男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2019年01月

かつて冷戦が終了して間もない時期、カンボジアに自衛隊・警察を派遣する、しないで揉めに揉めたPKO、国連平和維持活動。当時のガリ事務総長の思惑もあり、旧ユーゴスラビアでの活動内容を強化する等の提起もみられ、日本国内でも議論が沸騰したのはもう昔の話。いまでは紛争地派遣が当然のこととなり、自衛官、警察官、民間人ひとりひとりの現場での活躍や苦労が報道されることはほとんど無くなってしまった。
そこへ第二代南スーダン大使の筆による本書の登場である。日本からあまりにもかけ離れたアフリカ・南スーダンで、自衛隊施設部隊の他には「オールジャパン」の国際貢献が行われたことはほとんど報道されなかったことを鑑みて、一読の価値ありと思い購入した。
難民・国内避難民が400万人以上、実に国民の1/3を占める(p12)という凄まじい状況下の新生国家、南スーダンにおける「日本ならではの貢献」とは何であったか。その実績と今後の指針が本書にはある。

・周辺諸国を中心とする政府間開発機構IGAD、アフリカ連合AU、米国・英国・ノルウェー、中国・イタリア・エチオピア、国連安保理など国際的アクターが輻輳し、加えて南スーダン政府、反政府勢力の強硬的な姿もある。この中で日本の立ち位置と役割を定めることは、相当に骨が折れたことと思う(p29)。
・第1章では南スーダンの構造的問題、その歴史と国際環境が解説される。1922年からのイギリスによる南北スーダンの分割統治(p35)、1954年以降の南スーダン自治要求の否決……このあたりが内戦・騒乱の遠因か。
・PKO活動、ODAによる支援、NGOの貢献は重要だが、根本的な問題解決、すなわちアフリカの平和と安定のためには「政治プロセスへの積極的な関与」が必要であることが特記される(p61)。大使みずからが月に一度の割合で地方へ足を運び、地元民の意見を聴取した成果が、ジュバ政府の和平取り組みへの支援につながった。また反政府勢力を取り込む「国民対話」構想の推進に関してドイツ、国連開発計画UNDPとともに日本がイニシアティブをとったことは素晴らしいことだと思う(p62~)。
・1992年カンボジアUNTACの時代から様変わりしたPKO国連平和維持活動。ボーダーでの兵力引き離しと監視から平和構築・治安維持までその任務は拡がる一方だが、南スーダンでは、特に政府反主流派脱退以降は「文民保護」が主な任務として据えられた。第2章では、国連南スーダン共和国ミッションUNMISSと、日本人として参加した自衛隊施設部隊・司令部要員、警察官、文民の貢献が紹介される。著者が「現地での実践で実感」した、安全な活動のよりどころとしての存在、人道支援活動の基盤としての存在、治安回復の基盤形成の触媒として、PKOの役割は重要視される(p74)。
・自衛隊員の規律の高さがUNMISS全体に与える好影響(p80)、同じく、施設部隊が現地に駐留(プレゼンス)し、その可視・不可視の活動が現地に与えるインパクトの大きさ、現地からの感謝が実例をもって提示される。「ODA-PKOタスクフォース」(p83)も、各国派遣部隊、現地民との交流への積極的な企画・実践(p89)もなかなか興味深い。
・後半はJICA、NGOによる開発支援・人道援助が述べられる。軍事に国家予算を集中し、社会サービスをもっぱら国際支援に頼る構造的問題。また人道アクセスに問題のある政府にどう対峙するのか。支援の是非を含めて欧米諸国と日本で主張に乖離があったとは知らなかった(p105)。
・UN Womenと連携しての女性に「手に職」をつけるプロジェクト、献血制度の創設、地雷除去、警察支援(地域コミュニティ警察、110番緊急通報)、さらにはプロジェクト・マネージャー育成など、現場のニーズに寄り添った日本独自の「細切れ作戦」(p154)はすばらしいアイデアだと思う。
・NGO支援の問題。「人道目的とはいえ、国費を使う以上は国益のためということになる」「(日本人の)危険地域での活動」への大使館としての責任(p186)。指針は明確だな。
・Made in South Sudan。日本への輸出品第一号は「ハチミツ」か(p200)。
・アクターが多いと何事も一筋縄ではいかない。それゆえ日頃からの良好な関係構築がものをいう、か。

