第一次世界大戦の災厄を二度と起こさないために、いまできることは何か。人類史上初の大規模な軍縮、ワシントン会議に続く、ロンドン海軍軍縮会議が開催されようとしていた。若槻礼次郎を首席全権に就任させるべく奔走し、自らも1930年1月の会議に臨んだ外務省情報部長、雑賀潤。本作は、彼の目を通して米英全権とのタフな交渉、海軍軍令部との軋轢と駆け引き、そして枢密院による反民主政府的な批准審議と、何物にも屈しない浜口雄幸内閣の姿を綴る一級の長編小説であり、当時のロンドンの描写とあいまって、とても興味深く読むことができた。
ロンドンのバーの地下蔵で邂逅する謎の女性、春子の存在も、ミステリーとしての本作のおもしろさを盛り上げてくれた。
・外交官はタフでなければ務まらない。交渉相手国に対しても、国内の右翼と軍人に対しても。条約の締結並びに批准に強硬に反対し、政府に立ちはだかるは、日本海海戦の英雄にして「軍神」、東郷平八郎である。仕事とはいえ、なんとも難儀な。西洋事情を熟知する公家政治家にして最後の元老である西園寺公望が味方に付いてくれたことは幸運だったのかも。
・山本五十六(大佐→少将に昇進)が雑賀の知古であり、随員として参加しているとは知らなかった。
・「論旨明瞭にして有言実行」(p276)。こうありたいものだ。
・当時米英に対して惹起された「国力を度外視した、きわめて感情的な強硬論」(p29)に注意しなければならないのは、現在も変わらない。10年単位で滑り落ちてゆく日本の国力を想えば、対中強硬論など愚の骨頂でしかない。
・大正デモクラシーの華、立憲政党による議会政治はあえなく終焉を迎えることとなる……。それでも外交官・雑賀は、いまや日本を敵対視する米英とのタフな交渉に臨むのだ。

日米英がそれぞれの国内から強い批判を浴びながら、画期的なロンドン軍縮条約を締結・批准した政府・外交当局の華々しい成果に対し、陸軍・海軍は苦い顔で何を悟ったのだろう。ひとり関東軍は柳条湖で浅はかな謀略を実行に移し、大日本帝国中央政府の意向を無視して満州で戦線を拡大した。これを黙認した陸軍は、やがて中国本国への侵略を開始する。海軍でも条約締結に協力した者は排斥され、山本五十六ら強硬な「艦隊派」が権力を掌握し……。
軽挙妄動。日本軍部の独走さえなければアメリカ、イギリスとの関係は違ったものになっていたでろうし、大日本帝国もおそらくは存続していたであろうに。本書を読むと、ABCD包囲網、そしてみじめな敗戦と国民の悲惨は、頑なな日本の軍部の独走が引き起こしたものだとはっきりわかる。
「男子の本懐だ」(p551)。浜口雄幸の生き方には共感させられること幾たび。これだけでも本作を読み終えた収穫といえる。

LONDON RAGING WAVES
ロンドン狂瀾
著者:中路啓太、光文社・2016年1月発行
2020年12月26日読了
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ロンドン狂瀾(上) (光文社文庫)
中路 啓太
光文社
2018-04-27

ロンドン狂瀾(下) (光文社文庫)
中路 啓太
光文社
2018-04-27