ヴィクトリア朝時代に流行した絵画を題材に当時の社会と人々の生活を詳しく眺める一冊。後世に名を遺した作家や作品でなく、当時流行した作品を扱うところが本書の特徴となる。なかでもヴィクトリア朝時代に名を上げたものの忘れ去られ、近年再評価されるに至ったウィリアム・パウエル・フリスとエドウィン・ランシアの二人の作品が際立っている。
・第二章ではプラットホームに蝟集する多様な階級・職業の人々が魅力的に描かれた作品、ウィリアム・パウエル・フリスの『駅』が取り上げられる。1850年前後の英国の経済的繁栄は労働者の生活上の不満を吸収し、彼らの政治上の要求は革命ではなく従属を選ぶに至り、繁栄の余波を楽しむこととなる。労働者といえども近郊への日帰り旅行を楽しめる時代になったのだ。貴族様と労働者の混交する『駅』の情景はこんにちと変わりなく猥雑であり、表層の繁栄と群衆の中の孤独がみられる。
・二つの国家。ヴィクトリア朝英国を二分する「ミドルクラス以上」と「ワーキングクラス」。後者の中でも貧困を極めた人々が行き向かうのが国の貧窮院であり、公営の臨時宿泊所であった。困窮をテーマにした絵画作品がロイヤル・アカデミー展に出品されると、「自らと違った人々の姿」を観ようと人々が押し寄せたことが第十章で述べられる。「理想美」からかけ離れた時事的なテーマの作品は批判されるも、社会問題を扱う報道写真的な作品=新しい歴史画の出現は、美術史上の一大事件だったとわかる。
・もうひとつの英国の分断が男と女だ。男尊女卑なんてレベルではない当時の常識は、哀しみに暮れる数多くの女性を生み出すこととなる。オーガスタス・エッグの『過去と現在』(p94~95)に描かれた女性たちの悲運は、のちの過激な女性権運動をすら正当化するものであろう。
・第十八章、ウィリアム・パウエル・フリスの『ロイヤル・アカデミー展の招待日、1881年』が興味深い。ヘンリー・アーヴィングとエレン・テリー、リリー・ラングリー、オスカー・ワイルドに、唯美主義者のドレス(エステティック・ドレス)をまとう若い女性と多彩な参加者の熱気が目前から伝わってくるような圧縮された画面構成は圧巻だ。そのエレン・テリーの生涯も第十二章に詳しい。
・こころを奪われる絵というのは存在する。『ジェイン・グレイの処刑』(p252,なんどもナショナル・ギャラリーで鑑賞した)、『同情』(p219)、『選択』(p135)が僕にとってのそれだ。後ふたつは、いつか現物を観たいな。

「選り抜きの情報だけを伝える絵画芸術の雄弁さ」(p195)が、ヴィクトリア朝社会における関心ごとをあからさまに甦らせてくれる。いわば時代を追体験するという楽しい時間を得ることができた。

ヴィクトリア朝万華鏡
著者:高橋裕子、高橋達史、新潮社・1993年11月発行
2020年6月2日読了
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ヴィクトリア朝万華鏡
達史, 高橋
新潮社
1993-11T