男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2021年02月

シティ、ウェストエンド、パレス、ウェストミンスター、ケンジントン、チェルシーの地域別に章立て、それぞれ「ロンドンの牧野義雄」「ミルワード先生のロンドン案内」としてロンドンにおけるマキノの足跡と、歴史的・地理的観点からエッセイがつづられる。
・1907年『THE COLOUR OF LONDON』の出版で一躍「ときの人」となり、1911年には牧野義雄の名が裕仁皇太子、東郷平八郎と並んでデイリー・メイル紙の年間に掲載されていたとある(p16)。それが一旦英国を離れて1927年に戻ると「過去の人」として扱われ、第二次世界大戦後には貧しく寂しい老後を日本で迎えることになるとは……。芸術の道は厳しいな。
・イギリス人の嫌う「ロンドンの霧」を芸術の域にまで高め、彼らにその魅力を気づかせた「霧のマキノ」。彼の、建物の正面から全景を描くのでなく、その一部を描きつつも、それが何であるかを知らすべき技量には感服だ(p25)。
・牧野の絵はどれも好みだが、『月夜のヴィクトリア・タワー』(p119)が特に良いな。雲に月光が反射し、薄明るい夜に国会議事堂の黒いシルエットが浮かび上がる。灯りの下に佇む(たぶん)若い女性は、ウエストミンスター・ブリッジの向こう側から来るはずの良人を待っているのだろうか。ムード溢れる一作だ。

20世紀を迎えるころには地下鉄も電化されて縦横無尽に八田宇していたはずだが、牧野の絵には現われない。「むしろ牧野は、戸外の地上で--少々不便でも、より人間的に--、あちこち動き回るほうが好きだったようである」(p152)か。僕もロンドンの地下鉄より、街を歩くほうが好きだ。マキノの気持ちがわかるような気がする。Milward氏の思い出話もあいまって、興味深い読書体験ができた。

My Fair LONDON
マイ・フェア・ロンドン
著者:Peter Milward、恒松郁生、中山理(訳)、東京書籍・1993年9月発行
2021年2月24日読了
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マイ・フェア・ロンドン
郁生, 恒松
東京書籍
1993-09-01



α7S3(ILCE-7SM3)を買ってしまいました! お値段40万5千円!(ソニーストア)
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愛機α7RⅣは絶好調なのですが、夜間撮影に一抹の不安が……。なにより、屋外でレンズ交換をするのをやめたいのです。
1200万画素ではありますが、PCモニタで鑑賞するだけなので問題ありません。それより高感度性能に期待しています。
・新しい電子ビューファインダーの素晴らしさは、感動の一言です!
・SDカードの挿入方向が、α7RⅣと逆になりました(背面側に端子を向ける)。
・動画性能は、いつか試します。

神戸、明石、龍野で試し撮り。問題ありません。
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6100万画素のα7RⅣは望遠側(クロップも)、低画素だが高感度機α7SⅢは標準~超広角に割り当てて……。
どちらもSONYらしいトンがったカメラ。両方を「相棒」にします。

