大日本帝国時代の東アジア旅行はおおらかというか、国内とほとんど同じ感覚で歩くことができたんだな(洋行は別)。帝国領土の朝鮮、台湾、樺太、関東州だけでなく、満州でさえ国内扱い。日本語のみで何ら困ることなく、アジア最強の通貨=日本円だけで何不自由なく旅行でき、支那大陸でさえ査証どころか昭和12年まではパスポートも不要だったそうな(シェンゲン協定みたい)。
本書は東アジアに対象を絞り、昭和時代の、主に戦前戦後の各種ガイドブックを紐解き、当時の旅行の実態を追体験するとともに、日本人の旅行観とアジア観の変遷をたどる一冊となっている。地図や写真も満載。
・海外との定期旅客船(一般人でも乗船できる)が就航したのは、1859年(安政6年)のP&O社による上海~長崎航路とのこと。意外と早かったんだな(p11)。
・物見遊山は許されず、(観光)旅行に大義名分が必要とされた時代は古くはお伊勢参り(抜け参り)から昭和十年代(戦地跡視察)まで続く。すごく日本人らしい(p10,22,32)。そして国が推奨した、学生や生徒が満州・朝鮮で戦績をめぐる旅行が「就学旅行」として定着したのか(p45)。
・支那の呼び名が中華民国に改められたのは、1930年(昭和5年)か(p18)。
・なんと戦前は、東京からロンドンまでの通し切符を購入できたとある。もちろん一枚ものではなく冊子状の「切符帖」だが、シベリア鉄道を活用することで実現できたこの制度、現代でも復活しないかな(p52)。
・はやくも1928年には東京~京城~大連の日本航空輸送の定期旅客便が飛行し、当時としては画期的な10時間での旅が実現している(p120)。
・中国の通貨「元」はYuanである。これは中華民国時代に、それまでの形状と異なる円形の通貨が鋳造されるようになり、園貨(円貨)と呼ばれ、字画が多いため、同音の「元」が代用された定着したという(p149)。目からうろこだ。
・戦前日本人観光客のアクティビティは多彩だ。新高山(玉山)金剛山への山登りや、スキー、キャンプを実践し、温泉を開発し、ハルピンのロシア式キャバレーや京城の妓生による接待を愉しんだ。当時の西洋式ホテル=ヤマトホテルは現在も奉天と長春で営業中とある(p173)。今度訪れてみよう。
・平成イランの「日本語ペラペラ事情」が興味深い(p275)。

敗戦後、旧帝国領土をめぐる状況は一変し、海外旅行が自由化されたのは昭和38年になってのことだ。それでもパスポートと外貨による制限は厳しく、むしろ海外旅行は戦前よりも高根の花となってしまった。ジャンボジェット機の登場によって運賃が下がり、格安航空券が広まって個人旅行者、特に女性が増えたことにより、「男性天国」だった戦後の韓国(世界史上に例をみない、政府による売春観光政策!)・香港・台湾のイメージも一変した。身近なアジアを対象に「海外ひとり旅」が当たり前のこととなった。
戦前・戦後の日本人旅行事情と、激変した東アジア事情を興味深く読むことができた。

旅行ガイドブックから読み解く明治・大正・昭和 日本人のアジア観光
著者:小牟田哲彦、草思社・2019年6月発行