平和国家日本の「世界史的使命」(p220)。この重い言葉を胸にとどめて書を閉じた。
「施設部隊ジュバ撤退」「邦人脱出勧告」等の断片的なマスコミ報道から、南スーダンでの支援はうまくいかなかったとのイメージを持ちつつあったが、とんでもない誤解だった。人道援助、平和構築、開発支援、政治プロセスへの関与など、従来の個々の国際貢献のあり方を超越した「オールジャパン」による「パッケージ」的な支援により、紛争地に安寧と未来をもたらすとともに、現地、ひいては周辺諸国の人々に「日本人」の好イメージを持たせたであろうことは極めて重要な成果といえよう。
伊勢崎賢治さんの「武装解除」も衝撃的だったが、今後、本書のような現地統括者の著書が新書・文庫のかたちで数多く出版されることを望みたい。

[補記]
国際地雷デー。「2017年の国連事務総長賞を受賞した」合唱・演劇コンクールと地雷啓発ミュージック・ビデオ(p163)。本書にurlの記載がなかったので、ここに貼っておきます。

南スーダンに平和をつくる 「オールジャパン」の国際貢献
著者:紀谷昌彦、筑摩書房・2019年1月発行
2019年1月27日読了
DSCN4177


「貴重な肉筆画や木版画をはじめとして、装幀本や千代紙など、画家としてはもちろん、デザイナーとしての夢二の力量が伝わる作品の数々をご紹介」ということなので、休日を利用して観に行ってきた。
(2019/1/26)

お気に入りを何点か。昨今の流れに従い、一部は写真撮影が許可されていた。良い流れだと思う。

『エイプリル・フール』(大正15年)
花束を持参した紳士をいまにもたぶらかしそうな美女。夢二作品で一番好きだ。
DSC_0146

『夢二画集「旅の巻」カバー』(明治43年)
明治期にこんなポップな絵を描いていたなんて。
DSC_0153

『花のたよりの文つかひ』(大正2年)
いわゆる美人画だけでなく、児童画でも才能を発揮した夢二。お気に入りの一品だ。
DSC_0162

『コドモノクニ』表紙画など(大正12年)
DSC_0165
『スプリング』(大正13年)
DSC_0166

『少女一二ヶ月双六』(昭和3年)
当時の世相が表れていておもしろい。
DSC_0168

夢二の写真作品も多数展示。愛用のカメラも(ベスト・ポケット・コダック。同型品)。
DSC_0177
DSC_0170
婦人グラフ、一冊ほしいなぁ。
DSC_0178

芸術に触れるのは小さな非日常。空間とともに楽しむのが吉だな。

『大正浪漫 グラフィックデザイナーの原点 竹久夢二展』展
明石市立文化博物館、2月3日まで。
http://www.akashibunpaku.com/
yumeji_A4_omote
yumei_A4_ura

京都帝國大学を中退し、下級官吏に甘んじて腰弁の毎日を送る野中宗助。借家は狭く子供もいない。世の中なんとかなるだろう、との甘い見通しを重ねる人生。高等学校へ通う弟は、そんな兄と嫂の没世間な生活をうらやましいとは思わない。なにより、学費をどうにかしてもらわないといけないのだが……。
文豪の流麗な文章は読み進めやすく、一等国日本に生きる市井の人の現実を垣間見ることができる。

・宗助と妻の公然たる秘密。それゆえに日陰者に追いやられた過去は辛い。人生の寂寞と哀愁を受け入れながら、変わらない日々を二人で過ごしてゆく。ふとしたことで深い縁となった借家主との交流。このようなささやかな幸せが壊されそうな予感が突発的に生起し、宗助は東京を逃げ出す(十七の四)。
・「これからは積極的に人生観を作りかえなければ」(十七の五)と、宗助の鎌倉への参禅。「今の不安な不定な弱々しい自分を救うことが出来はしまいかと、果敢ない」望みを抱く(十八の五)。
・繰り返される不安、逃げ回るしかない自分(二十二)。結局は、運命は厳しいと悟った宗助の行動が、自らを救うこととなる。

