男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2019年06月

昭和最大の未解決事件の記憶は遠く、すでに30年以上もの時が経過した。だが少年の、母親の人生はいまも確かにあり、その傷跡は深く、惨いままにある。
本書は、社会を震撼させたグリコ・森永事件を題材に、見事に「家族のありかた」を大胆に、繊細に描き切る長編だ。
・冴えない文化部の記者、阿久津英士が昭和の未解決事件『ギン萬事件』のスクープをものにする愉楽。物語はそこにとどまらずに、「人間」の有様を映し出してゆく。
・平凡「だった」京都のテーラー、曽根俊也の調査と阿久津の取材が小料理屋『し乃』でクロスし、31年越しの謎が一枚、一枚と解明されてゆく。特に「キツネ目男」の正体に肉迫する件には、興奮を覚えずにいられない。
・「真実は時に刃になる」(p387)そしてイギリス、ヨークミンスター大聖堂前での「犯人の告白」は一気に読ませてくれる。社会民主主義、新自由主義、戦争で一丸となる大衆(p417)。ああ、ヒトってこんなものだ。「既に太陽の姿はなく、残り香のような淡い輝きが目に染みた」(p442) 阿久津の吐息が紙面を超えて伝わってくる。
・未来につながる記事(p452)。それは一縷の希望か、絶望の中の救世か。

「幸せは何かと問えば、どんな答えが返ってくるだろうか」(p505)驚きと興奮の535ページ、存分に読ませてもらった。
「理想の社会」それは世の中を変えられるのか。否、「家族」こそ不変の理想である。

罪の声
著者:塩田武士、講談社・2019年5月発行
2019年6月25日読了
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罪の声 (講談社文庫)
塩田 武士
講談社
2019-05-15


南アフリカ戦争にかろうじて勝利し、第一次世界大戦が勃発するまでの狭間、日本では日清戦争と日露戦争の間にあたるエドワード朝英国のロンドンに公使、大使として長期滞在し、彼の地の有力者との人脈を築いた大日本帝国第24代首相、加藤高明。本書は、加藤が当時の英国の社会・政治情勢を幅広く見聞した経験に基づき、その概観したところを日本のそれと比較しつつ述べた「時事新報」紙の1912年の連載記事とともに、国家学会および慶應義塾での講演を収録する。
・英国人の長所が数多く述べられるが、その本質は、彼らが"個人の自由"とともに"秩序とオーダー"を重んじることにあり、これが加藤の理想とするところとみえる。
・議会政治、ロイド・ジョージ首相の「人民予算」、婦人参政権運動、国防、民主主義、タイムスに代表される第一級の新聞記者の品格、労働問題、社会主義勢力への応対の仕方、手紙を書く習慣など、話題は多岐に渡る。晩餐会・夜会・舞踏会への言及も興味深い。
・貴族制社会と四民平等の考察には考えさせられた(p172)。分相応が一番か。
・英国人は、その目的の達すると否とにこだわらず、自己の職務と決めたことについては勉励して決して怠らない美質を備えている。日本人も見習うべしとある(p129)。これは世界規模で公式・非公式の植民地帝国を築き上げた彼らの気質に通じるところがあるな。

ブリティッシュ・マインド。明治の国難を切り抜けた大人物の英国観は参考になったし、おおいに鼓舞されたようにも思う。ただ、加藤高明の負の遺産として、第一次世界大戦後、英国の利権を十分に知りつつも、あえて対華二十一か条要求を突き付けて英米に強い警戒心を抱かせ、ひいては日英同盟の終焉を招いたことを思うと、残念でしかたがない。

滞英偶感
著者:加藤高明、中央公論新社・2015年2月発行
2019年6月16日読了
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滞英偶感 (中公文庫)
加藤 高明
中央公論新社
2015-02-21

