1928年(昭和三年)はじめに英文学研究のために渡英し、ときに大陸諸国を見聞し、1929年春に帰郷した著者の紀行文学である。漱石渡英から約30年。欧州大戦を経て国力の衰退がみえはじめた英国の生々しい姿が開陳される。
・英文学の泰斗である著者にとって何が一番の楽しみであったか。倫敦古書籍漁りがそれである。著名人の蔵書票や書き込み、紙の匂い。オスカー・ワイルドに関する資料蒐集では、古書店店主の堅い約束(p114、金を積む米国人にではなく、先約あった著者に廉価で販売)に感動したりもする。「文学や芸術の批評は……常に作者のこの態度をみること、作者の『人間』そのものをみること」(p125)か。
・1928年といえば、まだまだ日本趣味の記憶が新しい。英国人にとって興味を持たれているのは「錦絵」「能楽」であり、その「舞台面の簡素で象徴的な点」や「幽玄物などが東洋思想の精髄の一つ」を遇する点が評価されているという(p147)。
・場末の舗道画家ガル君。芸術家として最下等な彼は、パリに行けば有名になれるとの友人の提言に首を振る。「英吉利人として英吉利にいたいからです。倫敦のまっただ中で、都会の渦巻きの中で、生活に直面するのも愉快なことです」(p91)。この心意気、良し。
・『マアトン・アベーにヰリアム・モリスを偲ぶ』は、ロンドンの西南の田舎に、ウィリアム・モリスの工房(第二次世界大戦で破壊された)を訪れる一篇だ。彼の遺した装飾は現在でも通用する様式であり、その「自己の創造衝動を思いのままに発揮」(p179)させた片鱗を垣間見ることができる。工業芸術の改革家にして、詩人・思想家。いつか彼の文学作品に触れたいと思う。
・舞台俳優レオン・エム・ライオン氏をウィンダム座の楽屋に訪ねる『俳優ライオン』の章が印象に残った。かつてローレンス・アーヴィングの下で『大風』を端役として演じた思い出、坪内逍遥のこと、歌舞伎の"型"に寄せる思い(日本芸術の"型"に対し、の英国芸術の神髄は破壊・建設・清新にある)、芸術家としての俳優(下僕の精神での謙虚さと、芸術家としての矜持のバランス、p197)。そして別れ際のウィスキーでの乾杯"エターナル・スピリット"など。第一級の人物の語りは、やはり違うな。
・「英国芝居見物」(p199~)では『ジャスティス』『帰りの旅:新ファウスト劇』『敵』『焦熱地獄』の観劇録、作者や俳優へとの会談録が収められている。『焦熱地獄』の登場人物の科白「吾々はどこへ旅するのかわからない。しかし~」と、道上の障害物を除去し、ともに歩く友人や後から来る旅人の通りやすいようにベストを尽くすようにしたい、には感銘を受けた(p299)。
・カフェ・ローヤル、アベラールとヘロイーズの比翼塚訪問記、プラハで開催された世界民族芸術大会での日本評など、興味深いエピソードも楽しく読むことができた。

欧州航路での体験も興味深い。上海では魯迅夫妻と昼食をともにし、香港では支那人や印度人への「牛馬のような扱い」に憤慨し「人種差別撤廃」など遥か先のことと思う。箱根丸の船内では、蓄音機から流れる音曲から歌舞伎の舞台に思いを馳せ、日本を離れるに従い、何気ない日本の文物を心に浮かべることとなる。
「吾々が日本を離れて遠く外国へゆくのも、実は本当に日本のことをよく見極めるためであるのかも知れません」(p363)まったく同感だ。

滞欧印象記
著者:本間久雄、東京堂書店・1929年12月発行
2021年2月21日読了
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