男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2021年03月

1851年ロンドン万博行きトーマス・クック社の「パック旅行」から東京ディズニーランドまで、古今東西の観光旅行事情を著者の実体験と絡めて楽しく解説する良書。斎藤茂吉、田山花袋、森鴎外、夏目漱石、アガサ・クリスティ、コナン・ドイルらの人物、作品らも引用され、興味深い一冊となっている。
・大洋を横断するオーシャン・ラインにしろ、オリエント急行にしろ、現代の航空旅行では得られない優雅さとロマンへの愛着(p74)が確かに存在したんだな。
・「鴎外『オリエント急行』に乗る」の章。1887年の赤十字総会での、いまだ人種差別をぬぐえない欧米諸国に対する森林太郎の言動は特筆ものだろう(p84)。そんな彼の色恋沙汰も愛嬌か。『独逸日記』を読みたくなってきたぞ。
・イギリスでは産業革命が、日清・日露戦争に勝利した日本では軽工業の発展が中産階級の輩出をもたらし、それがレジャーを普及させ、観光業を促進させたのか。
・個人的には、日本初の世界一周旅行の章を興味深く読めた(『九十日間世界一周』)。神戸では数十本の幟が風にはためき、オリエンタルホテルの用楽隊が景気をあおるお祭り騒ぎ(p202)。サンフランシスコでは9階建て、客室数512の巨大ホテルに委縮した一行も、2か月後の欧州では、言葉を話せなくともホテルを飛び出し、買い物や公園に出かけ、電車に飛び乗る、と勇壮だ。なるほど、まだ高根の花だったにせよ、ジュール・ベルヌの時代からわずか半年で、世界旅行は一般人のものとなったのだな。それにしても参加者全員がルーズベルト大統領に謁見できたのはすごい。

他にも『巌窟王』とマルセイユ、『金色夜叉』と熱海、『ナシルに死す』とアスワン、『八十日間世界一周』と横浜など、興味深い記述が満載。楽しい読書を体験できた。

観光の文化史
著者:中川浩一、筑摩書房・1985年7月発行
2021年3月26日読了
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観光の文化史
中川 浩一
筑摩書房
1985-07T


都市の自己イメージはいかに形成されるのか。神戸のそれが「海と山のある、ハイカラでモダンな近代建築の集まる港都」(p145)なら、その具体的な構成要素は何か。
本書は、明治・大正・戦前昭和の懐かしい「古き良き時代の」神戸の建築物を、絵葉書を題材に取り上げる。カラーページの少ない(6ページのみ)のが減点ポイントかな。
・神戸といえば、やはり山と海に囲まれた坂道、「異国情緒あふれる北野から山手」界隈に代表される街並みを思い浮かべる。六甲山脈から俯瞰して、居住地の山麓・異人館、生活の街、交易の居留地、憩いの海岸と、エリアの役割は明確(p9)。そして北野坂、ハンター坂、トアロードが縦につらぬき、これが神戸の特徴でもあるんだと改めて思わせてくれる第1章は読んでいて楽しい。
・「港町のランドスケープ」。大正期の神戸メリケン波止場を海上から撮影した写真は、当時の高層ビルの立ち並ぶ光景が上海の外灘(Band)を彷彿させる。そうか、当時は高速道路の高架橋がなかったから、これだけ「絵になる」のか(p46)。
・大正2年、日本国内初のアスファルト舗装ができたのが、居留地に隣接する元町界隈だったとは知らなかった(p55)。すずらん灯は有名だが。
・灘~東灘の阪神間モダニズムの建築も実に興味深い。御影公会堂は僕も好きだ。
・なるほど、昭和初期には、六甲山上を周遊するバスが営業していたのか(p130)。

雑誌媒体がなかった時代、絵葉書はドキュメンタリーの要素も持っていたんだな。なるほど、絵葉書を見れば当時の世相がわかろうというもの。
今度、カメラをもって山本通やメリケンパークを闊歩してみよう。新しい発見があるかも。

JAPAN'S WESTERN ARCHITECTURE IN KOBE
神戸のハイカラ建築 むかしの絵葉書から
著者:石戸信也、神戸新聞総合出版センター・2003年12月発行
2021年3月17日読了
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神戸のハイカラ建築 むかしの絵葉書から
石戸 信也
神戸新聞出版センター
2003-11T