1928年(昭和三年)はじめに英文学研究のために渡英し、ときに大陸諸国を見聞し、1929年春に帰郷した著者の紀行文学である。漱石渡英から約30年。欧州大戦を経て国力の衰退がみえはじめた英国の生々しい姿が開陳される。
・英文学の泰斗である著者にとって何が一番の楽しみであったか。倫敦古書籍漁りがそれである。著名人の蔵書票や書き込み、紙の匂い。オスカー・ワイルドに関する資料蒐集では、古書店店主の堅い約束(p114、金を積む米国人にではなく、先約あった著者に廉価で販売)に感動したりもする。「文学や芸術の批評は……常に作者のこの態度をみること、作者の『人間』そのものをみること」(p125)か。
・1928年といえば、まだまだ日本趣味の記憶が新しい。英国人にとって興味を持たれているのは「錦絵」「能楽」であり、その「舞台面の簡素で象徴的な点」や「幽玄物などが東洋思想の精髄の一つ」を遇する点が評価されているという(p147)。
・場末の舗道画家ガル君。芸術家として最下等な彼は、パリに行けば有名になれるとの友人の提言に首を振る。「英吉利人として英吉利にいたいからです。倫敦のまっただ中で、都会の渦巻きの中で、生活に直面するのも愉快なことです」(p91)。この心意気、良し。
・『マアトン・アベーにヰリアム・モリスを偲ぶ』は、ロンドンの西南の田舎に、ウィリアム・モリスの工房(第二次世界大戦で破壊された)を訪れる一篇だ。彼の遺した装飾は現在でも通用する様式であり、その「自己の創造衝動を思いのままに発揮」(p179)させた片鱗を垣間見ることができる。工業芸術の改革家にして、詩人・思想家。いつか彼の文学作品に触れたいと思う。
・舞台俳優レオン・エム・ライオン氏をウィンダム座の楽屋に訪ねる『俳優ライオン』の章が印象に残った。かつてローレンス・アーヴィングの下で『大風』を端役として演じた思い出、坪内逍遥のこと、歌舞伎の"型"に寄せる思い(日本芸術の"型"に対し、の英国芸術の神髄は破壊・建設・清新にある)、芸術家としての俳優(下僕の精神での謙虚さと、芸術家としての矜持のバランス、p197)。そして別れ際のウィスキーでの乾杯"エターナル・スピリット"など。第一級の人物の語りは、やはり違うな。
・「英国芝居見物」(p199~)では『ジャスティス』『帰りの旅:新ファウスト劇』『敵』『焦熱地獄』の観劇録、作者や俳優へとの会談録が収められている。『焦熱地獄』の登場人物の科白「吾々はどこへ旅するのかわからない。しかし~」と、道上の障害物を除去し、ともに歩く友人や後から来る旅人の通りやすいようにベストを尽くすようにしたい、には感銘を受けた(p299)。
・カフェ・ローヤル、アベラールとヘロイーズの比翼塚訪問記、プラハで開催された世界民族芸術大会での日本評など、興味深いエピソードも楽しく読むことができた。

欧州航路での体験も興味深い。上海では魯迅夫妻と昼食をともにし、香港では支那人や印度人への「牛馬のような扱い」に憤慨し「人種差別撤廃」など遥か先のことと思う。箱根丸の船内では、蓄音機から流れる音曲から歌舞伎の舞台に思いを馳せ、日本を離れるに従い、何気ない日本の文物を心に浮かべることとなる。
「吾々が日本を離れて遠く外国へゆくのも、実は本当に日本のことをよく見極めるためであるのかも知れません」(p363)まったく同感だ。

滞欧印象記
著者:本間久雄、東京堂書店・1929年12月発行
2021年2月21日読了
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大英帝国の最盛期に国費留学生としてロンドンに赴いた漱石。本書は、漱石の遺した日記、随筆、断片から1901年の彼を取り巻くロンドン社会を再現するとともに、その足跡を追う興味深い一冊となっている。
・なんといってもボーア戦争の衝撃だ。南部アフリカのオランダ人の小さな2国=オレンジとトランスヴァールを倒すのに思わぬ苦戦を強いられた20世紀最初の戦争は、さぞヴィクトリアを苦悩させたであろう。その女王も戦争後半に屈辱的かつ非人道的な焦土作戦・収容所作戦を採用せざるをえなくなった事態を知ることなく、愛するアルバート公のもとへ旅立って行けたのは、まだ救いといえようか。
・そのヴィクトリア女王の葬送の大行列は、ロンドン市民を、そして漱石をして早朝の沿道に見物の列をなさしめた(2章)。「園内の樹木皆人ノ実ヲ結ブ」とは漱石の絶妙な表現だ。
・詩人の野口米次郎、画家の牧野義雄を魅了した「ロンドンの霧」。その実、鳶色=煤煙交じりの迷惑でしかない公害現象を、イギリス人の思いもよらない感性によって芸術の域に高めたのが、日本人の二人というのが興味深い(1章)。特に牧野の『THE COLOUR OF LONDON』は現在でも色あせない価値を放っている。若き日に一躍時代の弔辞となりながら、晩年には顧みられることなくこの世を去った牧野は、もっと日本で知られても良いはずなのに。
・毎月の少ない給付金から古本をどんどん贖い、夜ごと劇場やバラエティ・シアター(ミュージックホール)に足しげく通い、火曜日にクレイグのもとへ通う漱石は、充実した日々を満喫していたように思われる。6章から8章にかけての著述はとても読みごたえがある。
・19世紀末に公衆浴場、公衆洗濯場が完備され、漱石もよく「入浴ス」(9章)か。
・山盛りのイングリッシュ・ブレークファスト、ランチ、豪華なアフタヌーン・ティー、ディナーに就寝前のサパー。「ウチノ女連ハ一日五度食事ヲスル」で漱石が驚かされたのもわかる。そして下宿での食事の合図にゴングが鳴らされるのは面白いな(12章)。
・15章では、漱石の日記に突如現れる「小便所に入ル」の文字を著者は明快に解き明かす。当時の社会事情と漱石の事情(良く散歩するから腹が減る)も相まって納得だ。
・漱石の突然のスコットランド旅行の謎を解明する23章は読みごたえがある。なるほど、ラスキンの作品の影響か。芸術作品に刺激を受けて「その地」を訪問する行動って、わかる気がする。

