入編。第二話「ドツペンゲンゲルスタイルブツク」から物語は大きく動き出す。「なんとかするのはわたしでしょう!」(p97)と、放蕩者の父を持つ茜の労苦。そして中原純一を思わせる挿絵画家に対しての探偵団の面々のセリフは「誰だそいつは」「名前だけは認知しているわ」(p99)。いやぁ、おもしろいぞ。そして父親を巻き込んだハートフル・ストーリーも良い。ラストの「チェホフ」(p150)には笑わせてもらいました。
・もう一人の団員、よく喋り「茶菓子をもりもりと食べ、お茶をずずっと」すする(p182)社長令嬢の工学系女子、丸川環。その友人の子爵家長女の登場する第三話と第四話「満月を撃ち落とした男」前後編はミステリー風味がぐっと増す(まぁ答えは見えているんだけど)。精神病院での一大活劇。『臨機応変』とは無鉄砲(p213)。良いなぁ。……第四話のラストは一気に盛り上がり、実に読み応えがあった。そして、暖かい。満月の「金色の光」(p275)に包まれる二人の件が実に良い。

キャラもストーリーも立っている。戦前昭和の良き時代、1931年の女学校の華やかさが実に良く醸し出されていた。昭和恐慌の話も盛り込まれている。
潮嬢の"兄"の正体は、後半まで伏せておいて欲しかった気もするが、それは良しとするか。
続編にも期待です!

昭和少女探偵團
著者:彩藤アザミ、新潮社・2018年12月発行
2018年12月12日読了
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昭和少女探偵團 (新潮文庫)
彩藤 アザミ
新潮社
2018-11-28

■富山城
2018年12月9日(日)7時25分起床
おおっ、外は雪が降っている。
朝食(コンビニパン……)の後、早々にチェックアウトして富山城址公園を歩く。まっさらな雪の上に足跡を残す気持ちよさは格別だ。烏の多いのにはまいったが。
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■「ジブリの大博覧会 ナウシカからマーニーまで」展
富山市ガラス美術館は、富山城と並んでこの地のランドマーク的存在に見える。
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ここは今回の旅の目的のひとつ、「ジブリ大博覧会」会場でもある。時刻は9時、チケット販売まで30分ある。並ぶのは面倒なので、ここは係員の奨めに従い、ネットで電子チケットを購入することにした。便利だ。
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ガラス美術館の3階へ。ラピュタの前史を描くイメージボードが展示されていた。
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9時20分になると、会場前の入場者の列がすごいことになった。人気の高さが窺えるというもの。
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9時30分に開場。内部はポルコ・ロッソをイメージしたジブリ・バー、原画を交えたポスター群、宣伝媒体、ジブリの空飛ぶ機械たち、タイガーモス号の模型、ねこバス、等々。
幻燈籠も良かった。
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個人的には、森ビル社員の方による、飛行・建築に関する技術解説ボードが実に興味深い内容だった。これを小冊子にして販売するべきだろうに。

う~ん、満喫。お土産も買ってしまった。10時55分に会場を後にする。
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■「堀田善衛 世界の水平線を見つめて」展
11時35分、高志の国文学館に到着。書籍『堀田善衛を読む 世界を知り抜くための羅針盤』を読んでたまたま知ったのだが、ここもジブリと関係する「堀田善衛 世界の水平線を見つめて」展が開催されているのだ。
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堀田善衛の生まれから晩年までと、作品とその思想が紹介される。実に興味深い内容だった。
世界を歩いて、見て、知る。歴史の重層性を知識のみならず体感として知る。その上で考える、か。
ポストカードをもらえて少し嬉しい。
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■富山グルメその2
昼食は富山駅構内の「白えび亭」にて「富山スペシャル丼」を試す。白えび、ぶり、ホタルイカの天ぷらは実に美味!
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雨が小降りになって良かった。

■富山県富岩運河環水公園
ここも富山のランドマーク的存在となっている。夏は楽しめそうだ。
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一度、公園内のスターバックスに入ってみたかったのだ。屋外シートは僕以外、全員が外国人だったりする。
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■富山市役所・展望台
ここは無料だし、期待していたのだが……濃霧のせいで立山連峰がまったく見えない。ガックシ。
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■神戸へ戻ります。
お土産に白えびせんべいを購入し、再びの「白えび亭」で、きときとセットを注文。
白えびの天ぷらはビールに実に合う。
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北陸新幹線は停電発生のため、ダイヤが大乱れらしい。
それでも「つるぎ719号」は予定少し遅れの15時17分に発車、無事に金沢まで僕を届けてくれた。
グリーン車は実に快適だった。
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金沢駅で弁当を購う。あまり時間がない。特急サンダーバード34号は16時3分に出発。
18時10分に京都駅に到着した。新快速で家路へ。意外と乗客が少なかった。

