男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2020年11月

■2020年11月23日(月) 朝の嵐山は快適!

6時に起床し、周辺を散歩してみた。
大堰川で優雅に遊ぶ(?)鴨の群れ。
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嵐山といえばここ、渡月橋。昼間は人でごったがえしてろくに観光もできないが、朝の時間帯ならゆっくりと鑑賞することができる。
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小雨が上がったと思ったら、おお、渡月橋に虹だ。
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朝食を終えてホテルをチェックアウト。荷物は京都駅へ送り、後で受け取るサービスを利用した。便利!

■天龍寺
嵐山を代表する寺院へ寄ってみた。ここは臨済宗天龍寺派の大本山で、庭園が見事だった。
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作者には申し訳ないが、ナウシカ「火の七日間」を思い出してしまったぞ。
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■竹林
これまた有名な竹林へ。外国人が結構いた。
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■嵐電嵐山駅
11時、小腹が空いたのでぜんざいを食すことに。恐ろしいことに、この20分後、嵐電嵐山駅周辺の店舗では、昼食を求める人々のものすごい行列ができあがるのであった。
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嵐電嵐山駅へ。キモノ・フォレストを観て、屋上から嵐山を一望す。
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■福田美術館
約1年前にできた新しい名所。展示物はそう多くはないが、写真撮影OK(東山魁夷の作品3点を除く)。
竹久夢二『初夏』、上村松園の『静御前』、速水御舟『頬白』が気に入った。
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そしてここの「売り」はカフェから望む渡月橋の景色だ。ランチもリーズナブルで美味だったし。
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ここへはまた来たいな。

■二条城へ
嵐電嵐山駅から地下鉄を経由して二条城へ。嵐電「ペコちゃん車両」はなかなかのものだった。
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ここは穴場的というか、意外と空いていた。唐門はいつみても豪華絢爛。
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二の丸庭園~清流園も好みだったりする。
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ここに来たら必ず飲む「抹茶ビール」。おいしいかと問われたら……。
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■京都、やはりエエところ。
京都駅で無事に荷物を受け取り、新幹線を待つこと約30分。駅構内はどこも観光客でごった返している。コロナ下でこんな光景を観るのは初めてだ。
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さて、戻ろうか。
新幹線ひかり519号で西明石へ。20時に帰宅できた。

今回の旅で使用したカメラ機材は次の通り。
・カメラはSONY α7RⅣ
・レンズは3本。リュックがとても重かったです。
 SONY SEL24105G(F4/24~105mm標準ズーム)
 SONY SEL70200GM(F2.8/70~200mm望遠ズーム)
 SIGMA 85mm F1.4 DGDN ART(F1.4/85mm単焦点)

京都は近いし、また行こう!

最後まで拙文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

紅葉の嵐山を見たくて、「Go Toトラベル」を活用して行ってきた。結論的に「紅葉真っ盛りの嵐山」には1週間ほど早かったようだが、早朝の人の少ない渡月橋や宝厳院の紅葉ライトアップ等を存分に楽しめた。

【参考データ】
2020/11/22(日)
 新幹線ひかり500号 西明石8:24発~京都9:02着
2020/11/23(月)
 新幹線ひかり519号 京都18:43発~西明石19:20着

宿泊先
「京都・嵐山 ご清遊の宿 らんざん」(11月22日一泊)


■2020年11月22日(日)まずは平安神宮へ

交通は迷ったが、「コロナ」「安全」をキーワードに新幹線を利用することにした。らくちん! 
でも、ひかり500号はけっこう混んでいたりする。9時過ぎに京都駅へ到着、コインロッカーへ荷物を預けるが、ここ(八条口)が京都駅のいわゆる表玄関(京都タワー側)の反対側と思っていなかったものだから、あとでコインロッカーの場所を探すのに苦労するハメとなった。

さっそく地下鉄烏丸線~烏丸御池で乗り換え~東西線で東山駅に到着。6年ぶりの平安神宮へ向かうが、駅からはけっこう離れている……。

おお、大鳥居の朱色がとても鮮やかだ。
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左手には京都市電の名残が。
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右手に巨大な美術館を見ながら、参道を進むと、応天門にたどり着く。
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応天門をくぐると、太極殿だ。(本殿はその向こう側)向かって左の白虎楼、右の蒼龍楼とのバランスが実に良い。
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白虎楼
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軽く参拝し、庭園(神苑と呼ぶそうな)を巡ることにした。
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臥龍橋
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春は桜が美しかろう。また来ようと思う。
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■京都市京セラ美術館

