女学校を卒業したまでは良いが、諸学校の入学試験に失敗し、保育士育成学校へ通う滝本章子(あきこ)。彼女はその積極性=やる気のなさを咎められて寮を追い出され、YMCA(YWCA)の宿舎、それも4階の屋根裏部屋へと転がり込む。この、何もない「青い三角形の小部屋」に引っ越した夜にボヤ騒ぎを起こした章子を助けたのは、寂しく儚げな表情を持つ隣室の秋津環(たまき)だった。
中原淳一の挿画が物語を盛り上げてくれる。
・退寮の理由が「学生として懶惰」はともかく、「キリスト教徒として不信の者である」はひどいなぁ。またYWCAの安息日=毎週日曜日の集会で明かされる「キリスト様への思い」の告白や「信者としての決意」表明、科学者や哲学者が何と言おうと神の存在には疑いはないって言い分には狂気すら感じられる。
・「痛ましく傷ついた美しいものの哀しみ」(p86)「黎明を創造し黄昏を描き信也を生む楽音よ」(p128)「夜という神秘な麻薬を呑んだ都市の風景がどんなに美化されるか」(p153) 良い感じ。
・「ふふ……花より林檎よ……」(p147)と積極的にYWCA宿舎の人間関係の構築に尽力した、まるで男のようにサバサバした性格の工藤嬢には好感が持てる。
・人間の努力に関する畑中夫人の言葉(p107)は心に染み入った。
・何のとりえもなく、地を這うように生きるだけの自分。見上げれば航空機。「空をゆく人には燃ゆる如き功名心や華やかな誇りや冒険の好奇心と壮快の意気とに血も踊ろう胸も波立とう」(p298)やり場のない感情が章子を支配し、これが事件を惹き起こすのだ。
・「自我のないところに個人としての生命があるでしょうか。いいえ、ありません」(p316)こう言い切る秋津さんにこそ、章子は神の姿を見たのではなかろうか。そしてここから、章子の真の人生がはじまるのだ。
吉屋信子最初期の作品で、『わすれなぐさ』に比べるとはるかに読みにくい。でも作者自身の体験をもとに綴られた本作が、彼女の原点だ。
そして国粋主義の暗い時代にあって「個人の絶対的価値観と尊厳」(p323)こそ、なによりも守るべきものと、再認識させてくれた。
滝本章子と秋津環。この濁世に生きる決意を誓い合った二人の若き女性に幸あらんことを願う。
吉屋信子乙女小説コレクション2
屋根裏の二處女
著者:吉屋信子、国書刊行会・2003年3月発行
2021年6月8日読了