男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2020年04月

APS-C用のTouit 2.8/12(換算18mm)はコンパクトで良いのだが、オートフォーカスのジージー音が気になる。それにどうしてもフルサイズ用が欲しくなり、Batis 2.8/18を購入しました。
SONY α7RⅣへの装着感も良い感じ。そして軽い!
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明石海峡大橋を試写。思った通りのきめ細かな描写に満足です。
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次の旅行が楽しみになってきました(しばらく先のことでしょうが)。


戦中、戦後の市井の日本人の姿。生きようとする魂が浅田次郎の筆によって、目前に蘇ったように描かれる。
・天の河の見下ろす富士の裾野で、「帝國陸軍上等兵」と「陸自士長」が出会う『不寝番』は、短い会話の重みが男の胸に響く。「ジャングルの中や船倉の底や、凍土の下に埋もれていった日本人を、外国人のように考えていた自分」(p164)には刮目させられた。
・『歸郷』は帰還兵の悲劇と、それでも生きようとする小さな希望を、街の娼婦の人生を絡めて描く。「もしかしたら、あんたが、三人目の神様かもしれないな」(p47)
・皇軍の証である金色(コンジキ)の鵄(トビ)を、染井軍曹は焼け跡の銀座にみる。『金鵄のもとに』は衝撃的な内容と相まって読むのが辛い。あまりにも辛い。「あんなところに四万人の兵隊を送り込んで、食料は現地調達しろってんだから、はなっから敵はアメ公じゃねえや」(p206)「……もうお国の勝手で飢え死んじゃならねえんだ」(p212)これが戦争の本質だといわれれば、その通りか。

世代を超えて語り継がれるべき「非戦文学」。日本人の魂のあからさまな姿をみた。
「お国のためも糞もねえ」(p29)。
家族のためにできること、生きることを考える。僕も昨今の"自粛ムード"に安易に流されないようにしよう。

帰郷
著者:浅田次郎、集英社・2019年6月発行
2020年4月16日読了
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帰郷 (集英社文庫)
浅田 次郎
集英社
2019-06-21



フルサイズ用の望遠ズームレンズ、SONY SEL200600Gを購入。
フードを含めて全長400mmはすごい存在感。質量も2kg越え。専用のケース(というより巾着?)も附属している。
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α7RⅣに装着すると……おおっ、カメラ本体が小さく見える。
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とりあえず今夜の上弦の月を撮影してみる。
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神戸上空の航空機を撮影。サイズのわりに手持ち撮影しやすいことを実感。
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APS-Cクロップでテレ端900mm、手振れ補正付き。期待が持てます。

数年前のケニア、タンザニア旅行では、α6000+SEL1670Zを携えていき「ほとんど役立たず」(ライオンに届かない悔しさ! カメラ初心者の大失敗!)だったので、捲土重来を期してもう一度東アフリカのサファリへ行き(今度は乾季!)、ライオンをしっかり撮るぞ!(できれば捕食シーンを。)


本書は、約2300点にもおよぶコレクションから厳選された代表作品をもとに、美術館での展示と同様、四つの時代を追って西洋美術史をたどる構成となっている。
ありがたいことに、序章から読みやすい文章とあいまって、西洋美術史としてのナショナル・ギャラリーの作品群が、美術に興味を抱く素人(自分です)にもわかりやすいように解説される。個々の絵画の背景と意味を考えると、なるほど、おもしろい!
・なるほど、ナショナル・ギャラリーは他国のように「王室コレクション」を開放したかたちではなく、最初から西洋美術史の教育・啓蒙を目的として設立されたのだな。ロンドンにいながら、ルネサンス期、15世紀フランドル絵画の真髄を堪能できる。素晴らしいことだ。
・二次元空間は天上世界、三次元空間は人間世界を表す(p22)。そして聖母の青いマントは神の叡智(天の真実)、変色している赤い服は慈愛を表す(p27)、か。
・側面像(プロファイル)に対するフランドル発祥の「四分の三正面像」(p33)が「古代のルーツ」(p46)を持つイタリア絵画にも拡まり、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロが現われ……こうやって美術は進歩していったんだな。
・宗教画化を窮地に追いやったプロテスタント革命、都市経済の繁栄に伴う市民階級の台頭。社会の変化によって求められる絵画作品も変わるのだな。個人的には「世界風景画」が気に入った(p96)。
・それがフィクションだとしても、キリスト教がわかれば西洋美術は何倍も面白くなる。そして17世紀バロック絵画は、特にカラバッジオ『エマオの晩餐』、カラッチ『アッピア街道で聖ペテロに現れるキリスト』、レーニ『エウロペの掠奪』(p108)などは、その高尚さと物語性のわかりやすさで見るものを圧倒する。
・ロランらの理想的風景画も見逃せない(p130)。これらがグランド・ツアーを経験した英国貴族のピクチャレスク・ガーデン趣味(p136)となり、やがてゴシック・リバイバル(p145)が生まれるのか。
・ドミニク・アングルの新古典主義とドラクロワのロマン主義。同時代の出来事さえ「歴史」として主題にする物語性は、市民層に好まれたのだろうな(p214)。僕も、巨大かつ凄まじいまでのオーラを放つ『レディ・ジェイン・グレイの処刑』(p216)に対峙した時の衝撃は忘れられない。
・そして自分の視覚に忠実であろうとする印象派が現われる。ゴッホの『ひまわり』は圧倒的だった。

ナショナル・ギャラリー(2回)、ポートレートギャラリー(1回)とも訪れたことはあるが、ルーブル同様、絵画の質と量に圧倒されてしまい、個々の絵画の意味など考える余地などなかったことを白状する。だが本書のおかげで、今年東京と大阪で開催されるロンドン・ナショナル・ギャラリー展では、より興味をもって鑑賞できることになりそうだ。

教養としてのロンドン・ナショナル・ギャラリー
著者:木村泰司、宝島社・2020年3月発行

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