20世紀初頭のロンドン。「本を買うのが目的」として、いきなり文明の中枢へ乗り込んだ漱石の刺激的な日々を楽しく追体験できた気分、また漱石と同時代の渡英人、牧野義雄への言及も多く個人的に嬉しいところだ。この二人に交流があったならば、歴史はさらに面白くなっていたに違いない。

自転車に乗る漱石 百年前のロンドン
著者:清水一嘉、朝日新聞社・2001年12月発行
2021年2月20日読了
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吹奏楽部を引退し、進学先も決まり、特にやることのない毎日を送る高校三年の三学期。何気ない日常からこぼれおちた感情が、ちょっとしたドラマを惹き起こす……。
『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部のホントの話』(2018年)一章と一三章がスケールアップしたような、中川夏樹メインのスピンオフ。3年生キャラが活き活きと動くさまを楽しみ、一方で武田綾乃さんの繊細な、実に繊細な心情表現と情景描写に何度も唸らされ、実に心地良い読書体験を味わうことができた。

『傘木希美はツキがない。』 希美の後ろ姿、揺れるポニーテール。思えば3年前の体育の授業での邂逅から、自分はずっと、この後ろ姿に憧れていたのかもしれない。第一話では、希美が吹奏楽部を去るエピソードが丹念に描かれるとともに「エレキギター」がクローズアップされる。
・「信じてた」「それでも信じてた。うちならどうにかできるって」。この希美の重いセリフを笑顔に変えることが、その瞬間の夏樹の望みだったのなら、なるほど、それは罪だ(p91)。そして希美が去っていった1年生の夏……。
・夏樹と優子の掛け合いはまだまだ健在。「確か、アンコールワット的な……」(p24)「直情型だと思っていたが、頭を使うこともできるらしい」(p64)には笑わせてもらいました。
・1年の時に吹奏楽部を退部し、インストジャズバンドを結成し活動している新キャラ、若井菫も魅力的だ。

『鎧塚みぞれは視野が狭い。』 古風な喫茶店での、みぞれの音大合格祝いから始まる第二話。恋人ほしいか?トークに、みぞれの暴力的な無垢が炸裂する(p134)。それにしても優子、君は本当におもしろい子だな……。
・夏樹が副部長に推された理由。希美の立ち位置。そして田中あすかの恐ろしさよ……。
・ひらかたパークでのアトラクションを楽しむ4人組。みぞれの「フリーフォール」発言と3人の硬直にはニヤリとさせられた(p168)。そして「彼女はためらいなく空へと飛びこむ」(p188)のだ。

『吉川優子は天邪鬼。』 演奏会に向けての練習にも熱が入る第三話。髪を下した夏樹(p217)が新鮮だ。
・個人的には、神戸ルミナリエ(p208)が取り上げられたことに感謝!
・照明を落とした自室で、電飾LEDの青色に照らされながら、優子の言葉に瞳を潤ませる夏樹(p289)。彼女にとって最高にうれしい言葉だろう!
・そしてライブがはじまった。夏樹と優子のツインギターには感無量!

