大正3年から昭和21年にかけて発表された7編を収録。欧州旅行を体験し、20世紀の日本で存分に生きた野上弥生子による造形確かな人物たちの共演を楽しめる短篇集だ。
・『死』既婚30女の集う会合の話題に、今夜は自分たちの見て経験した人の死が取り上げられる。少女時代の遊び仲間の死。老女のたくましいまでの生への執着。だが地方から上京した「わたし」の経験、すなわち祖母の死は、それは死と呼べるものであったろうかと自己に問うこととなる。
・「家風に合わない」ただそれだけの理由で女が離縁を強いられた時代が長らく続いた日本の家族制度に強い憤りを感じたのだろう。『或る女の話』では、15歳で商家に嫁いだ「おせん」の奇特な半生を、野上弥生子は深い愛情をもって描く。日清戦争、肺病、狂気、極端な村の選挙運動……夫を五度も変えるという運命に翻弄された女には「自覚」が芽生えるのか、実家に居場所すらない「おせん」は新たな縁談よりも女中奉公を選ぶが、それも悲しい結末に終わり……。人が自立することの意味を考えさせられる。
・『茶料理』青年と少女の淡い淡い恋ごころ。15年後の逢瀬は何を思い出させてくれるのか。
・軽井沢の避暑地を6月から11月まで一人で過ごす初老の"渡欧歴のあるへぼ作家"、和子。昭和16年1月、何もかもが急激に変わる世の中で山中の自然を満喫しながら、限られた地元民との淡い交流を美しく過ごそうとする和子。サブちゃん、おせきの半生も泣かせるし、ラストの「これからの世の中」を予感させる短い日記も素晴らしい。『山姥』は本当に美しい一遍だ。
・『明月』死に目に会えなかった母の通夜のシーンが涙を誘い、またすがすがしさにも包まれる。亡き人を囲んで一同が集い、話を話として語るを楽しむ。そう、的確な記憶を持つおしゃべりこそ、「まことに私たちの上代の歴史や芸術が、いいつぎ、語りつがれて来た」(p242)歴史的資産であることに、東京に住まう"私"は気づくのだ。そして灰となった母の一部を"私"は軽井沢の別荘に埋葬する。「まどかなる月のもとに眠りませ」(p250)は名言であろう。
・『狐』肺病の治癒のため、東京の三菱銀行を辞職し北軽井沢に移り住んだ萩岡は、ふとした縁で狐飼いの道を歩む。満州「事変」から泥沼の様相をみせる日中戦争に真珠湾攻撃。ミッドウェイを経て当然の負け戦へ。急変する世の中と異なって平穏な萩岡夫妻の生活にも、やがて肺病の死の影が迫る。佐々木との友情、複雑な実家との関係、そして愛する妻、芳子に何を残すのか……。殺しあう人間社会の性とはかかわりなく狐たちは活動する。美しい自然の描写も実に良い。

どの作品も甲乙つけがたい、個人的には"当たり"の一冊。本書ピカイチの一遍を選ぶとすれば『茶料理』だろうか。

太陽が雲に隠れ、周囲の情景が急速に魔を伏す様子(p14)といい、赤裸々になった恋心(p118)に、青空(p207)。野上弥生子の表現力には舌を巻く。
近代文学を手にすること。それは日本語の豊かさ=人間描写のあらゆる可能性を実感できるということを実感した。

野上弥生子短篇集
編著者:加賀乙彦、岩波書店・1998年4月発行
2020年5月9日読了
DSC05241a

野上弥生子短篇集 (岩波文庫)
野上 弥生子
岩波書店
1998-04-16