植民地人はみなイギリス人である。これが幻想であることに最初に気づいたアメリカ独立派の反抗活動は、まさに彼らがイギリス人と同じ価値を有するがゆえに、イギリス人と同じ権利を必要とするがゆえに起こされたものだった。「第一章 アメリカ喪失」「第二章 連合王国と帝国再編」では、北米13植民地と西インド諸島を中心とする第一次帝国が瓦解し、インド・東アジア世界を含む第二次帝国へと変遷する様相が描かれる。
・ボストン茶会事件の欺瞞:インディオや黒人に変装した白人による犯行には義憤すらおぼえる。
・放任してきたアメリカを喪失した後、インド統治法、カナダ統治法、アイルランド合同法を成立させて現地社会への介入を示したイギリスは、一方で「帝国の中心が周縁を支配するには限界がある」(p56)ことも知った。これが帝国各地への間接統治につながるのだ。
・それにしてもアイルランドは悲惨。じゃがいも飢饉で土地を追われる姿は、まさに植民地人の悲劇(p103)。イングランドによる過酷な統治の記憶は永遠に残るだろうな。今度『風と共に去りぬ』を観てみよう。

「第三章 移民たちの帝国」では連合王国の植民地、アイルランドからアメリカ大陸、オーストラリアへ移民せざるを得ない人々の様相、”帝国の長女”カナダの非常な移民受け入れ政策、そして貧民対策、社会の安全弁としての移民政策の実態が浮き彫りにされる。そうか、大規模な移民政策のおかげで、近代の暴力革命が抑制されたとも言えるのか。

「第四章 奴隷を開放する帝国」では、帝国の拡大ともに大西洋三角貿易=奴隷貿易を推進したイギリスが、なぜ奴隷制度廃止を決議するに至ったかが解説される。トマス・ジェファーソンはじめ、アメリカ独立の指導者がみな奴隷所有者だったことも思い返そう(p107)。
・ブリストルとリヴァプール。18世紀の黒い積み荷、総数1200万人とされるアフリカ人奴隷の売買で莫大な富を蓄積した街では全体を上げて、過去の「人道に反する罪」への償いに未来志向を反映しようとしている。「和解のプロセス、そして行動を起こすこと。一時のごまかしではなく。勇気をもって歴史の痛みと向き合い、変わること」(p173)なるほど、イギリスには真の自浄能力が備わっている。このあたりが、大日本帝国の負の遺産に蓋をし続けるわが日本との大きな差異だな。
・1820年代の奴隷制度廃止協会の活動が、その後の女性参政権運動など、女性の諸権利を意識した活動につながるのが興味深い(p165)。

「第五章 モノの帝国」。イギリスといえば紅茶だが、それがどのようにして国民的飲料になるに至ったか。コーヒーが家庭外・男性限定なのに対し、家庭的・男女同権な紅茶の普及過程は興味深い。いっぽうで茶生産のための労働力移動は、21世紀まで続くスリランカの内戦を生み出すなど、帝国的な政策の影響は無視しえないものがある。

「第六章 女王陛下の大英帝国」。ヴィクトリア女王を「慈悲深い帝国の母」とする国民的視点が、実は1877年~1897年にかけて作られた伝統であることが明らかにされ、そのイメージ戦略の巧妙さが解説される。

「第七章 帝国は楽し」。ジンゴイズムという新語を作り出したのは、全盛期のミュージックホール(のちのヴァラエティ・シアター)だ。商人や会社事務員、労働者が夜な夜な集い、歌と酒を介して”わが帝国”をイメージするは、さぞ楽しかっただろう。そう、帝国への関心は、あくまでも想像でしかなかったのだ。

「第八章 女たちの大英帝国」。セシル・ローズにしろ、フローラ・ショウにしろ、イギリス国内の貧困を解決するための帝国主義、その拡大に異議を見出したのは、決して誤りとは言い切れないことがわかる。

