政治・社会、文化・芸術、教会などの分野において、イギリス女性はどのように自己を主張し、その存在感と権利を拡張してきたのだろうか。本書は、18世紀からヴィクトリア朝時代を経て第一次世界大戦後に至るまでの期間を対象に、「ある種の自己実現として活動の場を押し広げて行った女性たちの姿に焦点を合わせ」(p4)た十篇の論文を収録、近現代のイギリス女性史を多方面から論じる一冊となっている。
・18世紀には先駆者としての女性著述家が(第1章)、19世紀には女性歴史家(第2章)が完全な男社会の中でほとんど理解を得られず、しかし活発に活動し、少なからぬ業績を残していることは特筆されるべきであろう。そして大学での女子高等教育の始まりが、アカデミズムの枠に収まらない彼女たちを継続的に生み出してゆく。
・女性が医師となる道はずっと閉ざされていた。1870年代以降に増加した彼女たちの、帝国主義の高まりによって活動の場を拡げる様相を第3章は取り上げる。なるほど、植民地の文明化を責務と感じる大英帝国臣民の意識の高揚を追い風にしたといえるのか。
・第7章は第一次世界大戦期を中心に、政府主導による外食産業の萌芽と挫折と新たな発展の姿を追う。フランスとちがってイギリスのレストランで基本的にパンが提供されない理由が大戦時の食料制限に起因するものであり、「装飾的であったヴィクトリア朝の食文化から、簡素で実を取る近代主義的な色のデザインへの脱皮」(p251)と、アッパー・クラス、ミドル・クラス、ワーキング・クラスそれぞれの「外食」に対する意識の差異、そしてナショナル・キッチンの誕生に関するエピソードは興味深い。
・ヴィクトリア朝時代、仕事で不在となった夫に代わり家庭を預かる妻の「家庭の天使」のイメージは愛らしく朗らかである。その実、大小の社交を必要とするミドル・クラス以上の家庭の主婦は、美貌・体力・文芸的素養などの個人的資質とコミュニケーション能力に管理能力を兼ね備えた「魅力的で有能な女主人」かつ「多角的能力を保持する『スーパーウーマン』」(p323)でなければ務まらない大変な身分であることが、第9章を読むと理解できる。1920年代から30年代の社交界を主導する伝説的な夫人から、政府首脳や王室関係者などとの「特別の関係」を有する「ファッショナブルな」高級売春婦まで、その能力と「不屈の意志力」(p340)は確かにずば抜けているな。
・第10章では20世紀初頭から第一次世界大戦までの間、参政権獲得のために闘った女性たち、なかでも舞台女優を中心に結成された女優参政権同盟の活動が叙述される。運動を活発化させるために娯楽と関連付け、検閲に抵触しないよう、また女性ならではの華麗な内容の運動は極めて興味深く、だがワーキングクラスへの浸透はかなり困難を伴ったことがわかる。本書では1913年に小山内薫の見た活動が引用されているが、長谷川如是閑『倫敦!倫敦?』でも、1910年に彼の直接見聞した1万人数千人のサフラジェット(女壮士)の大行進「女権拡張示威運動」の様子が書かれており(岩波文庫版p379~)、参政権運動は当時(1910年代~)の大きなムーブメントであったことがうかがえる。

「私見ではなく事実を」(p70、アグネス・ストリックランド女史の言葉)。
本書により、「すこぶる個性的かつ驚くほど積極的に、与えられた立場を最大限活用して歴史を生き抜いた」(p389)数々の女性たちの存在を知ることができた。なに、これは当時のイギリス人女性に限ったものではなく、現在を生きる僕を含む、すべての人類が目指すべき生き方だと気づかせてくれた。

欲ばりな女たち 近現代イギリス女性史論集
編著者:伊藤航多、佐藤繭香、菅靖子、彩流社・2013年2月発行
2022年3月17日読了