本書の中核をなす『日本膨張論』は時代がかっているが、よく読めばなんのことはない、ソフト・パワーの浸透を意味しており、著者の心髄が吐露された名文である。また、いわゆる「世界主義」なるものの偽善性を暴くくだり(「国際的なるものに生命なし」「世界主義に隠れた民族思想」)は、現代的価値観からすれば疑問符が付くものの、心得としては有用だといえよう。
その前段、第二章では現代日本の知の巨人=小倉和夫、渡辺利夫、佐藤優、V・モロジャコフによる解説が開陳される。後藤の「世界認識」と現代日本とのかかわりを理解する一助となった。
・元勲・伊藤博文との議論が熱い(『厳島夜話』)。日本帝国本位の世界の恒久的平和の実現、日中関係が実は世界的問題であること、この時代にしては画期的な独仏同盟、ロシアとの対話などなど。後藤の話を傾聴しつつ、伊藤は「気色凄まじく私を難詰して滔々と数百言~」非難し、数日間、深夜まで議論は尽きなかったという。伊藤にロシア宰相との会談を奨めたことが、ハルビン駅で朝鮮人テロリスト安重根に暗殺される遠因となったことは、後藤にとって悔やみきれなかったことだろう。
・眠れる獅子、清国の実像を暴き、欧米列強の進出を招き、さらにはロシアの南進を招いた日清戦争こそ「士族の商法」とバッサリだ(p84)。そして日露戦争の結果を後藤は憂慮する。
・人生訓も盛りだくさん。理想は「具体的に実現されつつその内容を付与されていくところに真実の価値がある」(p152)と「実現力」の重要さを説けば、(西洋)文明・知識はいたずらに模倣するものではなく「自己に同化し融合させて自己の用に供する」(p149)ことで価値を生ずると、大和民族を諫める。
・英国人の「人道主義的世界主義」なるものに対しても後藤は容赦ない。「甚だ露骨な民族思想の姿を、最も麗しい世界主義であるかのごとく錯覚している」(p158)
・『不徹底なる対支政策を排す』では、列強の動きに乗じて大陸への領土的野心を抱く議論をけん制する。曰く、日本と中国が一心同体となり、東亜の安念を作り出すことが肝要と。その後の歴史の展開には、後藤は目を覆うことであったろう。
・後藤は一個人としてスターリンと面会している。すでにソ連が赤化運動の方針を転換していたころである。後藤の説く日露支の三国協商が成立し、さらに日米協調との効果を発揮できていたなら、そして節操なき軍部の独走を抑えることができていたなら……世界は変わっていたんだろうなぁ(『東洋政策一斑』)。

しかし、何という世界観の違いであろう。第一次世界大戦のさなかにあって、一等国になる予感をもち始めた時代においてさえ「日本人は自信を持たねばならない」(p160等)である。現今の理想も希望もない「先細り時代」の日本人には、後藤の『日本膨張論』は空しい過去の出来事とスルーされるだろうか。否、僕はこれを叱咤激励として自身の胸中に響かせたいと思い、知と実績の巨人の手になる本書を静かに閉じた。

シリーズ後藤新平とは何か 自治・公共・共生・平和
世界認識
編者:後藤新平歿八十周年記念事業実行委員会、藤原書店・2010年11月発行