「第九章 準備された衰退」「第十章 帝国の遺産」。大英帝国にとっての宿痾、それがボーア戦争であり、ボーア人民間人への非人道的な行為は、いまなお許されない。それはイラク戦争時のアブグレイブ刑務所における捕虜虐待と相まって、帝国主義への非難の先鋒となる。

本書は様々な視点から、帝国の拡大というイメージと実態を通じてイギリス人が自己像をいかに形成、変化させてきたかを問う。ひいては同じく帝国を経験した日本も「過去を超えて」いかように自己を規定するのか。せめて小さな自分のイメージを自省することからはじめたい。

興亡の世界史16
大英帝国という経験 
著者:井野瀬久美惠、講談社・2007年4月発行
2021年3月20日読了
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大英帝国という経験 (興亡の世界史)
井野瀬 久美惠
講談社
2007-04-18




戦前「少女の友」で絶大な人気を誇った中原淳一。本書は1940年~1976年に「ひまわり」「それいゆ」「ジュニアそれいゆ」「女の部屋」等に発表された著者の春夏秋冬にまつわる絵画作品と文章から、四季をテーマに再構成したイラスト集となっている。
・インパクトあるイラストは無論のこと、女生徒に手向けられた四季のメッセージはとても瑞々しく爽やかで、中原淳一の人柄とセンスがよくわかろうというもの。
・「春から夏のために」「無地の格子と縞の木綿で作る服」「それいゆジュニアぱたーん」など、センスあるファッションデザインも著者ならではか。
・イラストはどれも見ごたえあるが、個人的には「イノック・アーデン」(p35)がお気に入りだ。
・サイズ、テーマとも「乙女の本棚」シリーズに通じるものがあるな。

「この一年間、あなたは『時』を無駄なく使ったでしょうか?」(p80)う~む。そして最終ページ「message d'hiverお正月」に再びうなずかされた。心を敲くイラストと文章に脱帽だ!

中原淳一 四季のイラストレーション
著者:中原淳一、立東舎・2016年4月発行
2021年3月15日読了
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G Masterレンズもこれで3本目。この35mm単焦点はとにかく軽い!
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後端ギリギリまでレンズが配置されていてビックリ。取り扱いに注意しないと。
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α7SⅢに装着してみる。バランス良く仕上がっているな。
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ショットガンマイクロホンECM-B1Mを装着。今度、これで神戸・元町をうろうろしてみようかな。(不審者?)
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とりあえず、明石海峡大橋をパチリ。
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これは良い買い物をした。長く愛用するぞ!

わがシスター、木蓮の洋子のつつましく透き通るような美しさ。夏の軽井沢で邂逅したアクティブな菫の花、克子の強い美しさ。彼女たち二人とも仲良くなりたい。そんな三千子の気持ちはゆらゆらと揺れて、運命に流されそうになる秋。そこに事件は起こる。
本書は、戦前日本のベル・エポック期、昭和12年の横浜・山の手のミッション・スクールを舞台に、高等女学校1年生(中一)、4年生(高一)、5年生(高二、最終学年)の交流と確執、心の葛藤が、後年ノーベル文学賞を受賞する川端康成の繊細な筆と、当時絶大な人気を誇った絵師、中原淳一のコラボレーションによって華やかに彩られる少女小説だ。
・入学したばかりの新入生を見定める上級生たち。そっと洋子から手渡されるポエム入りの手紙に、机上にささげられた克子の花束。春の出会いは乙女の期待を大きく膨らませる。それにしても外国語の授業光景は容赦なく、ほほえましいな。(1章 花選び)
・お嬢様たちの清く正しい学園生活。小学校から上がったばかりの千代子にとって、新しい生活は何もかも輝かしい。一方で母親へ甘える姿もほほえましい。
・牧場主の娘、洋子との邂逅は千代子にとって心の安らぎ。当時「エス」と呼ばれた関係も悪くはない。(2章 牧場と赤屋敷)
・浅間山の噴火、その煙を眺めてフランス人牧師は述べる。「朝の火山、緑の林、黒い髪、大変よろしい」これくらい心の余裕を持たないといけないな。そして軽井沢での克子の絡みは、千代子を徐々に変えてゆく。(6章 秋風)
・陰湿ないじめはいつの時代もあるんだな。だが克子の洋子への確執も、秋の事件で一変する。このあたりの描写は実に良い。(9章 赤十字)
・洋子が三千子に贈るクリスマス・プレゼント。それは……。洋子の心の底のきらめきがとてもまぶしいぞ。(10章 船出の春)
・完全復刻版では美麗な表紙と旧カナ版の、昭和13年初版の雰囲気を存分に味わえる。新かな版では、中原淳一の多数の挿絵が楽しめ、二度おいしい。おおっ、当時の女学生はセーラー服にベルトを締めていたんだな。