物語当初は英国のキッチナー元帥と自分を比べるなど(四の一)、諦観ともみられる宗助の性格の弱さが目立つ。過去は過去。その過去を含めて自分は自分。運命に立ち向かう強さを知ったとき、道は切り開かれるってことか。

漱石全集第六巻所収
著者:夏目金之助、岩波書店・1994年5月発行
2019年1月25日読了

DSCN4123

世界初の万国博覧会を象徴するは、その展示物ではなく建物、水晶宮そのものであった。本書は当時のイギリス王室と社会背景の解説から始まり、ヴィクトリア朝勤勉さを体現した技術者パクストンの手による誕生から火災による焼失までの、水晶宮の生涯を描く一冊である。
水晶宮の構造から展示品、さらには焼失した構造物まで、多数の図版が掲載されているのも、本書の魅力の一つだ。

・世界初の万博をリードしたのはヴィクトリア女王の夫君、アルバート王配殿下その人だ。万博推進のためのロンドン市長公邸での演説は人々を鼓舞させる熱意あるもので、「中身のあるスピーチ」の実例をみた(2章 万国博覧会への道 付録)。「立派な性格と忍耐、強固な意志と精力を兼備したあの人であればこそ、成し遂げることができた業なのだ」(1851年5月1日、万博開会式の日のヴィクトリア女王の日記より。7章 1851年5月1日)
・技術者の活躍が熱い! ブルネル(橋梁)、スティーブンソン(機関車)という稀代の天才技術者に、気鋭の「たたき上げ」技術者パクストン(庭師の徒弟から身を起こしたセルフ・ヘルプの造園技師!)の天才的な案がぶつけられ、わずか数週のうちに水晶宮の設計が固められてゆく見事な展開は身震いするほどだ。ある意味ライバルであったブルネルがパクストンに「楡の木の高さ」を教える点などは、さすがジェントルマンといえる。また王立委員会への勅許を待たずに、工事業者は義侠心から自己責任で工事を始めたという。これが英国人気質なのだろう。(3章 設計の危機)
・会期141日間の万国博覧会。およそ40か国からの展示品は10万点を数え、会期中の観客は延べ603万人を記録した。機関車、画期的な農機具、奇抜な医療機器、工芸品などにとどまらず、アメリカ南部諸州へ輸出するための手枷・足枷、さらには潜水艦など兵器の模型、武器の出品もあり、土民との物々交換用の安物小銃、さらにはその土民を打つための高性能小銃なども展示されていたという。また、アメリカの量産技術の成果をイギリス工業界も取り入れることになったという。(8章 館内展示品)
・ヴィクトリア女王は開会式のあった5月だけで12回も会場を訪れたという。そしてシュェップ社の4か所の売店だけでなく、この時代では珍しい69か所の水洗トイレも整備されていたんだな!(9章 会場のにぎわい)
・シドナムに拡大・再建された水晶宮は、1万2千本もの噴水、全ヨーロッパ、エジプト、ギリシャ、ローマ、アッシリアなどから蒐集された新しい展示物を含めて、市民の娯楽・教育施設としての役割を担うこととなる。気球が頻繁に上げられ、大パイプオルガンを備えたコンサート・ホールでの音楽会や展示会、毎年夏の花火大会が開催され……ロンドン市民にとっては格好の遊び場となったんだろうな。(11章 変容の水晶宮)
・1936年の水晶宮の焼失は実に嘆かわしいし、一つの時代の終わりでもある。すなわち大英帝国の絶頂期の終焉。(12章 炎上)

せめて、シドナムに水晶宮が残っていてくれたらと思わずにはいられない。まぁ、現在でもヴィクトリア&アルバート博物館で水晶宮の模型を見ることはできる。同じく1851年万博の出展物を眺めながら、失われた水晶宮の時代=大英帝国の絶頂期に思いを馳せるのも、また一興か。

