男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2021年07月

幕末より文明の窓口として発展を遂げてきた函館・新潟・横浜・神戸・長崎。本書は、それら5つの都市の建築物、街並み、風俗を「モボ・モガ」をキーワードに蒐集した「モボ・モガを探せ!プロジェクト」の写真展覧会の内容を再構成した一冊である。
・函館、「谷タネさんの肖像」では昭和一桁の生々しい時代風景が垣間見られ、写真がここまで保管されていたことは実にありがたい(p24~)。
・横浜。外国人居留地、港の風景も良好ながら、ツェッペリン伯号を撮影した迫力ある写真が特筆ものだ(p71、76)。
・神戸の写真からは、横溢する活気を感じさせてくれる。海水浴にスキーに、六甲山でのスケート、バイク仲間。いまは廃墟となった真矢観光ホテルの在りし日の姿は貴重だ(p111、122)。
・1935年の16ミリフィルム『須磨から神戸港』(の写真)は感激ものだ(p133)。

「いかにして他者との関係性を築いて物語を構築するか、あるいは関わりの中から生まれる新たな意味こそが、アートなのだ」(p42)
モダンボーイ、モダンガールが都市を闊歩した1920年代は写真技術、複製技術が発達し、グラフ雑誌が興隆をみせた時期だ。写真館のみならず個人の写真家も増え、その一部は16ミリフィルムで動画の撮影に挑んだ。これら貴重な写真とフィルムが世紀を超えて大々的に蘇ることの意義は極めて大きいだろう。
一個人の写真が、時代を超越してアートに昇華する。継承される時代の記憶こそ貴重なるものだ。同様の展覧会が開催されることを切に望む。

In Search of Modern Boy-Modern Girl in 5 Port Cities
開港5都市モボ・モガを探せ! 函館・新潟・横浜・神戸・長崎
編者:モボ・モガを探せ!実行委員会、BankART1929・2012年5月発行
2021年7月30日読了
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イマジュリィとは、いわば印刷物の大量複製を前提としたイメージ芸術を意味し、大正末期~昭和戦前期にかけて急速に発達を遂げたポスター、雑誌にその世界観がみられる。特に大正時代のそれは、明治以来ひたすら西洋文明を模倣してきた反動から、江戸的なモノを積極的に取り入れ、新しい日本文化の姿を顕現化させようとした時代だと言えよう。
本書は、13人の芸術家を軸に、大正という稀有な時空間のつくりだしたデザインとイラストを、イマジュリィの観点から概括する一冊となっている。
・竹久夢二、杉浦非水、橋口五葉、高畠華宵、小林かいち、蕗谷紅児、古賀春江の手になる作品はどれも素晴らしく、書籍・雑誌の表紙、扉絵、挿画をはじめとするデザイン、各種パンフレット、楽譜等、いまみてもそのセンスは色あせることはない。
・日本を代表する画家、藤島武士や岸田劉生も雑誌表紙などのデザインを手がけていたのか。
・高橋春佳の絵葉書デザイン、そのアール・デコと和洋図案の折衷様式という独特のグラフィックセンスが気に入った(p122)。
・宝塚少女歌劇団にまつわる平井房人の、原色を基調とする明るく鮮やかな色彩の作品群も魅力的。特に脚本集の表紙の大胆なトリミングの構図が素晴らしい(p114)。

美術の大衆への拡がり。それは文学や社会意識と関連して個人の感覚を覚醒させ(p3)、その人生に転換を促すものであったといえる。アイデンティティの意識が戦後文化の興隆へとつながるわけで、本書は、モダニズムの意味をあらためて考えさせてくれた。