昭和8年に開館し、令和2年春に新生した京都市京セラ美術館。pen 2020/4/1号を見て、一度来てみたかったのだ。
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帝冠様式は好みだ。
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最新鋭の美術館だけあって、館内の案内はすべてデジタルサイネージ。年季の入った建築物との対称がとても良い感じだ。
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美術鑑賞の前に腹ごしらえを。館内のカフェ「ENFUSE」を利用したが、ビーフカツサンド(1,300円)は、本当に"カツを挟んだだけ"でサラダもないし、ウェイターは先にコーヒー(600円)だけ持ってくるし(サンドが来る頃にはすっかり冷めた)、サービス、メニューとも最低ランク。よくこんな店をテナントにしたなぁ。もう二度と来ないぞ。

さて、気を取り直して……。人も少なく、ゆっくりと鑑賞できた。
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個人的には「京都の美術 250年の夢」(\1600)よりも「コレクションルーム 秋期」(\730)のほうに興味がわいた。なかでも丹羽阿樹子『奏楽』には、その色彩と"素材感"、見えない表情に圧倒された。

この美術館の建築物と庭園も見どころとなっている。
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時刻は14時20分、そろそろ移動しようか。

■嵐山へ

地下鉄でJR京都駅へ戻り、荷物を回収。でも、コインロッカーのン場所がわからずに、10分近くうろうろと……。八条口側(新幹線側)のコインロッカーであることを認識し、やっと回収できました。トホホ。

JR山陰線に乗って嵯峨嵐山駅へ。
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約1キロの道のりをホテルへ向かうのだが、観光客のただなかをキャリーケースをごろごろと転がすのは優雅ではない。
そして、なんか……すごく人が多い……。
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16時40分にホテルへ到着。JR嵯峨嵐山駅駅から遠いのはわかっていたが、結構疲れたぞ。
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■宝厳院 夜間ライトアップ

ホテル「京都・嵐山 ご清遊の宿 らんざん」は嵐山の奥まった場所にあり、最初は不便に感じたが、実は観光名所(天龍寺、宝厳院、竹林)に近かったりする。
https://www.kyoto-ranzan.jp/

特に宝厳院は目の前で、優先鑑賞チケットを事前に購入していたので、長蛇の列に並ばないですんなり入場することができた。
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青竹が幽玄的。
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燃えるような紅。
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五百羅漢も。
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ホテルへ戻って夕食タイム。肉が美味だった。
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これで大浴場が天然温泉だったらいうことはないのだが、ここは我慢。

続きます。

本書の中核をなす『日本膨張論』は時代がかっているが、よく読めばなんのことはない、ソフト・パワーの浸透を意味しており、著者の心髄が吐露された名文である。また、いわゆる「世界主義」なるものの偽善性を暴くくだり(「国際的なるものに生命なし」「世界主義に隠れた民族思想」)は、現代的価値観からすれば疑問符が付くものの、心得としては有用だといえよう。
その前段、第二章では現代日本の知の巨人=小倉和夫、渡辺利夫、佐藤優、V・モロジャコフによる解説が開陳される。後藤の「世界認識」と現代日本とのかかわりを理解する一助となった。
・元勲・伊藤博文との議論が熱い(『厳島夜話』)。日本帝国本位の世界の恒久的平和の実現、日中関係が実は世界的問題であること、この時代にしては画期的な独仏同盟、ロシアとの対話などなど。後藤の話を傾聴しつつ、伊藤は「気色凄まじく私を難詰して滔々と数百言~」非難し、数日間、深夜まで議論は尽きなかったという。伊藤にロシア宰相との会談を奨めたことが、ハルビン駅で朝鮮人テロリスト安重根に暗殺される遠因となったことは、後藤にとって悔やみきれなかったことだろう。
・眠れる獅子、清国の実像を暴き、欧米列強の進出を招き、さらにはロシアの南進を招いた日清戦争こそ「士族の商法」とバッサリだ(p84)。そして日露戦争の結果を後藤は憂慮する。
・人生訓も盛りだくさん。理想は「具体的に実現されつつその内容を付与されていくところに真実の価値がある」(p152)と「実現力」の重要さを説けば、(西洋)文明・知識はいたずらに模倣するものではなく「自己に同化し融合させて自己の用に供する」(p149)ことで価値を生ずると、大和民族を諫める。
・英国人の「人道主義的世界主義」なるものに対しても後藤は容赦ない。「甚だ露骨な民族思想の姿を、最も麗しい世界主義であるかのごとく錯覚している」(p158)
・『不徹底なる対支政策を排す』では、列強の動きに乗じて大陸への領土的野心を抱く議論をけん制する。曰く、日本と中国が一心同体となり、東亜の安念を作り出すことが肝要と。その後の歴史の展開には、後藤は目を覆うことであったろう。
・後藤は一個人としてスターリンと面会している。すでにソ連が赤化運動の方針を転換していたころである。後藤の説く日露支の三国協商が成立し、さらに日米協調との効果を発揮できていたなら、そして節操なき軍部の独走を抑えることができていたなら……世界は変わっていたんだろうなぁ(『東洋政策一斑』)。