水晶宮物語 ロンドン万国博覧会1851
著者:松村昌家、リブロポート・1986年6月発行

最盛期の大英帝国を統率したヴィクトリア女王。その出生、ケンジントンでの生育、戴冠、アルバートとの邂逅・結婚と死別、そして晩年。彼女の人生の節目節目における当時の社会状況が解説されるなど、本書はヴィクトリア朝と帝国の年代記となっている。女王の日記、愛娘との往復書簡に加え、カラー図版が多数掲載され、当時の王室を知る一級資料でもある。
・旧来の貴族政国家から先進工業国へ。立憲君主制における君主と議会という二つの存在を、若き女王は賢明に理解する(p102)。
・印刷技術と写真術の発達と大衆紙の発刊は、王室一家のニュースを大衆にもたらす。精力的な女王と聡明な夫、それに9人の子供たち。それまでの放蕩な王室と異なり、中流階級の理想とも言えるべき家庭像がそこにあった。
・なんといっても第七章「一九世紀中頃」は圧巻だ。アルバート公の能力がフルに発揮された時期であり、1851年の第一回万国博覧会の大成功は、王室の権威を最高潮に高めることとなった。この成功が、ハイドパーク南側のV&A博物館をはじめとする各種文化施設の設立の礎となる。あと、万博のための「王立委員会」が存続しているとは知らなかったぞ(p226)。
・最愛の夫アルバートと死別して以降、生涯を喪服で過ごした女王。40歳台にしてすでに60歳台の風貌を持つに至った彼女は実に不憫だ。ただ「臣民も自分と同じように長期間を喪に服すべきだ」との考えには、国民は辟易していた様子。
・女王はドイツ人だけでなく、特に晩年はインド人を側近にするなど、出生や人種にこだわらずに接したのは意外だった。この姿勢も、他国と違って君主制に安定をもたらした一要素と思われる。
翻訳文も非常に読みやすく、ヴィクトリア女王と彼女の治世を知るに最適な一冊。

VICTORIA : A CELEBRATION OF A QUEEN AND HER GLORIOUS REIGN
図説 ヴィクトリア女王 英国の近代化をなしとげた女帝
著者:Deborah Jaffe、二木かおる(訳)、原書房・2017年9月発行
2019年1月21日読了
DSCN3434


本書は22編の短編小説と小コラムを収録する。喫茶店の二階から、銀座のペーブメントから街ゆく人を観察し、彼らの精神を想い、幻想を視る。機械とスピードの時代に直面した都会人の非現実が展開される。

■谷崎潤一郎『青い花』
性病に侵されやせ衰えた30代の岡田は、銀座から舶来好きが通う横浜・山下町へショッピングへ。死の幻想に惑わされつつも、溌剌なモダンガールに洋服、帽子、靴を買い与えるは、幸せな日常なのだろう。若い女性が和装から洋装へ変える時代の都会の様相が描写されている。

■豊島与志雄『都会の幽気』
蒙昧と浮遊し男にまつわりつく気配。夜間のそれが昼間に姿を見せ始め、人の姿となって夢にまで現れて……。大正13年の幽玄な作風が新鮮に感じられる。

■林房雄『絵のない絵本』
アラブの千一夜物語ならぬ、天空の月が語る1920年代の十夜の物語。北京、ベルリン、ニューヨーク、東京、インド、ローマ、パリ、ロンドン、フィンランド、革命後のロシア。労働者の苦悩、植民地の悲劇、革命後の朝。近代化された生活の諸相が興味深い。

■松永延造『ラ氏の笛』
横浜外国人居留地に隣接する地に育った主人公のインド人の友人の物語。死に臨むとき、不幸の中の幸福をどう捉えるのか。

■芥川龍之介『歯車』
本書の短編群の中でもさくさくと読み進めることができるのは、昭和初期の作品だからか、作者の手腕によるものか。
「十年前の僕も幸福ではなかった。しかし少なくとも平和だった」(p144)
目の前に突如現れるは半透明の廻る歯車の幻影。レエン・コオトを着た男。復讐の神。
読み進めるに従い、精神病院へ通う作家であり語り手でもある"A先生"なる人物が、芥川自身であることが明らかにされる。これは読みごたえがあった。