大正イマジュリィの世界 デザインとイラストレーションのモダーンズ
監修:山田俊幸、ピエ・ブックス・2010年11月発行

大正から昭和初期の東京。それは、最先端のビジュアルイメージに基づくライフスタイルをモダンガールたちが実践し、愚劣な軍部によって日本が奈落の底へ突き進む直前の、稀有で自由な時空間であった。
本書は、すみだ企業博物館連携協議会参加館が保有する時計、たばこ、化粧品、パンフレット、ポスターなどの豊富な資料から、当時を彩った「モノ」をテーマに、特異な時空間=戦前の東京の魅力を探る一冊となっている。
・「トーキョー」「モボ・モガ」の登場、モダン生活を支える新装花王石鹸(1931年)、髪洗い粉から画期的な花王シャンプー(1932年)へ、精工舎の懐中時計、国産腕時計、「セイコー」ブランドの解説が興味深い。
・ラジオ体操は1929年11月から放送開始。家庭用「2号自動式壁掛電話機」の登場は1927年か。
・モダンガールの装いが、いまみても素晴らしい(p38~41)。
・男が戦争に強制招集されると、郵便集配、電報配達に女性が活躍するようになる。鉄道駅員も。1942年になると敵性言語は廃止される。「セイコー」と文字盤にカナ表記された腕時計(p56)には哀しみさえ感じられる。
・そして敗戦。幸いにも戦前からの技術力と経験、朝鮮戦争特需に支えられて、モノと文化は徐々に復興してゆく。

モノに主眼を置き、戦前・戦中・戦後の日本文化を探ること。手軽で興味深い一冊だった。

モボ・モガが見たトーキョー モノでたどる日本の生活・文化
たばこと塩の博物館・2018年4月発行
2021年7月19日読了
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琥珀に封じ込めた夏の思い出が壊れる、そんな瞬間は迎えたくない。だけど……。
静岡県の山村にその「ミライの学校」は静かに存在した。小学校高学年の夏休みに過ごしたそこでの一週間は新鮮で、自らの考える力を引き延ばす教育、熱心な大人たち、そして「泉」。クラスの人気者でない平凡な「わたし」は、そこで出会ったミカとの友情、年上のシゲルさんとの淡い思いを体験し、やがて忘れ去り……。
本書は、地方の私立団体施設で発覚した子供死体遺棄事件を題材に、親子の絆、夫婦、こども時代の生き方と友情と思い出など、人生の根幹にかかわる意味を深く考えさせてくれる一冊となっている。
・ミライの学校の「子供たちの自主性を貴び」「言葉で生き抜く力を身につける」、その理念には共感を覚える。だがそれだけではダメなのだ。
・子供の教育に関する著者の主張は明快だ。人の中で、社会と共存できる生き方をきちんと教えること(『第五章 夏の叫び声』)。職業教育従事者がそれを数十年かかってやっとわかる悲劇も示される。つまるところ、究極の教育は家庭内のそれにある。だが、それができない親はどうすればよいのか。そこに「組織」の意味が現われる。
・見も知らぬ高尚な理想ではなく、ありのままを大切にすること。僕もこうありたい。

個人的には「頭に乗せられた掌の重み」をはじめ、第八章『ミライを生きる子供たち』の後半に引き寄せられた。「つみき!」に夢中な娘への対応と炊事と仕事と夫と、ぐしゃぐしゃな自分。「けれど、問題は時間だろうか」「こうするしかなかった」から一気呵成に読ませてくれる、熱。そう、熱がある。実は恥ずかしながら辻村深月さんの小説を手にするのは初めてなのだが、その熱に吸い寄せられるように一気にファンになった。

琥珀の夏
著者:辻村深月、文芸春秋・2021年6月発行
2021年7月15日読了
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琥珀の夏 (文春e-book)
辻村 深月
文藝春秋
2021-06-09



ポツダム宣言を受諾せずに徹底抗戦して敗北した日本は、1946年に東西に分割占領された。それから16年、日本人民共和国・東トウキョウの十月革命駅(旧上野駅)人民食堂の給仕係として働く杉浦エミーリャ19歳の"裏の活動"に、日本人民の哀しみの姿が描き出される。
・エミーリャ、西トウキョウでビキニを着る!(『エミーリャ西へ』) これだけでも4巻を買った価値があろうというもの。……まぁ、実にみじめで哀れで不本意な状況ではあるが。そして彼女に想いを寄せるトシユキの「俺にはやるべきことがある!」には期待が持てる。
・国境監視官「クリスマスはひとを赦す日だ」には、エミーリャもぐっと来ただろうなぁ(『聖夜の奇跡』)。
・碓氷峠が舞台となる『あの山の向こうに』ではエミーリャの父親の秘密が明かされる。今後の展開が楽しみだ。
・「お願いよ。私が〇〇にならないうちに…壁をなくして」恋より使命を選び取ったエミーリャ涙の言葉に、胸を打たれた(『また会う日まで』)。そしてエミーリャの行動を監視する謎の”西の男”。その目的は何なのか、これからも目が離せない。

