日本に居住する市民は平和を享受し、世界の紛争地帯に比べれば格段に幸せな人生を送っている。毎日ではなくとも、その身に幸せを感じる瞬間は訪れるだろう。
本書は、まさに現在の政治情勢が続いて、日常生活に「ほんの少し」軍事が入り込んだ日常を、あの傑作長編『未必のマクベス』の著者が色鮮やかに描き出す短編集だ。『マクベス』では交通系ICカード、香港、数字をキーワードにしたハードな展開が魅力的だったが、本書では望まない「有事」と日常的に接することの葛藤、組織の論理と矛盾する自らの正義への覚悟があぶりだされる。

『思い過ごしの空』
有名化粧品メーカーの本社に勤める僕は、研究所に籍を置く妻が開発し、営業的に失敗とされた試作品が、ある顧客にとっては「画期的な発明品」であること、僕がそのプロジェクトの担当になった秘密を隠し続けなければならない。何気ない家庭内での会話のはしばしに「発明品」の話題があがらないことを祈る日々。
・軍事産業か否かの境界はあやふやだ(p19)。そう、それは曖昧であり、こんにちTV-CMで有名な大企業の何割かが「しれっと」儲かる軍需に加担しているのも事実である。
・"かはく"と"リダイ"には笑わせてもらいました(p25)。そこでの会話「無人兵器と自爆テロの違い」は、その通りだ。
・「僕は彼女の無邪気さを守っていきたい」(p31)いいな。そして手をつないだ妻のラストのセリフは、胸に突き刺さる。

『彼女の知らない空』
日本国憲法が改正されて最初の冬。紛争地域のQ国に派遣される陸自幹部を友人に持つ空自の三佐は、官舎で待つ妻に打ち明けられない秘密をかかえて、今日も千歳基地に足を運ぶのだ。
・公に戦争をできるようになった日本という国。1万2千キロのかなた、Q国の政府軍基地を離陸する無人爆撃機を操縦するのは僕だ。「紛争に行くのは、ぼく自身だということを」妻は知らない(p53)。当然、一般国民にも知らされていない。
・地球の裏側Q国上空の機体、千歳基地の操縦管制室、米国の司令センター。これらが一体となって現地のターゲットを追う様子は、まさに技術の結晶といえよう。狙われる現地民にとってはたまったものではないが。
・罪悪感と恐怖感(p80)。公務とはいえ、殺人者になるということ。交戦権を認められた自衛官の葛藤がありありと表現されている。
緊急事態条項(p49)。憲法九条の改正よりも重要な秘密はここにある。"総理大臣の一声"で街を戦場に、市民を兵士に変えられること(p80)の意味に、多くの国民はいまも目を逸らす。これ、令和の世で現実的にありそうだな。

上記2編は異色の出来だ。他に『七時のニュース』『閑話・北上する戦争は勝てない』『東京駅丸の内口、塹壕の中』『オフィーリアの隠蔽』『彼女の時間』を収録。

最終編『彼女の時間』を読了後、『マクベス』同様に、身体に力の漲るのを感じられた。

著者様には申しわけないが『閑話・北上する戦争は勝てない』の長時間残業=ドーピング説には違和感があるな。
(あと、p129「株主にする説明する」は変です。)

どんどん変わってゆく平和なはずの日常に、戦慄すること幾たび。
「憲法が変わっても、自衛官は人を殺さない。それが、ぼくたちの誇りだ」(p69『彼女の知らない空』)
そうあってほしいと願う。

彼女の知らない空
著者:早瀬耕、小学館・2020年3月発行
2020年3月12日読了
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彼女の知らない空 (小学館文庫)
耕, 早瀬
小学館
2020-03-06