しかし、何という世界観の違いであろう。第一次世界大戦のさなかにあって、一等国になる予感をもち始めた時代においてさえ「日本人は自信を持たねばならない」(p160等)である。現今の理想も希望もない「先細り時代」の日本人には、後藤の『日本膨張論』は空しい過去の出来事とスルーされるだろうか。否、僕はこれを叱咤激励として自身の胸中に響かせたいと思い、知と実績の巨人の手になる本書を静かに閉じた。

シリーズ後藤新平とは何か 自治・公共・共生・平和
世界認識
編者:後藤新平歿八十周年記念事業実行委員会、藤原書店・2010年11月発行

公爵家の宮殿に生を受け、パブリックスクールと陸軍士官学校を出て将校となる。若き時分から葉巻と昼寝の習慣を持ち、西インドとインドで帝国的視野を拡げ、政治家に転身しては名演説で議会を主導し、閑職にある時は絵筆を握り、ときにレンガ積みに精を出し、優れた文筆家として晩年にはノーベル文学賞を授かることとなる。1930年代にはヒトラーへの宥和政策を続ける政府を非難し続け「戦争好き」と四方から嘲りを受けた……。
そう、彼こそは、ナチスの惨禍から英国と全ヨーロッパを救った男、チャーチルである。本書は、植民地主義時代の大英帝国の盛衰と、その一生涯を帝国と共にした彼の足跡を「帝国主義者」としての側面から追う評伝である。
・若き将校時代から自身の体験談による著作をものとしたチャーチル。著作からは、アジアの土民や「ホッテントット」を調教する「帝国的使命感」が窺える。不快だが、当時一般の白人支配層の認識でもあったのだろう。
・第一次世界大戦の戦車、飛行機と潜水艦の導入を指導したのが彼だったとは知らなかった。
・第二次世界大戦に臨むにあたっての名演説「血、労力、涙と汗」とフルトンでの「鉄のカーテン」演説は、永遠に語り継がれるであろう。

2002年にBBCが企画した「偉大なイギリス人」で見事一位を獲得しただけでなく。5ポンド紙幣にその肖像が印刷された、絶大な人気を誇る人物、チャーチル。その彼をもってしても制止できなかったのが「帝国の解体」だ。世界大戦後、民族自決は当たり前のものとなり、旧来の帝国主義的な行動は許されなくなった。チャーチルはこのことを理解していたにもかかわらず、それでも死ぬまで帝国主義者を貫こうとしたのか……。ある意味、潔い人生だったと思う。

世界史リブレット 人 97
チャーチル イギリス帝国と歩んだ男
著者:木畑洋一、山川出版社・2016年2月発行
2020年11月11日読了
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最終日ということなので、神戸から大阪・堺まで出向いてきた。
(2020年11月8日)
ベルマージュ堺弐番館の二階に位置する小規模な美術館だから、建物に価値は見いだせない。その分、展示物で勝負なのに、写真撮影が許可されないのは日本の美術館の悪しき風潮だな。
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■修業時代
ミュンヘンでの修業時代。ノルマをこなすだけでは上達は見込めない。ミュシャの「一日16時間働いてなんぼ」とのセリフが印象に残った。その成果あって印刷物の挿絵の仕事を得るが、ブレークする前の静かな印象だ。