共産主義と日本文化の入り混じった”赤い東京”で繰り広げられる諜報戦と命のやり取りは絶品。「西側日本への侵攻!」が画策される5巻のすみやかなる”配給”に希望を託します。

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「西のクラブ、東のレート」と並び称され、積極的なメディア展開により、街を闊歩するモダンガールたちに最先端のビジュアルイメージとライフスタイルを提案したのが、神戸で創立された化粧品会社、中山太陽堂である。本書は、大正~昭和戦前期の女性たちに強い影響を与えたクラブ化粧品のポスター、容器を含むパッケージデザイン、さらに中山太陽堂/プラトン社の発行した総合文芸雑誌『女性』、娯楽誌『苦楽』、『演劇・映画』などの豊富な資料から、その格調高い洗練されたデザインの魅力を探る一冊となっている。
・百貨店、小売店向け広告ポスターは無論のこと、昭和の初期から雑誌や演劇プログラム(神戸・湊川松竹座、新橋演舞場、都座等)に多種多彩なクラブ化粧品のカラー広告が掲載されていたことに驚かされる。それらは当時最先端のファッションを反映し、いま見ると新鮮味さえ感じる独特のセンスを有している(第一3)。
・雑誌『婦人公論』等に掲載された東郷青児の「二コマまんが」広告なんて、超貴重じゃないだろうか(『ダンス』『スキー』『プール』)。
・1922年に創刊されたクラブ化粧品のPR雑誌『女性』の執筆陣は、菊池寛、芥川龍之介、田山花袋、坪内逍遥、竹久夢二、与謝野晶子らとある(p95)。朝日新聞での連載が検閲で中断された谷崎潤一郎『痴人の愛』も本誌で掲載されていたのか!(p110に複製) さらに岩田専太郎、直木三十五、山名文夫、伊東深水……。「自立した女性の教養とファッションを牽引する稀有な存在」(p101)
・本書には『女性』の、フランスのファッション・プレートをアレンジした西欧風の表紙が多数掲載され、目を楽しませてくれる。山名文夫の扉絵とカットはアール・ヌーヴォーそのもの。1920年代の日本の雑誌がこんなにもモダーンでハイセンスだったとは!