2009年のルーブル美術館展で『大工ヨセフ』に魂を釘付けにされたのを覚えている。あれこそ、芸術に触れる悦びではなかったか。その会場であった、選りすぐりの作品が揃えられた国立西洋美術館の常設展こそ、鑑賞する価値が高いと感じたことを今も思えている。そうか、あれらこそ、松方コレクションであったか……。
本書は、「日本にほんものの西洋美術を。しかも傑作を展示して見せてやるんだ」(p351)との情熱に、そして壮絶な使命感に生涯を費やした男たちの物語である。
・凱旋門を見上げ、シャンゼリゼを眺め、パリの街を呼吸する。不羈の人、ナポレオン・ボナパルトを思えば、そこに松方幸次郎がいる。いま、この瞬間を松方とともに生きている自分が、歴史の一部になるであろうとの予感を抱く田代雄一の気持ちが、痛いほどよく伝わってくる(p196~198)。
・「風の行方を追いかけるようにして……」(p299)クロード・モネの"庭"で、老画家と松方、田代の邂逅するシーンは秀逸だ。
・パリジャン、パリジェンヌが行き交う宵のカフェテラスで、田代が松方に打ち明ける"タブローへの情熱"。「とても幸運な、幸福な愚かもの」(p205)。と言うが、家族の軛と経済的苦境を打開し、政府の援助まで授けられることになったのは、まさにその情熱によるもの。これほどの熱意があって、なるほど、事が成し遂げられるんだとわかる。「タブローへの熱狂」(p206)。そして松方の身の上話がはじまる展開はすばらしい。
・第9章からの日置釭三郎の物語は一気に読ませてくれる。そして宵のカフェテラスで、静かに対面する日置と田代の姿が浮かび上がる。日置にとって松方からかけてもらいたかった言葉(p428)。それを口にする田代こそ素晴らしい!

情熱と使命感。それらはすべてを突き崩し、歴史を造りなすもの。最高の男たちの生き方(スタイル)に魅せられてしまった! もういちど、「国立西洋美術館・フランス美術松方コレクション」に足を運ぼう!

La liste des lumieres retrouvees
美しき愚かものたちのタブロー
著者:原田マハ、文藝春秋・2019年5月発行
2019年6月11日読了
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文化薫る上野の地、特に図書館を熱烈に愛する喜和子さん。小説家志望のわたしは、"奇天烈"な装いをして「あらやだ」を口癖とする自由奔放な彼女から、帝国図書館を主人公とする小説を書くように求められる。
作中作「としょかんのこじ」を手がかりに、喜和子さんの生涯を追いかける物語と、樋口一葉、宮沢賢治、淡島寒月、和辻哲郎、吉屋信子、中條百合子ら著名人や数々の著作、さらには上野動物園の動物までもが活躍する小説『夢見る帝国図書館』が併行し、交錯し、その最後に行き着く先は……。
・大学名誉教授と藝大生、「どんぐり書房」の店主、ホームレス彼氏。喜和子さんの知人が集い、彼女の人生と帝国図書館の関係が少しずつ明らかになってゆく。
・この国の女性にとって、至極封建的な家庭から解放されるということ。本作の根底に流れるテーマは深い。
・母と娘、そして家族のかたち。「あのね、ずーっとそうだったの。あたしの人生。ずーっとそうだったの」(p174)

自分のなりたかった自分になるということ。ウングリュックリッヒ(p215)な「女の子の一生」は最後に寿がれる。

最終章。帝国図書館と「小さな女の子」喜和子さんの物語は「発見」され、幕を閉じる。「バラック小屋の思い出」は最後になって涙を誘う。そして彼女を寿ぐ「祝祭」(p400)、人生の終わりにこれほど良い言葉はないだろう。感動を禁じえないままに書を閉じた。
時をおいて、また読みたいと思わせてくれた一冊となった。「いつか、図書館で会おう!」

夢見る帝国図書館
著者:中島京子、文藝春秋・2019年5月発行
2019年6月1日読了
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夢見る帝国図書館
中島 京子
文藝春秋
2019-05-15


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