『記憶のイルミネーション』。希美の視点で綴られる初回限定特別短編。
夕暮れのメリーゴーラウンド。夏樹との何気ない思い出話の中に、希美の寂しさが垣間みえる。大学生になった彼女に新しいステージの花開かんことを祈ります。

「誰かに頼りにされていた自分は、本当の自分が必死に背伸びした姿だ」(p14)。それが成長だと気づくとき、少しだけ大人になった自分がそこにいる。夏樹、優子、みぞれ、希美。時が過ぎても4人の関係はこれからも続く、そんな予感を確信して書を閉じた。
3月発売のドラマCDも楽しみ。武田綾乃先生の次回作にも期待しています。

飛び立つ君の背を見上げる
著者:武田綾乃、宝島社・2021年2月発行
2021年2月14日読了
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大日本帝国時代の東アジア旅行はおおらかというか、国内とほとんど同じ感覚で歩くことができたんだな(洋行は別)。帝国領土の朝鮮、台湾、樺太、関東州だけでなく、満州でさえ国内扱い。日本語のみで何ら困ることなく、アジア最強の通貨=日本円だけで何不自由なく旅行でき、支那大陸でさえ査証どころか昭和12年まではパスポートも不要だったそうな(シェンゲン協定みたい)。
本書は東アジアに対象を絞り、昭和時代の、主に戦前戦後の各種ガイドブックを紐解き、当時の旅行の実態を追体験するとともに、日本人の旅行観とアジア観の変遷をたどる一冊となっている。地図や写真も満載。
・海外との定期旅客船(一般人でも乗船できる)が就航したのは、1859年(安政6年)のP&O社による上海~長崎航路とのこと。意外と早かったんだな(p11)。
・物見遊山は許されず、(観光)旅行に大義名分が必要とされた時代は古くはお伊勢参り(抜け参り)から昭和十年代(戦地跡視察)まで続く。すごく日本人らしい(p10,22,32)。そして国が推奨した、学生や生徒が満州・朝鮮で戦績をめぐる旅行が「就学旅行」として定着したのか(p45)。
・支那の呼び名が中華民国に改められたのは、1930年(昭和5年)か(p18)。
・なんと戦前は、東京からロンドンまでの通し切符を購入できたとある。もちろん一枚ものではなく冊子状の「切符帖」だが、シベリア鉄道を活用することで実現できたこの制度、現代でも復活しないかな(p52)。
・はやくも1928年には東京~京城~大連の日本航空輸送の定期旅客便が飛行し、当時としては画期的な10時間での旅が実現している(p120)。
・中国の通貨「元」はYuanである。これは中華民国時代に、それまでの形状と異なる円形の通貨が鋳造されるようになり、園貨(円貨)と呼ばれ、字画が多いため、同音の「元」が代用された定着したという(p149)。目からうろこだ。
・戦前日本人観光客のアクティビティは多彩だ。新高山(玉山)金剛山への山登りや、スキー、キャンプを実践し、温泉を開発し、ハルピンのロシア式キャバレーや京城の妓生による接待を愉しんだ。当時の西洋式ホテル=ヤマトホテルは現在も奉天と長春で営業中とある(p173)。今度訪れてみよう。
・平成イランの「日本語ペラペラ事情」が興味深い(p275)。

敗戦後、旧帝国領土をめぐる状況は一変し、海外旅行が自由化されたのは昭和38年になってのことだ。それでもパスポートと外貨による制限は厳しく、むしろ海外旅行は戦前よりも高根の花となってしまった。ジャンボジェット機の登場によって運賃が下がり、格安航空券が広まって個人旅行者、特に女性が増えたことにより、「男性天国」だった戦後の韓国(世界史上に例をみない、政府による売春観光政策!)・香港・台湾のイメージも一変した。身近なアジアを対象に「海外ひとり旅」が当たり前のこととなった。
戦前・戦後の日本人旅行事情と、激変した東アジア事情を興味深く読むことができた。

旅行ガイドブックから読み解く明治・大正・昭和 日本人のアジア観光
著者:小牟田哲彦、草思社・2019年6月発行

明るい中望遠レンズが欲しくなり、Batis 2.8/135を所有しているのに、SIGMA 85mm F1.4 DG DN ARTを購入してしまった。
とにかく軽い! SIGMA 35mm F1.2 DG DN  Artの重さと比べたらその恩恵がよくわかるというもの。
ハイスピードレンズの魅力が凝縮された85mm F1.4 DG DN ART。僕はポートレート撮影はほとんど行わず風景メインだが、85mmで切り取ったピント面の薄さと美しいボケを手軽に楽しむことができる。これはクセになりそう。
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明石城で試し撮り。
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長く愛用するぞ。


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