本書は図番が豊富で、「化粧」文化を通じて当時の女性たちのいきいきとした「エネルギー」がひしと伝わってくる。読み応えのある一冊だった。

MOGA モダンガール クラブ化粧品・プラトン社のデザイン
青幻舎・2021年7月発行

本書はカラー図版が豊富(全75ページの約半分)で、紅茶と喫茶にまつわるイギリス社会史を楽しく、かつ手軽に読むことができる。ぜひ手元に置いておきたい一冊だ。
・17世紀中庸に中国からイギリスに輸入されはじめた茶葉。当初は貴族男性がコーヒーハウスで楽しんでいたお茶も「茶葉の販売」が発案され、その奥様方が自室、ときには自らの寝室に客を招いてお茶をふるまうようになった。自宅に客を招いての喫茶、すなわちティーセット一式(ポット、カップ、湯沸かし、ティーテーブル)の高級さを競い、自室の家具も新調し、女性給仕(パーラーメイド)にきらびやかなお仕着せを与え、客人とあらゆる話題に花を咲かせ……優雅なティータイムの始まりである(p12)。
・17世紀末になると、朝食にはエールやビール(!)に替わってお茶、コーヒー、チョコレートが飲まれるようになったそうな(p14)。
・で、お茶がどれほど高級品なのか。1700年頃のお茶1ポンドの値段は、当時の熟練工の3週間分の賃金に匹敵したという(p17)。そりゃ貴族しか飲めないわな。茶葉を入れる木製小箱は施錠され、奥様自らが鍵を持ち歩いていたという。その後、茶税(119%!)と輸入関税の大幅な引き下げと、イギリス東インド会社による急激な輸入拡大のおかげで、18世紀末には労働者層にもあまねく普及したというわけか。
・郊外のティーガーデンでの楽しい休日(p25)。いいなぁ。
・初期の茶器(カップ)にはまだ取っ手がなく、日本茶の湯のみのようなイメージだったんだな(p19)。18世紀にはウェッジウッド、ミントン、ロイヤルドルトンなどイギリス各地で茶器の設計・製造が行われるようになった。安価なボーンチャイナの登場は革命的であり、中産階級にもティーセットが普及したとある(p31)。
・アヘン戦争勃発により茶葉の輸入が停められると、イギリスはインドで茶葉の生育をはじめる。アッサム紅茶の誕生である(p53)。トーマス・リプトンの巧みな宣伝広告とあいまって、瞬く間にインド産紅茶はイギリス国内を席巻する。だがアッサム、ダージリン、セイロンの「茶葉プラント」で奴隷状態に置かれたインド人苦力の悲惨さを、当時のイギリス人は知る由もない(p34)。そのリプトンも買収され、イギリスではもう買えないとは皮肉だな(p38、日本では販売されている)。
・トワイニング・ティーショップ(1717年~現在もロンドン・ストランドの同じ場所で営業中。僕も入ったがとても狭い!)が、僕の好きな『イングリッシュ・ブレックファスト』を初めて販売したのは1933年。意外と新しいブレンドなんだな(p22)。
・お茶の広告はとても工夫されていて、見て楽しいものばかりだ(『お茶の民主化』)。そして19世紀中庸にはアフタヌーン・ティーの習慣が登場する。メイフェア地区のブラウンズ・ホテル内『イングリッシュ・ティールーム』(p54)へ、いつか行くぞ!
・かつてロンドンに留学した夏目漱石も驚いた通り、ひとり一日5杯以上(p51)の紅茶の消費量はすごいな。
・1930年代のアール・デコは茶器のデザインにもインパクトを与えた。クラリス・クリフによる円錐形のティーセット(p60)、欲しいぞ!
・20世紀初頭にティーバックが発明された。それも偶然のしろものだ(p63、イギリスに渡るのは1935年)。
・そして21世紀。真のお茶好きは「倫理的に栽培され」「環境保全」にかなった上質さを追求するに至る(p66)とある。

喫茶文化にまつわるエトセトラ、おいしくいただきました。紅茶とお菓子と親しい友人との語らい。人生の至福のひと時を僕も楽しむことにしよう。

Tea and Tea Drinking 
英国の喫茶文化
著者:Ckaire Masset、野口結加(訳)、論創社・2021年1月発行
2021年7月7日読了
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英国の喫茶文化
クレア・マセット
論創社
2020-12-25


EUからの脱却を果たしたイギリスと、アメリカ合衆国を含むかつての大英帝国の植民地/自治国の連合5か国が中核となり、中国共産党、ロシア、北朝鮮など、21世紀の反自由主義的な脅威に立ち向かうAnglosphereアングロスフェアそしてFive Eyesファイブ・アイズに、日本はどう関わってゆくのか。
本書はEmpire 2.0、すなわちブレグジットの次、グローバル・ブリテンの現状と今後の展開を理解・予想するに適した一冊となっている。著者は慶応義塾大学名誉教授だが、僕みたいな国際政治の素人にも理解しやすい本書の記述は実にありがたい。
・かつて通貨協定に参加せずポンドを堅持したのも、シェンゲン協定に未加入なのも、こんにちのEU離脱を見据えた政策だったとある。なるほど、オックスブリッジのディベート部の活動といい、100年単位で物事を考えるイギリスの「バックキャスティング」能力(≒先見の明)はすさまじいな(第二章)。
・Anglosphereの中核はすなわちCANZUK(カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、連合王国)とアメリカである。それは生前のチャーチルの理想でもある。そして「国を愛し、家族を愛し、そして世界の友を愛し、多くの名言を残して世を去った」(p107)彼の人生には憧れるな。
・そのCANZUK-U.S.A.、そしてファイブ・アイズにこの極東の日本が参画する未来(p99)。すごいことだし、その実現に向けて努力すべきだと思う。
・『ロイター』などの「健全なメディアの言葉に耳を傾けろ」(p26)と著者は述べる。政権与党よいしょの「NHKニュース・ショー」をはじめ総務省の支配下にある翼賛的な日本のマスメディアは当てにできないから、ますますネットへの依存に拍車がかかるな。