■牧逸馬(谷讓次)『第七の天』
1928年の丸の内のとあるビルディング。人の世に「デビュー」したばかりのモダン・ガールの幽霊(ちっとも怖くない)と電化器具輸入会社社長による深夜の懇談会。「馬鹿らしくて物々しく、悲惨にまでユウモラス」な幽霊体操(p232)により、非喜劇が訪れる。形而上vs形而下、霊魂vs物質、父vs息子の戦いは滑稽に続く。風邪をひいて外套を貸してくれと頼む幽霊は初めてだ。
機械に電流の流れる音を「RRRRRR」と表現するあたりは新鮮。スピード時代の特徴なのだろうか(p260)。

■深尾須磨子『都會の雑音は生活の大交響楽』
溌剌たる生活の音楽、静止を知らぬ機械文明の叫喚、丸みを帯びた西方の都会の雑音について述べる。「都会が発する雑音を自然のままに取り入れて、そこに活動面を開展させることも、トオキイの技の完成した今日、あながちに至難ではなかろう」(p362)とはなるほど、面白い。

他に、神戸・聚楽館を舞台にした衣巻省三『鉄の箱の中』、ジュール・ヴェルヌのSF作品『二十世紀のパリ』を想起させる佐藤春夫『のん・しゃらん記録』、詩人の直覚する超現実を説く萩原朔太郎『猫町』、零落した人々の運命の儚さを幻想的に描く丸山薫『蝙蝠館』、稲垣足穂『私とその家』、井伏鱒二『夜ふけと梅の花』、内田百閒『東京日記』等を収録。

モダン都市文学Ⅳ 都会の幻想
編者:鈴木貞美、平凡社・1990年3月発行
2019年1月16日読了
DSCN4174

国家が国際社会のアクターとしての役割を減少し、世俗主義に統治され、ナショナリズムも抑制された世界。これがEUモデルであり、西欧世界を中心に世紀を超えた努力によって実現を目指してきた。一方でアジア・アフリカ・南米では国家も宗教も民族的ナショナリズムもいまだに国際政治の主要な原動力であり、たとえば社会主義市場経済なる暴力的な中国モデルが幅を利かせつつあるのが現実だ。そこでは民主化の努力は放棄され、国民が「居住国」を変える方法が選択されつつある。エスケープ、すなわち先進国への移民。EUは格好のユートピアだ。

2010年代になって移民問題は変化した。大挙してEU外から押し寄せる移民に対し、東欧は門戸を閉ざし、ドイツ、オーストリアは大量の移民を受け入れた。税金が使われ、職を競合しあうことなるため社会下位層を中心に不満は募る。「国が乗っ取られる! 自分たちの生活が脅かされる!」 その結果が社会多数派の右傾化、ポピュリズム政治の台頭であり、民主政治の性格の変化である(p30)。英国民が選んだ「EUからの離脱」はその象徴でもある。

・この世界で階級間の不平等は問題ではない。諸国民の間の不平等こそが重要であり、インターネットでEU社会の豊かさを知った第三世界の民が「移動」を始める(p35)。
・EU内の経済格差に端を発するユーロ圏の危機、英国のEU離脱の衝撃(Brexit:ブレグジット)、ロシアの暴力にEUの無力さを露呈したウクライナ危機。1993年の理想は彼方に遠く、そしていま「難民危機」によりEUの分裂が現実のものになろうとしている(p48)。
・民主主義が不安定化を招くジレンマ。そして、招かれざる移民から欧州を守る「独裁者」は歓迎される(p41)。
・「移民の時代において、民主主義は包容ではなく、排除の手段として作用しはじめつつある」(p17)
・選挙の変貌。かつての左派と右派の対立は、国際主義(リベラルな人々)vs民主主義(排外主義的な人々)の対立に代わってしまった(p77)。なるほど、日本の現状を鑑みても納得できうる。
・やがて、ポピュリストは直接民主制を謳って国民投票を、すなわち議論ではなく、感情に訴えての秩序破壊を手段とする(p99)。

オーストリア=ハンガリー二重帝国の実験、すなわち平和的な民族間協力、民族主権の自主的な制限、独自の文化を保ち継続させる民族集団の結束と発展は、そのままEUの実験でもあった。これが失敗しつつある現在、秩序の失われた世界が姿を現そうとしている。