昭和13年に初版、それからわずか4年で47もの版を重ねた戦前の大ベストセラー。当時の少女が熱狂したのもうなずける。その源は、やはり美しき絆。本当に良い作品は時代を超えて永遠に受け継がれるのだな。

少女の友コレクション
完本 乙女の港
著者:川端康成、挿画:中原淳一、実業之日本社・2009年12月発行
2021年3月11日読了
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完本 乙女の港 (少女の友コレクション)
川端 康成
実業之日本社
2009-12-11




「留学の金が足りない」とか、神経衰弱のことを文部省へ「告げ口」したのは〇〇らしい等の記述(p52)は研究不足と思えるが、それは著者が冒頭に明記している通り。本書は、漱石の『日記』『倫敦消息』『断片』等の作品や遺稿、妻夏目響子や友人への手紙、関係者の手記などをもとに、ロンドンにおける漱石の活動を絵日記風に仕立てた作品であり、漱石理解の一助として楽しめた。

倫敦の夏目漱石
著者:鞍懸吉人、企畫室澪・1987年5月発行
2021年3月7日読了
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『日記』『倫敦消息』『断片』等の作品や遺稿、妻夏目響子や友人への手紙、関係者の手記などから、アグレッシブかつ強固な意志を持った漱石の姿が浮き彫りになってくる。特に下宿先での日常的な知的会話を渇望し、それがなかなか叶えられない現状に不満を抱いていたことがわかる。1901年11月からは日記すら断ち、研究に没頭する姿が垣間見えてくる。そう、決して「夏目狂セリ」ではないのだ。
 本書は、当時のロンドンの新聞・雑誌だけでなく、著者自身が漱石の足跡を追い、「漱石の内面に照射しながら彼が経験したロンドンでの近代の生活の内実を具体的に再現する」(p298)一冊となっている。
・漱石は大学に籍を置かず(ロンドン大学の講義を受けたのはわずか4回)、原著の精読による「自己本位の研究」(p193)を確立し、独自の学問的世界を構築する。一方で自身を取り巻く日常世界の細やかな観察を行い、妻や友人に宛てた手紙には自己諧謔の効いた文章が目立ち、すでに「作家」としての片りんを見せ始めているのが興味深い。
・キリスト教、特に、キリストによる世界の救済観を「劣等民族」に教育しようとする婦人たちの姿勢には断固反対の姿勢を貫き、聖書もろくに読まない。それは潔い姿勢なのだが、英文学と同じように聖書を精査すれば、イギリス人の物の考え方、ひいては英文学の理解の一助となったろうに。
・『倫敦塔』『カーライル博物館』これらの作品から両者を近い時期に訪問したと思っていたが、前者はロンドン到着後四日目(1900年10月31日)に集中して観光した物見遊山の時期に、後者は世紀が開けての1901年8月3日、5件目の下宿が定まって本格的に研究に腰を入れ始めた時期に訪問しており、おのずからその内容も異なったものとなるのも納得だ。

「漱石のロマンティシズムに対する理解は、たしかにロンドン留学中にいっそう深められ」(p209)、小説家としての創作の理念を新ロマン主義におきつつ、ロマン派の理想主義とリアリズムとの調和に新しい文芸の理念を開拓した。その昇華が、おそらく永遠に読み継がれるであろう『三四郎』『虞美人草』『心』であるならば、われわれはなんと幸せなことか。
 そして1903年に漱石が記した「余は一人で行く所迄行つて、行き尽いた所で斃れるのである」(p282)の精神には大いに見習いたい。

漱石と不愉快なロンドン
著者:出口保夫、柏書房・2006年4月発行
2021年3月7日読了
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漱石と不愉快なロンドン
出口 保夫
柏書房
2006-04-01