■パリでの活躍
サラ・ベルナールのポスター「ジスモンダ」を突貫工事で仕上げたことから、派手なパリ・デビューとなる。『椿姫』『メディア』の本物など、アール・ヌーヴォー全盛期の華やかなパリ時代のミュシャ作品最もミュシャらしい作品群が展示されていた。
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■新たなる道へ
1900年パリ万博。ベル・エポック華やかなりし頃の雰囲気を少しはつかめたかな?
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■祖国に帰って
さすがにスラヴ叙事詩は小さなパネルでの解説だけだった。

芸術に触れるのは小さな非日常。次回もまた来たい。
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護国卿クロムウェル。この、王になり切れなかった新教徒はジェントリから身を起こし、国王に与する議員を強制追放するなどして議会を掌握し、王権神授説の支配する近世欧州で禁忌とされる国王の処刑を敢行した。そして欧州中を敵に回しながらもスコットランドとアイルランドを武力で鎮圧しイングランドの支配下に置いた、いわば英国史上の「悪党」にして「英雄」である。
本書は、英国史を彩る「7人の悪党」をピックアップし、その時代の俯瞰を試みる一冊となっている。
・名誉革命の立役者、ウィリアム三世。第三章に示された彼の経歴からは、名誉革命のみならず、オランダ総督、イングランド国王、スコットランド国王、アイルランド国王として欧州各国と同盟し、ルイ14世の野望を挫いただけでなく、確固たる財政基盤を持つ軍事国家としてイギリスを大国にのし上げた功績はあまりにも大きい。その偉大な業績を持つ彼も「オランダ人」として常に国民にさげすまれ、死後急速に忘却されてゆく様は、哀しいものがある。それにして「島国根性」と「集団安全保障」に関する記述は、まるで現代日本のことではないか(p118)。
・パーマストン。あのメッテルニヒから「悪魔の子供」と言われ、ヴィィクトリア女王にも忌み嫌われた、英国黄金時代の外相、首相である。彼は「世論」と「新聞」を駆使しつつ、LiberalismとNationalismの風潮をかぎ取ったConference Diplomacyを主導し、Pax Britanica時代を築き上げた功労者である。ローマ市民演説(p188)はその最たるものと言えよう。ただし中国・日本・インドには容赦なく、Imperialismを萌芽させた人物でもあり、アジア人にとっては確かに「悪党」だったといえよう。
・『一人の人間の存在が歴史を大きく変えうる』(p282)こと。すなわち『チャーチル・ファクター』とは現役の英国首相、ボリス・ジョンソンの言葉である。まさにチャーチルがいなければ世界史は異なる様相を見せていたであろう(おそらく大日本帝国も存続し続けていた)。その彼も第二次世界大戦前は孤立し、対独融和ムードの中で悪辣な言葉を投げられる存在だったのか。また「サミット(頂上会談)」が彼による造語だったとは知らなかった(p271)。

「臣なき国王」クロムウェルの最期は病死とあっけなく、その死後は「悪党」とされ、遺体を掘り返されて議会の尖塔に吊るしさらされるなど、きわめて悲惨なものだ。だがチャーチルが国王の反対を押し切って戦艦に「クロムウェル」と命名するなど、彼が英国史に記憶される「英雄」であることは疑いない。パーマストンも皆に嫌われた一匹オオカミながら、70歳を超えて砲艦外交(すべてを見渡す目と強力な腕:p188)により、確かに英国を栄光の座へと導いた「英雄」であった。チャーチルについては言うまでもない。
チャーチルの章で著者が述べる「全人類的な平和の構築という考え方を生み出す素地」(p284)としての大英帝国には、僕も賛意を表する。
人物を基軸に時代を俯瞰すると、歴史はここまで面白くなる。グローバル・ヒストリーと絡ませればさらに興味深くなると思う。

悪党たちの大英帝国
著者:君塚直隆、新潮社・2020年8月発行
2020年11月7日読了
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悪党たちの大英帝国(新潮選書)
君塚直隆
新潮社
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6時30分起床。猿沢池を散歩。晴れてよかった。
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■2020年11月1日(日) いざ、東大寺大仏殿へ
「さるさわ池 よしだや」をチェックアウトし、タクシーで奈良公園へ向かう。初秋とはいえ、良い感じに色づいているぞ。
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南大門を経て、中門へ。
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拝観料を支払い、いよいよ東大寺大仏殿へ。
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実に40年ぶりの対面です。
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御尊顔をクローズ・アップ。
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大仏さんの背面です。
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本殿内は見所がいっぱい。
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いやぁ、楽しめたぞ。
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■二月堂
ゆるやかな階段と坂道を上ると、そこに二月堂はあった。
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内部へは入れないから、景色を楽しもう。
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ループバスに乗って春日大社へ向かいます。