翻ってこの日本はどうなのか。スピード可決された移民法が2019年4月に施行される。最長5年と謳ってはいるが、現在でも問題となっているように、姿をくらませた移民は半永久的に日本にとどまることができる。貧困ゆえに集団犯罪に走る彼らの姿が目に浮かぶ。特に農村部の未来は真っ暗だな。
「アフター・ジャパン」
根本的に道徳観念と文化が異なるだけでなく、反日教育を受けた若いC国人やK国人が大量に流入する将来を思うと……ああ、この国のナショナリズムに火がつき、社会がさらに右傾化するのは時間の問題だ。
……それが目的で移民法案を強硬成立させたのなら、右寄り現政権の手腕はお見事というほかない。

移民問題は、民主主義を市民統合の手段から、他者排除の手段へと変化(ヘンゲ)させる。日本にとっても対岸の火事ではない。和解と妥協の精神を忘れないようにしたい。

AFTER EUROPE
アフター・ヨーロッパ ポピュリズムという妖怪にどう向き合うか
著者:Ivan Krastev、庄司克宏(訳)、岩波書店・2018年8月発行
2019年1月9日読了
DSCN4173

第一次・第二次世界大戦と冷戦期におけるイギリスの政策と、世界戦争が帝国を変貌させる様相がイギリス本国、インド等の帝国諸地域、日本を題材に論じられる。それは、本質において拡大、あるいは現状維持を戦略的課題とする保守主義の外交戦略であったことがわかる。
・20世紀、それは一億人が非業の死を遂げた戦争の時代。なかでも第一次世界大戦はイギリスにとって特別な戦争であり、本国の社会システム、帝国構成国の意識に変革を生じさせた。特にインドと本国を結ぶ海路・陸路にとって死活的な意味を持つオスマン帝国解体後の中東世界の保護国化がイギリスにとっての戦争遂行の目的とされ、これが後々にまでイギリスに災いをもたらすこととなる。
・1934年にチェンバレンの提起した「日英不可侵協定」(p67,236)。結局、建艦競争に躍起となった日本が拒絶したが、これが現実のものとなっていたら、こんにちの世界はどうなっていただろうか。
・第三章では、冷戦の起源として、19世紀以来続く英国とロシアの東地中海やバルカン半島をめぐる確執があげられる。中央アジアにおけるグレート・ゲームを含め、イギリスとソビエト・ロシアという「二つの帝国」の摩擦という歴史的視野から展望すると、なるほど、違った側面が見えてくるな(p96)。
・哀しくも大きな矛盾。第二次世界大戦後の帝国=植民地とコモンウェルスの防衛に当たって、対外関与を縮小すればソ連の膨張を招き、対外関与を増大すれば軍事力の希薄化・財政の圧迫により国力の減少につながるジレンマ。結局プライドを横に置き、米国との協調の必要性という政策へ帰結することになる。チャーチルはさぞ嘆いたことだろうに(p101)。それでもアジア冷戦への関与等、時代錯誤的な帝国意識にもとづく政策が継続されることになる。激変した世界、その現実を直視しつつも呻吟するイギリスの姿がそこにある。
・オスマン帝国の瓦解を是認する「民族自決権」をイギリス人が高らかに唱えるとき、インドは決して彼の視野には入らない。このダブル・スタンダードがインド人の不信感を徐々に増大させ、巧みな帝国統治にもかかわらず、第一次世界大戦後に大衆化した民族運動による自治権要求から独立要求へのヒートアップを抑えることはできなくなる。そして悲劇の印パ分裂独立へと至る(第五章)。
・第二次世界大戦時の英国派遣黒人アメリカ兵に関する第八章は、人権・人種意識のイギリス人とアメリカ白人とのあまりの格差が浮き彫りになったようで、イギリス人民間人の民主主義的良心、ただし上から目線でのそれが顕著であったことが印象に残った。
・ベトナム戦争にのめりこむ米ジョンソン政権に対してイギリスが打った一手、コモンウェルス・ミッション構想は注目に値する。結局は北ベトナムと北京政府の反対によって失敗するも、軍事的勝利に確執する米国に意見し、「経験主義的な伝統を背景に現実主義的な和平外交」(p347)を展開できるのは、さすがイギリスというべきか(第九章)。