今回の弾丸旅行はジブリ色が濃かったが、満足のゆく旅となった。

最後まで拙文にお付き合いくださり、ありがとうございました。





その昔、作家・堀田善衛とジブリのコラボが行われ、気になっていたのだが、このたび富山市の「高志の国文学館」で企画展が開催されることを知った。また、ジブリの大博覧会も開催される……これは富山へ行かねば!
「true tears」の舞台となった高岡市も歩いてみよう。

【参考データ】
2018/12/8土
特急サンダーバード11号 大阪9:12発~金沢11:58着
IRあいの風とやま鉄道 金沢12:06発~高岡12:48着

2018/12/9日
新幹線つるぎ719号 富山15:17発~金沢15:40着
特急サンダーバード34号 金沢16:00発~京都18:09分着

宿泊先:富山第一ホテル(富山市、1泊)


■2018年12月8日(土) 倶利伽羅峠を超えて

この冬一番の寒さとなった大阪駅で、お弁当とお茶を買い込む。11番プラットホームは人でいっぱいだ。
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9時12分、サンダーバード11号はスムーズに発車。2時間30分の列車旅が始まる。
グリーン車は広々として快適だ。スマホも充電できるし。
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車内販売は廃止したくせに、検札だけはやるんだ。JR西日本はしっかりしているね。

冬のサンダーバードは初めてだが、シートヒーター付なんだな。暖かくて良いぞ。
大阪、京都は晴れていたのに、琵琶湖を北上したあたり(近江舞子)から雲が厚くなってきた。
で、敦賀に入ると雨だ。残念だが駅弁を開いて旅行気分を盛り上げよう。
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11時58分、金沢駅へ到着。6番ホームから5番ホームへ移動して、IRいしかわ鉄道の列車に乗り込む。なんと2両編成だ。立つ人多し。これなら3両にしても良いのに。
しかし、第三セクターの運営と言えど、中身はほとんどJRじゃないか。
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12時6分、IRいしかわ鉄道の電車は金沢駅を出発。倶利伽羅峠を経由して、高岡駅まで40分か。だんだん山深くなる単線を走るは楽し。
ああ、横殴りの雨が車両を叩く。ひどいぞ。
12時48分、高岡駅に到着。自動精算機なんてものはなくて、駅員がいちいち精算するんだな(820円)。

高岡観光に関するパンフレットを見る。13時1分、観光に出発。


■国宝・瑞龍寺

雨の中を南へ歩くこと15分、参道が見えてきた。なかなか良い雰囲気だ。
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ここ瑞龍寺は『サクラクエスト』で登場したので気になっていたのだ。拝観料500円を支払い、境内へ。
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この国宝・山門を観るだけでも価値があろうというもの。雨はみぞれに変わった。寒いはずだ。
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仏殿とその内部。
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法堂は、まぁお寺って感じ。
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回廊を巡るも楽し。これは文字通り「木魚」だな。
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これは何だろう?
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境内は手入れされている。
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寒い雨の中でも観光客は結構いたなぁ。まぁ満足。

13時40分頃、瑞龍寺を出て歩く。高岡駅を超えて、山町筋と金屋町を観てみよう。

■山町筋と金屋町

駅でもらった地図「駅からちょっと町歩き」によると、「土蔵造りの町並み 山町筋」「千本格子の家並み 金谷町」とある。期待は高まる。

そうか、高岡市は藤子・F・不二雄の故郷なんだな。
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歩けど歩けど、山町筋に着かない。けっこう距離があるぞ。
やっと到着した。

富山銀行本店。レトロな外観ながら、現在も通常営業中。
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これは良いとして、山町筋。え~と、、、普通の町並みにしか見えないんですけど。。。。
観光地として売り込むのなら、昼間は車両進入禁止とするべきだろう。風情が削がれて、損した気分だ。
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またまた歩いて、次は金屋町へ。
キューポラと煙突は見る価値あった。頑張っているように見えるが、この辺りも観光地として整備が不十分だと思う。
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■高岡大仏

金屋町から歩いて20分、有名な高岡大仏に到着。高さ16m、1933年に造営されたとある。
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実は、うっすらと眼を開けている。
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■高岡古城公園

ここは「true tears」の舞台となった場所。紅葉の名残りがちらほらと。
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銅像が多く、結構楽しませてくれた。春はすごく綺麗だと思う。
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■藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー

高岡古城公園の北東に位置する。入口は少しわかりにくい。高岡市美術館に併設されているんだな。
ここは当たり。500円の価値あり。
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内部は、幼少時からの漫画原稿、名言集、キャラクター紹介等。手塚治虫からもらったハガキは一生の宝だったろうなぁ。


■富山グルメ

16時40分、高岡駅から「あいの風とやま鉄道」に乗車。58分に富山駅へ到着。
ホテルは駅から結構歩く。17時30分、富山第一ホテルに到着。あぁ、安い部屋だから景色も最悪だ(公園の反対側)。

