サブタイトルの『小公女セーラ』(島本須美さん演じるアニメ版は良い!)に惹きつけられて買ってしまった。本書は、ヴィクトリア朝時代『ジェイン・エア』『小公女』から21世紀『黒人教師』に至る長期スパンと大英帝国/コモンウェルスの地理的影響範囲を対象に、いわれなき偏見や差別と闘いながら自らの地位を勝ち取ってきた女教師(ガヴァネス、私塾講師を含む)の足跡を多方面から論じる一冊となっている。女性史やフェミニズムに内在した人種主義や帝国主義(p19)も興味深い。
・第一章「ミドルクラス女子の生きる道」。「ドメスティック・イデオロギー」(p27)とは初めて知った言葉だが、その実情は大変だ。純真無垢なセイラ・クルーを責めるミンチン先生にあまり良い印象はないのだが、彼女のバックボーン=零落したミドルクラス女性には実に冷酷な男性優位社会と必死に格闘しつつ、教師と経営者としての地位を手に入れて懸命に生きてきた姿を垣間みて、少し印象が変わったのは事実。また時代は遡って『ジェイン・エア』を生み出したシャーロット・ブロンテの幼年の体験と女子寄宿学校生活は悲惨そのものであり、まだ高水準の女性教師養成学校も無く、まともなガヴァネスの口も極めて少なく、その苦悩が彼女をして作家とならしめた……女流作家の世界は必ずしもアッパークラスやアッパー・ミドルクラスのものではないのだ。
・第二章「帝国の女教師」。1869年、ケンブリッジ大学に女子学寮が誕生するも、女教師の居場所はまだ狭い実情がある。そして女性教師養成のための中等教育でも格差は存在した(歓迎されたミドル・クラスと法律上25%の入学を定められたワーキング・クラス)。大学へ進学できずイギリス本国での教職に就けない卒業生は、自然と帝国各地へと目を向ける。インド帝国、カナダ、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランド。帝国意識。女教師と女校長たちの帝国ネットワークは、この後とてつもなく大きな力を有することとなる。
・第三章「バッシング」では、社会的・行政的なフェミニズム叩き、特に高学歴独身女性への風当たりが強くなる状況を確認する。ただ個人的には、いわゆる「男女の仲」が「強制的異性愛主義」として「巨大な政治的、経済的権力によって強制された」というのは、どうか、と思う(p135)。
・第一次世界大戦後、カナダ、南アフリカ等の自治領が事実上独立する戦間期、イギリスは経済帝国主義とパターナリズム(家父長的姿勢)の視線でアフリカを捉えるようになる。第四章「新天地を求めて」では、アフリカと西インド諸島でどのような「イギリス式女子教育」を画策し、または諦めたのかが探求される。なるほど、ジーン・リース『サルガッソーの広い海』にはそんな背景があったのか。
・第二次世界大戦後、招き入れられたはずのイギリス本国で露骨な人種差別にさらされる西インド諸島からのカラードの移民者たち。白人と黒人の対立は1958年8月の暴動事件に発展し、多数の逮捕者・死傷者を出す事態に。第五章「『ブラック女教師』の誕生」は、西インド諸島からの移民二世であり、イギリス最高の女子教育を受けたある女性教師の半生を中心とする。彼女たち移民・移民二世の女性は自分たちの受けた抑圧を、人種と帝国主義の文脈に置き、欧米白人のフェミニズムには安易に同調しない。『ジェイン・エア』や『小公女』の時代には考えることすら行われなかった「教育カリキュラムの脱植民地化」を、かつて差別を受けてきた黒人女性が達成する……ここに、本当の意味での教育の成果が存在するのだ。

気になった点が1か所。第五章でインド・パキスタン分離独立について触れ、「イギリスの影響力や調整力がすでに失われた結果」「多数派ヒンドゥー教徒と少数派イスラム教徒」がそれぞれ独立し「多数の犠牲者を出した」とあるが(p211)、印象が薄い。ここは踏み込んで「国民会議派と回教徒連盟の対立から、ヒンドゥー教徒(2億5千万人)、イスラム教徒(9千万人)がそれぞれ多数派を占める地域がインド、パキスタンとして1947年に分離独立し、同年に勃発した第一次インド=パキスタン戦争と『異教徒』の地域間強制追放・移住を通じて、市民に50万人以上の死者を出した」等と書いて欲しかった。

中学教師を辞職し、ロンドン大学教育研究所で「ジェンダーと教育」を深く研究した著者の知見が随所に光る。女性史やフェミニズムの観点から、帝国主義社会、男性優位社会で生き抜いてきた女性教師、ひいては人類教育のあり方を見つめる一冊といえよう。

女教師たちの世界一周 小公女セーラからブラック・フェミニズムまで
著者:堀内真由美、筑摩書房・2022年2月発行