20世紀初めに、イギリス人の嫌う「ロンドンの霧」を芸術の域にまで高め、彼らにその魅力を気づかせた「霧のマキノ」。本書は、ロンドン漱石記念館の館長、恒松郁生さんがロンドンの古書店で発掘した『日本人画工 倫敦日記』の翻訳であり、牧野義雄の英国で培われたユーモアセンスとともに、武士道を尊ぶ彼の人生哲学が垣間みえる一冊となっている。
・官費留学生だった漱石と異なり、自力でサンフランシスコからパリ、ロンドンへと流れてきた27歳の牧野は赤貧に苦しめられる。背広はボロい一着のみ。二足しかない靴下は破れ、これも穴の開いた靴を履くと足指が見える貧乏くささ。美術学校で配布される木炭線消し用のパンを夕食代わりとし、昼食は公園の水を飲み、絵を描く紙に事欠くこともしばしばだった(p181)。画が売れて金が入ると体調が悪くなるというのも残念な体質だ。
・そんな牧野を下宿のおかみさん、英国人・日本人の友人、短期勤務先の造船事務所の日本人将校は暖かく見守り、援助し、彼の成功を心から願う。金には恵まれなかったが人には恵まれて幸せを見出したことが、同時期に滞英した漱石との大きな違いだな。
・「画才はまだ未熟なのに、私自身は毎日年老いてゆく」(p98)この焦燥感、よくわかるぞ。
・苦節9年の幸運。ようやく努力が報われ『THE COLOUR OF LONDON』が1907年に出版される。これが英国に一大センセーションを惹き起こし、本書『日本人画工 倫敦日記』も1910年に出版される運びとなる。
・『THE COLOUR OF LONDON』が出版された直後に牧野は入院するが、その日記がこれまた面白い。看護婦たちの献身には心動かされたようで、英国女性がみな彼女たちのようなら、婦人参政権運動にも全面的に賛成すると述べている(p164)。
・牧野が武家出身とは知っていたが、清和天皇の子孫だとは驚いた!(p93) 楽な暮らしではなく、芸術のいばらの道を歩むこと、人の十倍の努力を宣言した牧野に海軍将校は言い放つ。「よくぞ言った。世界を征服しようという野望をもつものはそうでなくてはいかん」(p26)。このくだりが実に良い。
・日本人の魂は武士道にあり、イギリス人のそれはビジネスにあると牧野は説く(p179)。この観察は興味深い。

日英同盟の締結された時代に、ロンドンの地で武士道を体現した日本人画家「霧のマキノ」の半生記を興味深く読ませてもらった。
外国の地において、日本人としてのあり方を問われることがしばしある。僕も誤った挙動を悔やんだことは多々あるが、牧野の心意気とその哲学には感心させられた。貧しく寂しい晩年を過ごした彼だが、せめて英国で一世を風靡したという事実だけは、その名誉とともに語りつがれて良いだろう。

A Japanese Artist in London
霧のロンドン 日本人画家滞英記
著者:牧野義雄、恒松郁生(訳)、雄山閣・2007年9月発行
2021年3月1日読了
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霧のロンドン―日本人画家滞英記
牧野 義雄
雄山閣
2007-09T