次世代に向けての新しい世界システムの構築(p163)。ブレグジットのニュースに触れて「ふ~ん、EUからイギリスが脱退するのか」と他人事のように構えていたが、とんでもない。世界は再構築の真っただなかにある。ファイブ・アイズからの日本の招へいは驚くべきことではあるが、ぜひ参画するべきだろう。
「今までには想像できなかった新しい世界の秩序の基盤の鼓動のようなものが聞こえてくる」(p124)そして22世紀、23世紀の地球規模での変革の準備を目指すのだ。
かつてのEmpireとは体質を異にする「Empire 2.0」。雑多な国際連合やG20に頼ることなく、「相互の尊敬」で結ばれて一定の規範を有する有機的な(ブリティッシュ)コモンウェルスに日本が参加する……21世紀も中盤に差し掛かれば、そんな夢想も非現実的ではない日がくるかもしれない。

大英帝国2.0 英語圏の結束、そして日本
著者:宇津木愛子、鳥影社・2021年5月発行
2021年7月8日読了
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大英帝国2.0 英語圏の結束、そして日本
宇津木 愛子
鳥影社
2021-05-31




前作『カルカッタの殺人』で活躍したインド帝国警察のイギリス人警部サム・ウィンダムとケンブリッジ出身のインド人部長刑事サレンダーノット・バネルジーの名コンビが内陸の小さな藩王国、サンバルブールへ向かう。カルカッタで、それも自分たちの目の前で行われた王太子の暗殺事件の解決にたどり着くため、二人は執念を燃やすのだが……。
・ダイヤモンドと阿片による富を原資とし、豪華絢爛な王室に多数のメルセデス、アルファ・ロメオ、近代的ホテル。象によるダイナミックな虎狩り、象による犯罪者の凄惨な処刑。エキゾティックな光景ではあるが、誠実かつ現実的思考を持つ王室の施策は、およそイギリス人の有する地方の藩王国のイメージとかけ離れていた。そしてヒンドゥーの神々と数百年におよぶ土着のしきたり、数百人規模の後宮は二人を圧倒する。
・まるでデビアスを彷彿させるアングロ・インディアン・ダイヤモンド社の存在。藩王国宰相、警護を務める軍大佐、若き第三王妃、後宮の側室たち、そして第二王子、イギリス駐在官とどの人物も怪しく思えてくるし、思い人アニーと第二王子の接近と相まって、かつてスコットランド・ヤードで腕を鳴らしたサムをヤキモキさせる。
・故人の魂を解放するため、その頭蓋骨を割る。王太子の葬儀の模様は衝撃的だ(p190)。
・前半でイギリス諜報機関の介在が示唆されるが、その活動は明らかにされないままだ。結局は総督(インド副王)直々の二人へのカルカッタ帰還命令が、それにあたるのかな。

「正義はまっとうされなければならない。……この世界にはみつけださねばならない貴重な正義があるということだ」(p69)「わたしはイギリス人であり、正義を伴わない真実にはいらだちを禁じえない」(p358)サムの決意は立派だしおそらく正しい。だが「国家のためには貴人の命をも犠牲にする精神」の前には、それもままならないことが証明される。理不尽な世界観……。「正義は神の問題です」(p391)

原作タイトルとかけ離れた翻訳版のタイトル「マハラジャの葬列」は、エピローグで見事にその意味をなす。ある重要な登場人物が述べる通り「真実」と「正義」は同義ではない。その葛藤が生じるとき、未来を決めるのは人の良心のはずだが、恐ろしきは現実政治の意思(つまり、原作タイトル)ということか。。。
ウィルバー・スミス冒険小説賞受賞とあるが、納得の出来。続編が実に楽しみです。

A NECESSARY EVIL
マハラジャの葬列
著者:ABIR MUKHERJEE、田村義進(訳)、早川書房・2021年3月発行
2021年7月7日読了
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マハラジャの葬列 (ハヤカワ・ミステリ)
アビール ムカジー
早川書房
2021-03-03





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