第六章では、東アジアにおける二つの帝国「イギリスと日本」の関係が考察される。第一次世界大戦のグローバルな性格は、日本をより深く世界に結び付ける。なかでも二十一箇条要求は、中国人の抗日運動を誘発しただけでなく、日本の予想を超えてアメリカとイギリスの警戒心を強める結果となった。
・第一次世界大戦期において日英関係は冷却する。日本の二十一箇条の要求は山東半島だけでなく、イギリスが伝統的に自らの勢力圏と考えてきた揚子江地域の利権に関する条項を含むため、イギリスの不興を買った。さらに第五号条項には政・経・軍への日本人顧問の招聘、日中合同警察、兵器の日本からの供給など、当時の帝国主義世界の常識からしても過剰な「希望」が含まれており、日本の意図に関するイギリスの疑惑を招いた(p214)。
・インドの独立運動に対し、あからさまに擁護する姿勢を示す日本。東京へ亡命・潜伏中の政治犯引き渡し要求に際しても、右勢力の反対運動に政府高官が理解を示すなど、インド帝国の宗主、イギリスを逆なでする(p217)。
・大戦中の日本海軍の活躍は大いに評価されるようになったものの、イギリスにおける日本との同盟に関する見方は様々。イギリス海軍省は今後の太平洋やインド洋での戦闘に、同盟国の日本海軍にその役割を期待する。一方でイギリス外務省では、日本との結びつきはイギリスの利益をもたらさないと考える者が大勢を占めた。日英同盟が日本の中国への進出を後押しする機能しか果たしていないと問題視するアメリカとの関係、カナダによる反対、なにより、揚子江地域における日英間の経済競争の激化等から、同盟を破棄する意見が優勢となる(p222)。まるで現在の米海軍と海上自衛隊の良好な関係と、外交・経済面での米中関係の緊密さを見ているようだ。
・1921年より開催されたワシントン会議で、アメリカの主導により日英同盟は破棄され、英米仏日の四国条約が調印される。一方でアメリカが国際連盟加盟を拒否して以来、1920年代を通して英米関係は冷却したため、突出する日本へ共同して圧力をかけることは行われなかった(p225)。その結果が、日本軍部のさらなる増長を招いたとすれば、皮肉ですらある。

第一次世界大戦後、その版図が史上最大となった大英帝国。その規模と結束を維持する「本国」の苦悩は否応にも増すばかり。
戦間期に顕著となった民族主義の動向を過小評価したこともあり、帝国の紐帯は弛緩し、最期はいかに威厳を保ちつつ、帝国を解体するかに知恵を絞ることとなる。膨張しすぎた帝国の崩壊は、ソ連のものだけではなかったのだ。

イギリス帝国と20世紀 第3巻
世界戦争の時代とイギリス帝国
編著者:佐々木雄太、ミネルヴァ書房・2006年12月発行
2019年1月7日読了
DSCN4171


当時の世界的イベントであった万博、カフェ・コンセール、色彩豊かに街を彩るポスター群、音楽、劇場、そしてパリジェンヌ。現代人の想像を突き放してはるかに輝くきらびやかな世界が、ベル・エポックのパリに実在した。
本書は、20世紀の幕開けとなる1900年パリ万博を軸に、絵画・音楽・文学などの芸術と社会風俗を題材に、カラー図版を含む350枚ものビジュアルとあいまって、著者の雅やかな文章により見事に時代を活写する。

