いわゆるアカ学生だった菅野省三は東京帝國大学を2年で放逐された。豚箱めぐりの末に「お辞儀」をしての出所。1931年をピークとする世界恐慌のなか、大学を追われた知識人にまともな就職口などなく、いまは実家の伝手で、阿藤子爵家のしがない写字生としての毎日を送っている。狂信的な軍部の引き起こした二・二六事件を契機に、急速にファッショ化の度合いを強める日本社会。独伊への接近と、イベリア半島での激しい内戦に次の世界大戦の予感をはらみつつも、まだこの安定した社会が続くと信じ、それを変革しようとする意識は、もう省三にはない。言論の自由が奪われつつあるなか、彼は故郷の図書館を根城とし、ある歴史研究の計画を立てようとしていた。
有力政党政治家を父に持つ垂水家の令嬢、多津枝は省三の幼馴染。亡きイギリス人が父であった万里子はとぼけた感覚が周りと違っている。大学時代の仲間で新聞記者の木津に、研究室にこもる小田、桜田門外で水戸藩士に殺害された井伊大老の孫であり、俗世間から距離を置いて能に執着する老伯爵。妖艶な阿藤子爵夫人。登場人物の豊かさとその人物造形、そして激動の昭和10年代の舞台と相まって、まさに大河ドラマというにふさわしい作品だ。
・華族とブルジョア社会の描写を基本としつつ、江戸から引き継がれた旧態依然とした南九州の商家=省三の実家のありようや、つつましい生活を送る木津=下層中産階級の生活など、昭和初期の目の前に展開されるような描写は物語に深みを与える。
・外に女を作った木津を恨みつつ、それでも愛を失わず、元気に生まれてくるであろう息子のことを楽しみに病院からの駅までの田舎道を歩く木津の身重の妻、せつ。それだけに『夕雲』のラストは哀しすぎて、思わず目をそむけた(上p267)。看護師となり、左翼活動に身を投じた彼女の最期は壮絶だ(下『崖』)。
・実用化は戦後とはいえ、小説に描かれるほどテレビジョンの概念が浸透していたのは意外だ。上流階級に限られるが東京でメルセデス・ベンツやアルファ・ロメオを乗り回す描写といい、朝食のオーブントースターといい、想像以上に現代の生活基盤が浸透していたことがわかる。
・妖艶な阿藤子爵夫人の過去と息子、忠文の秘密。万里子の省三への思い。スタンダール『赤と黒』の逸話と絡み合って、特に下巻は興味深い展開を見せる。
・増田家の松子夫人のキャラクターは愛らしくて憎めない。物事を深く考えない頭や、鯖のような丸い眼に、ぽちゃぽちゃした手。いつも何かを口にし、丸々と太ったその姿は、しかし、下層階級を戦場に追いやって、自らは軽井沢に避難する無責任な特権階級の姿でもある。
・省三の実家は大分の造り酒屋であり、政治勢力を二分する伊東家との確執は伝統にまで昇華された。だが若い世代=慎吾と省三に育まれた緩やかな友情は、慎吾に悲劇的な進路を選択させる。
・序盤で女学校一年生だった万里子も二十を超え、結婚話を次々と断る日々。その胸の奥底に秘めた想いは、ある日突然の奔流となって彼女の頬を涙で濡らす。多津枝の深謀も効果を発揮し、シナ事変=日本の侵略戦争下の世相をしり目に、無事に結ばれる省三と万里子。だが新婚夫婦にも非人道的な赤紙は容赦ない。「生活のすべての消滅」(下p387)
・後半1/4は戦争文学の体裁となり、日本軍がいかにえげつない行為を中国大陸で働いたかが克明に描かれる。暴行、掠奪は思いのまま。役に立たなくなった現地人使役人は銃殺。小さな老婆を蹴り飛ばし、穴に隠れた若い女性に手りゅう弾を放り投げるなんて……。
・昭和10年代=1935年からの10年間。それは戦前のモダン都市文化が最高潮に花開くと同時に、日本版ファシズム=軍国主義によって日本精神が徐々に歪められ、蝕まれてゆく時代でもあった。その中にあって古来の精神=本当の日本文化に忠実であろうとする江島宗道老人伯爵の姿はすがすがしく映る。

良心的兵役拒否、あるいは脱走者には銃殺の運命が待っている。「なんのためにおきた戦争で、誰のためにたたかうのか、理由のわからない戦争で死んで行くのを悲しみ、いっそ腹がたち、めちゃくちゃに絶望しそうだ」(下p367)。この、慎吾のノートに残された言葉こそ、為政者を含む特権階級から庶民に強いられた戦争の本質を表している。
日本の勝利は狂信的な軍部と特権階級をますます増長させる。一方で敗戦は庶民を極限まで虐げ、他国軍隊による蹂躙が予想されるが、日本の新生が期待できる。戦地で葛藤する省三の選んだ道は……。せめて、せめて、残された万里子と二人の息子、真一に小さな幸あらんことを願う。

迷路(上)(下)
著者:野上弥生子、岩波書店・2006年11月発行
2021年5月1日読了
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迷路 上 (岩波文庫 緑 49-2)
野上 彌生子
岩波書店
1984-05-16


迷路 下 改版 (岩波文庫 緑 49-3)
野上 彌生子
岩波書店
1984-05-16