『言語都市ロンドン1861-1945』に触発され、ネット古書店で入手した1冊。
アメリカから渡英してきた日本人青年・柘植が、"少佐の家"、零落貴族の夫人が経営する家宅の二回に間借りする第一部「英京雑記」と、夫人と喧嘩別れしてからの新しい下宿を舞台とする第二部「都塵」で構成され、1914~1915年に倫敦に滞在した著者の体験談がふんだんに盛り込まれている。
・オスカー・ワイルドに関する書物の購読を強くたしなめる下宿先の女主人。フレデリック・ダグラスの従妹であるという彼女のその姿は、いかにも英国のミドルクラス的な世間体にがんじがらめにされているように柘植には感じられる。裁判所での傍聴席で偶然にも垣間見たフレデリック・ダグラス卿の姿と、近代英文学史にその名を遺すワイルドへの尊敬心から、柘植は思わず母国語で吐き出すように言い放つ「馬鹿にしてやがら」。自負心の強い国民性に根差す頑固さ(p37)。この遣り取りは味があっては興味深い。
・時節は1914年の冬である。街角にはカーキ軍服の男と喪服姿の女が増え、知人が次々と戦地へ送られる。そんな中にあって下宿先の夫人ばかりか、夫である陸軍少佐までもが、キッチナー将軍率いる英仏連合軍がベルリンへ進撃し、ドイツ皇帝を捕縛するとうそぶく。日本軍に関する知識もでたらめな少佐の姿をみて柘植は思う。「……すべて各方面のことを、それぞれ少数の優れた才能の人間に任せ、大多数の国民は安逸に金儲けを愉しみ、安心して午後五時のお茶を享受している」それを羨ましくも思い、さげすむ気もする(p68)。これ、戦前昭和の日本がそうだし、いまの日本とて同じでなかろうか。
・第二の下宿先の女将は教養のない夫人だし、下宿人も同郷の高樹を除いて、同じような人間ばかり。ある日から下宿人となったグレイ夫妻だけは、賭け事のせいで困窮するに至った元富豪だけあって品が良く、特にその夫人の「日本と日本人への憧れと称賛」は格別のものだ。最初は柘植も高樹も喜んでいたが、度を超えた親密ぶりに、距離を置くようになって……。
・「私の知って居る日本は、マダム・バタフライとミカドと、二三の浮世絵だけですもの」(p263)教養あるグレイ夫人にして、日英同盟を締結し、ロシアに勝利した日本に対しての認識がこれである。一般大衆の日本人への認識はどのようなものであったろうか。作中には、後進国の貧弱な体つきの未開人に対する侮蔑がいくつもみてとれる。おそらく著者の実体験だろうが、憤慨せざるをえない。
・英国人気質、国力を背景にした国民個々の裏付けのない自信。それに大口をたたく大衆が他国民を見下す態度が強く印象付けられた。
・ツェッペリン飛行船のロンドン市街空爆シーンは、描写が細かく迫力に満ち溢れていた(p291~)。これも体験に基づくものだろう。

「伊太利を見ないうちに、病気や爆弾で死ぬのはいやだ」(p313)結核の身をおしてフィレンツェへ旅立つ高樹(≒澤木四万吉)の姿。目的を明確にした人生は潔い。もうひとりの友人、茅野(≒郡虎彦)はロンドン市内の茶店の若い日本人女給を追いかけまわし、破綻し、海岸地方へ転居するのだが、空回りする人生も「戯曲的」なら、それで良いのではないか。
柘植は思う。同郷二人の積極的な人生に比べて自分はどうであろうか。ラスト、ロンドンを旅立つ理由が二人のそれと比べてあまりにもネガティブなものである。だが、その哀れみを自身に向けることも、畢竟、人生の糧となるのではないだろうかと、僕は柘植ならびに鬼籍の著者にそっと告げたい。

倫敦の宿
著者:水上瀧太郎、中央公論社・1935年5月発行
2019年12月15日読了
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倫敦の宿 (1955年) (角川文庫)
水上 滝太郎
角川書店
1955