・フォリー・ベルジェール、スカラ座、オランピア、そしてアンバサドゥール。光り輝くパリの夜でカフェ・コンセールはディナーと"今宵の出し物"を提供する。ロイ・フラー、ジャヌ・アヴリル、コーディユー、ユージェニー・ビュッフェ、マイヨール、アリスティド・ビュルアン。彼らを観て満足するは、着飾った女性とエスコート役の口髭のダンディだ。当時のポスター(p18~23)に20世紀初頭のパラダイスがうかがえる。
・「不滅の女性、なかば神格化され、この芳醇な時代をもっとも特徴的に表現」(p29)したサラ・ベルナール。本書でも7ページに渡って彼女の魅力があますことなく伝えられる。まさに芸術家の生涯!
・本書前半ではルノワール、ドガ、ロートレックもさることながら、、同時代のパリ・ジェンヌと街の情景を描いた作品としてジャン・ペローの作品が際立って目立つ(p49,58,59,62,67,70,71)。華やかな時代の「パリで生きる喜び」(p57)、そして人の動きが良く描き出されていると思う。
・当時の非常識かつ先駆的なポスト印象派やモダンアートの作品群、ミュシャ、ルイ・ルグランなど新進作家のポスター芸術に触れると、伝統的な「サロン」の作品は退屈に見えて仕方がないな。

中盤までは楽しく読めるが、最終盤は美術史に詳しい向きでないと難解だと思う。それでも盛りだくさんの図絵・写真と雅やかな文章により、ベル・エポックの雅やかな雰囲気を堪能できた。

図説ベル・エポック 1900年のパリ
著者:Florent Fels、藤田尊潮(訳)、八坂書房・2016年12月発行
2019年1月2日読了
DSCN4169

図説 ベル・エポック―1900年のパリ
フロラン フェルス
八坂書房
2016-12-01




幕末から明治、世紀末から第一次世界大戦へ。それは帝国主義世界が顕わとなり、国ごとの優勝劣敗がはっきりと分かれる過程であり、その体制のなかへ日本が自ら組み入れられていった時代である。
新生大日本帝國の初期に西洋、なかでも英独仏への渡航者は、横浜・神戸から上海、香港、シンガポール、ペナン、コロンボ、アデン、スエズ、アレキサンドリア、マルタ、ジブラルタルを経由して赴くわけだが、これらすべてが大英帝国の植民地、あるいは影響下の寄港地であることに驚嘆したという。すなわち、エンパイア・ルートである。
本書は、伊藤博文、渋沢栄一から遠藤周作まで、1860年代から1950年代にかけて帝国航路を渡航した日本人の思惑、特に東洋・西洋世界と日本を比較し、世界並びにアジアにおける将来の日本の立ち位置を模索した多様な人物を拠りどころに、旅の記録を読み解く。ダイナミックな世界史の動きが、帝国航路の旅を通じて日本の中へ浸透する様相が提示される。

・なんと豊富な航海記! 外交官、軍人、学者のみならず、電気工事業者など一般国民のものまで網羅され、帝国航路とイギリス支配に対する多様な見解が窺える。目立つのは、現地人への同情と、イギリスに代わって日本がこの地を統治し、彼らを解放するとの思惑で、その意識が大東亜共栄圏につながったといえよう。
・第二次世界大戦が終結して1950年代半ばを超えても、遠藤周作が直面したように、英仏人の人種差別意識は絶えることがない(p207)。西洋諸国民の帝国意識の残滓が拭い去られるのは、ごくごく近年のことであったことを忘れてはならない。
・アジアの人々を野蛮視し「亡国の民」を哀れみ、日本人との差異を見出す19世紀の旅路から、西洋世界を猛追する日本が存在感を増し、やがて英仏に代わって大日本帝国によるアジア人民の統治を意識する。日本排斥運動など、現地とのギャップを孕みつつ、勢力拡大を続け、日中戦争、太平洋戦争に至る、か。エピローグ最後の節「帝国航路と近代日本の軌跡」に、本書の結論が示される(p215)。

大英帝国の強大な力と、各地域の人々がそれに屈従する姿。「世界」としてのイギリスが君臨する空間が帝国航路だったのである(p211)。
P&Oなど、英仏の郵船会社に加えて日本郵船、大阪商船が欧州航路に就航したことは、当時の日本人にとってはさぞ誇らしいことであったろう。興味を持たれた方は、本書でも紹介されている和田博文『海の上の世界地図』、橋本順光『欧州航路の文化誌』の併読をお奨めする。

シリーズ日本の中の世界史
帝国航路(エンパイアルート)を往く イギリス植民地と近代日本
著者:木畑洋一、岩波書店・2018年12月発行
2019年1月1日読了
DSCN4170

↑このページのトップヘ