■春日大社
そうか、七五三の季節か。
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巫女さんは美しい。
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回廊には燈篭がいっぱい。かの徳川綱吉公も奉納したとされる。
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御神木
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こりゃスゴイ。
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春日大社、ここも良かった。
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バスで近鉄奈良駅へ向かい、昼食は中華料理。興福寺を経由して旅館へ戻ります。
荷物を車を回収し、帰路へ。はやめの15時に出発。
阪奈道路を経由して阪神高速へ。京橋サービスエリアで小休止のあと、17時に無事帰宅できました。


今回の旅で使用したカメラ機材は次の通り。
・カメラはSONY α7RⅣ
・レンズは3本。ともに活躍してくれたけど、リュックがとても重かったです。
 SONY SEL24105G(F4/24~105mm標準ズーム)←大活躍
 SONY SEL1224GM(F2.8/12~24mm超広角ズーム)
 CARL ZEISS Batis 2.8/135(F2.8/135mm望遠単焦点)


最後まで拙文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

今年はコロナ・ウィルスのせいで海外旅行に行けないから、国内旅行に力を入れています。

京都へは何度も訪れたが、奈良へは小学5年の遠足で行ったきり。
鹿の鳴き声(幻想?)とGoToトラベル・キャンペーンに背中を押されて、小旅行を敢行してきました。
人出はまぁまぁ。外国人が本当に少なかったです。

【参考データ】
宿泊先:さるさわ池 よしだや(1泊)

■2020年10月31日(土)法隆寺へ

今回はマイカーでの旅行となる。8時20分に自宅を出発。第二神明道路、阪神高速神戸線と環状線、松原線を経由し西名阪有料道路へ。香芝サービスエリアで小休止のあと、法隆寺ICで一般道へ下りた。

近傍の駐車場(一日500円)に駐車し、参道を歩く。
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第一の目的地、法隆寺には10時20分に到着し、南大門と正対す。
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拝観料1,500円? しかたがないなぁ……。
でもその価値はあったと思う。

西院伽藍へ入ると、五重塔と金堂が見えてくる。
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平山郁夫画伯の筆によるもの、とある。
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仁王さんが良い感じだ。
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西院伽藍の中は、飛鳥時代を思い出させる(?)世界だ。
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五重塔の内部へは入れないんだな。残念。
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大講堂
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大宝蔵院では仏像と聖徳太子像を鑑賞できる。

夢殿。美は細部に宿る。できた当時はさぞかし美麗だったんだろうなぁ。
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昼食は参道沿いにあるレストラン「太子堂」で「梅そばと柿の葉寿司」セットを注文(1,100円の良心的プライス)。梅蕎麦は初めて食すも美味でした。
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13時に再出発、奈良の中心部へ向かいます。

■猿沢池と興福寺
まずは旅館に荷物を預け、近隣の提携駐車場に車を停めます。
本当、猿沢池の目の前にあるんだな。
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坂を上がって興福寺へ。ここは想像よりも広い。おもな見どころは東金堂、国宝館、そして再修復なった中金堂となる。
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興福寺中金堂。ここへ来たかったんだ。仏像は見事だが、内部は撮影禁止だった。
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東金堂は外れだが、国宝館は大当り。拝観料金分を存分に楽しめた。
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北円堂は期間限定の特別拝観らしい。ここも仏像ばかりだ。
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それにしても、鹿のかわいいこと! 離れた場所からの撮影には、Batis2.8/135が大活躍した。
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■ならまちを散歩。
普通の商店街ではなく、古都のイメージを活かした「ならまち」は歩いていて楽しかった。でも、狭い道路に車がバンバン入ってくるのは関心しないなぁ。
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■さるさわ池 よしだや
https://www.nara-yoshidaya.co.jp/

ここはこじんまりとして良い旅館だった。料理も〇。
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続きます。


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