深谷、水戸、京都、静岡など、渋沢栄一と水戸藩にゆかりの深い広い地域を対象に、観光名所や食の魅力などを交えて「るるぶ」ならではの充実したガイドブックとなっています。複数のるるぶを買うよりも得した気分 (*^-^*)。
そして何より、吉沢亮さん、草彅剛さん、高良健吾さんほか出演者のインタビューが充実! ファンの方はこれだけでも「買い」です。
渋沢栄一記念館に論語の里(深谷)、渋沢資料館(東京)、弘道館(水戸)、富岡製糸場(群馬)……。巻末の「東京周辺マップ」「深谷周辺マップ」もなにげに便利そう。
僕はこのガイドブックを手に、今年のGWの周遊プランを立てることを決めました。
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NHK大河ドラマスペシャル るるぶ青天を衝け (JTBのムック)
ジェイティビィパブリッシング
2021-02-04


20世紀初めに、イギリス人の嫌う「ロンドンの霧」を芸術の域にまで高め、彼らにその魅力を気づかせた「霧のマキノ」。本書は、ロンドン漱石記念館の館長、恒松郁生さんがロンドンの古書店で発掘した『日本人画工 倫敦日記』の翻訳であり、牧野義雄の英国で培われたユーモアセンスとともに、武士道を尊ぶ彼の人生哲学が垣間みえる一冊となっている。
・官費留学生だった漱石と異なり、自力でサンフランシスコからパリ、ロンドンへと流れてきた27歳の牧野は赤貧に苦しめられる。背広はボロい一着のみ。二足しかない靴下は破れ、これも穴の開いた靴を履くと足指が見える貧乏くささ。美術学校で配布される木炭線消し用のパンを夕食代わりとし、昼食は公園の水を飲み、絵を描く紙に事欠くこともしばしばだった(p181)。画が売れて金が入ると体調が悪くなるというのも残念な体質だ。
・そんな牧野を下宿のおかみさん、英国人・日本人の友人、短期勤務先の造船事務所の日本人将校は暖かく見守り、援助し、彼の成功を心から願う。金には恵まれなかったが人には恵まれて幸せを見出したことが、同時期に滞英した漱石との大きな違いだな。
・「画才はまだ未熟なのに、私自身は毎日年老いてゆく」(p98)この焦燥感、よくわかるぞ。
・苦節9年の幸運。ようやく努力が報われ『THE COLOUR OF LONDON』が1907年に出版される。これが英国に一大センセーションを惹き起こし、本書『日本人画工 倫敦日記』も1910年に出版される運びとなる。
・『THE COLOUR OF LONDON』が出版された直後に牧野は入院するが、その日記がこれまた面白い。看護婦たちの献身には心動かされたようで、英国女性がみな彼女たちのようなら、婦人参政権運動にも全面的に賛成すると述べている(p164)。
・牧野が武家出身とは知っていたが、清和天皇の子孫だとは驚いた!(p93) 楽な暮らしではなく、芸術のいばらの道を歩むこと、人の十倍の努力を宣言した牧野に海軍将校は言い放つ。「よくぞ言った。世界を征服しようという野望をもつものはそうでなくてはいかん」(p26)。このくだりが実に良い。
・日本人の魂は武士道にあり、イギリス人のそれはビジネスにあると牧野は説く(p179)。この観察は興味深い。

日英同盟の締結された時代に、ロンドンの地で武士道を体現した日本人画家「霧のマキノ」の半生記を興味深く読ませてもらった。
外国の地において、日本人としてのあり方を問われることがしばしある。僕も誤った挙動を悔やんだことは多々あるが、牧野の心意気とその哲学には感心させられた。貧しく寂しい晩年を過ごした彼だが、せめて英国で一世を風靡したという事実だけは、その名誉とともに語りつがれて良いだろう。

A Japanese Artist in London
霧のロンドン 日本人画家滞英記
著者:牧野義雄、恒松郁生(訳)、雄山閣・2007年9月発行
2021年3月1日読了
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霧のロンドン―日本人画家滞英記
牧野 義雄
雄山閣
2007-09T


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