読書と小休止。

夕食はホテル1階の寿司屋で「富山湾鮨」を食す。美味い。
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まだ足りない。街へ出歩き、散策。土曜日の夜だけあって、みな浮かれている。
「富山ブラックラーメン」はなかなか濃い味付けだった。関西人には合わないや。
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満腹&ビール漬けになったところで、続きます。





西洋的DNAと中国的DNAが融合した魔都、特に1920年代以降の上海は、帝国主義の繁栄と流浪びとの移入がもたらした、世界に類をみないコスモポリタン都市を形成していた。本書は、その共同租界のうちに形成された虹口「日本人街」に焦点をあて、居留民と街の様相の変遷、反日運動への直面と対処、戦中の災難、戦後の引き上げまでが、特に長崎との結び付きに着目しつつ考察される。
・日本からはパスポートもヴィザも不要で渡航でき、なんと、郵便物も「長崎県上海市」で届いたとある(p33,45)。
・当時の写真と地図は、日本人街の繁栄ぶりを余すことなく伝えてくれる(p37~42)。
・五・三〇運動。日系紡績工場で度重なるストライキが、やがて階級闘争から民族運動に変遷する。1925年の大規模ストライキの本質は反帝国主義運動であり、やがて反日運動に具現化されてゆく。日本商品ボイコットの様相は凄まじいものがある(p113)。デジャビュー。2012年の反日暴動。上海で、北京で、瀋陽で、日系デパートや自動車工場が破壊される有様が蘇った。なるほど、現在まで続く「反日」の源流はここまで溯るのだな。
・1931年、満州事変が飛び火して上海事変=局地戦が勃発する。国民政府の方針である非戦=撤退命令を無視して第十九路軍は抵抗を始める。その司令官の抗日宣言の内容は、敵ながらあっぱれとしか言いようがない(p153)。
・1937年の第二次上海事変=全面戦争がはじまり、日本軍が中国軍を駆逐すると、居留民は急激に増す。その数は1943年には10万人を超えたとあるが(p91)、彼らの暮らしは安穏だったわけではない。現地民による日本人の襲撃が日常と化したため、旧イギリス租界では男子一人でも歩くことは危険であり、小学生のバスまたは乗用車での集団送迎が当たり前となっていた(p140)。
・「侵略者としての自覚、後ろめたさ」(p131)、上海事変を起こした日本に対する著者の立場は明快だ。

主権を剥奪された租界を取り戻したい中国人民に対し、国力の差から締結された不平等条約、すなわち国際法を盾に彼らを非難する日本政府と帝国臣民。その姿は、まるで従軍慰安婦や2018年11月に大きく報道された徴用工の問題と同じ構図に見えてくる。
それはさておき「日本人租界」ともいえる虹口地区と長崎との深い関係、特に戦争中のそれを知ることができた。また、旧海軍陸戦隊司令部が、現在でも雑居ビルとして使われているのには驚いた(p198)。今度上海を訪問する際に見てみよう。

上海の日本人街・虹口 もう一つの長崎
著者:横山宏章、彩流社・2017年6月発行
2018年12月10日読了
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『上海』で興味を抱いた新感覚派の旗手、横光利一の作品集を読んでみた。代表作『機械』をはじめとする大正・昭和初期に発表された17の中短篇を収録。日本に定着しなかったとされるモダニズム文学だが、なかなかどうして、斬新で興味深い文体と内容だった。
・『セレナード』は、婚約者のふざけ合いを通じての心の機敏を描く一品。夏の豪華ホテルのパーティ会場、バルコニーと庭園、シガーの煙、上空を行く飛行船の爆音(p63)など、テンポの良い会話と相まって、大正・昭和の失われた光景が目前に浮かび上がる。
・デパートオーナーの息子が活躍(?)する『七階の運動』から無職貧困者の『街の底』まで、多様な階級の視点で現代社会を切り取る。どの作品もダイナミズムに満ち溢れているが、なかでも『街の底』の、貧しい場に、より貧しいものが頼って集う描写はとても痛ましい(p145)。
・『機械』はセンテンスが強烈に長いが、リズム感が生まれて、かえって読みやすく感じた。でもこの文体は流行しない=著者のひとつの実験なんだろうなぁ。
・『薔薇』 上海、東京、分厚い手紙、友人の妹かつ人妻への、押さえていた愛情の爆発。嫉妬感を抱きつつも、主人公自身と友人の立ち位置を客観的にとらえる描写が興味深い。
・『榛名』は、湖を望む旅館での一泊。様々な旅の人々の様相、刻々と姿を変遷させる自然の描写が、流麗な文章と相まって実に心地よい読書感を味わえた。情景と人情がすっと身に染み入る感覚とは、これか。

どの作品にも1920年代の薫りが漂い、興味深く読み進めることができた。触れる機会の少ないモダニズム文学を身近にしてくれる一冊だと思う。

セレナード 横光利一モダニズム幻想集
著者:横光利一、長山靖生、彩流社・2018年11月発行
2018年12月6日読了
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