19世紀のイギリスは理想的な立憲君主制のもと、二大政党による見事な議会政治が機能した模範国であったと言われる。だが本書を一読すれば、このような"幻想"は見事に打ち壊される。理想の君主とされるヴィクトリア女王は頻繁に政治に介入し、首相を罵倒し、閣僚人事には自分の好き嫌いをあからさまに表明して変えさせようとした。また一時期日本で持てはやされた二大政党制のトーリーとホイッグ、保守党と自由党は何度も内部分裂し、採決では裏切り者が続出した。選挙期間中の贈収賄は当たり前であった。
本書はグラッドストンとディズレーリ。七つの海に君臨した19世紀イギリスを代表する偉大な政治家の生い立ちから政治信念と、彼らの限界、そしてヴィクトリア女王の"性格"に焦点を当て、今日的視点からイギリス政治を追う一冊となっている。
・奴隷を所有するカリブ海の大農場主にして従男爵の息子であり、イートン校に通う15歳のグラッドストン少年の演説が残っている。下層階級に教育を与えることは、彼らにとって有益か、とのディベートに、彼は善良にふるまうために資質を向上させれば義務に忠実となるだろうと、上から目線で述べるとともに、彼ら職人の勤勉さや才能を眠らせ、希望を砕き、精神を抑圧したままにしておくことは「道義的に正しくなく、政治的にも当を得ていない」との意見を開陳した(p18)。これが政治家になってからの彼の政治行動を律する二つの尺度となる。だがオックスフォード大学ので討論では参政権の拡大に反対する。曰く、参政権の行使には特別の能力と責任感を要し、それを有するものは限られているから(p24)である。非民主的ではあるが、こんにちの日本の政治状況をみると、案外的を得た意見であるとわかる。
・一方のおしゃれな文学青年、ディズレーリである。彼の父の代までの名前はD'Israeli、すなわちイタリア語でイスラエルの人、であった。商人の父がキリスト教に改宗してからDisraeliと改名したとある。なるほど。少年は孤独を愛し、読書にふけり、少年の父は「あの無名の多数者、すなわち自己を欺きつつ自己に不憫で、凡庸の枠のなかで消えてしまうような、つまらぬぬ芸術家の大群」に入れるのを良しとせず、17歳の息子を弁護士事務所に就職させた。珍奇な服装に凝り「ハイソサエティに入るには血縁か巨富か天才のいずれかが必要」と理解していた息子は投資に手を出し巨額の債務を抱え、それがゆえに次々と小説を発表し、負債の穴埋めにかかった。人生はいつどうなるかわからない。この頃、トルコ、エジプト、パレスチナなどを旅行したことが、のちの彼の対外膨張政策に影響するのである。
・堅物のグラッドストン議員の結婚観。娯楽を39項目に細分して一つ一つを検討し、宗教生活に影響しない結婚生活を女性に問う……。失恋の量産も已むを得まい。そして世はチャーチスト運動の全盛期。こちらも若き議員のディスレーリは労働者階級の悲惨な状況の改善を主著するが、日の目を見るのはまだ先のことである。そして彼は政治小説『シビルすなわち二つの国民』で富者と貧者の交わりのない二つの国民からなる英国を風刺する。
・ディズレーリとグラッドストンの最初の直接対決は、1853年度予算案の審議においてである。大蔵大臣ディズレーリの素人予算案は各方面から攻撃を受けた。「小説家の予算案」は議会で否決されると保守党内閣は総辞職、新大蔵大臣にはグラッドストンが就任する。彼の画期的な税制「革命」案、すなわち不動産の相続税の新設は外国人ですら驚愕するものであったという。
・クリミア戦争、アロー号事件、スエズ運河建設問題、ナポレオン三世暗殺未遂事件、インド大反乱。この時期には外交問題が山積していたんだな。そして労働者に選挙権を与える革命的な選挙法改正運動。労働者階級が政治に無関心であれば、議会が不活発となりうる……このグラッドストンの思想は現代日本にもそのまま当てはまりそうだ(p114)。
・19世紀後半はディズレーリ内閣、グラッドストン内閣が何度も交互に成立し、政党内部は分裂し、議事に混乱をきたし、政党の再編がなされた時代であり、帝国主義的膨張の時代であり、下層階級の基本的人権と政治的権力の拡張の時代であった。連接する「植民地」アイルランド問題は常に影を落とし、スエズ運河株式取得問題ではユダヤ人ロスチャイルドや新聞記者が政治に介入し、インド国有化に至る、と。ロシア・トルコ戦争とベルリン会議のビスマルクの逸話も興味深い(p165)。それにしても、立憲政治の黄金時代と言われるこの時代のイギリスでも、王室の政治への露骨な介入はしばし行われていたんだな。
・時代は移る。自由党の絶対的な指導者にして76歳の老首相、グラッドストンの前に立ちはだかるは、バーミンガムの若き成功者、ジョセフ・チェンバレンである。ジェネレーション・ギャップとでも言おうか、現在では当然のこととされる民主的な社会福祉政策の数々をチェンバレンに説かれても、グラッドストンにはもはや理解できなかったことは悲劇ですらある。
・国民から"グランド・オールド・マン"と親しく呼ばれるようになっても、グラッドストンはヴィクトリア女王にとっては「この半気ちがいで、いろんな点で、まるでこっけいな老人は大嫌い」(p192)なわけであり、彼の死後に追悼の辞を送ることすらしなかった。これが女王の冷たい側面であったのか

「歴史における個人の力は大きいが、歴史の流れに抗してまで個人の力が影響を及ぼすことはできない」(p214)
すでに帝国主義に突入した世界の中にあってはイギリスは強くなくてはいけない。個人の意に反しての対外膨張政策、諸外国の占領。しばしば個人の信条を歪めるほどの決断であったろう。また福祉政策の充実については、正直、自らの理解・納得を得ないままに進めざるを得ないこともあったろう。
明治・大正の日本において理想的な政治家として崇高された自由党の「虞翁」グラッドストン。そして稀有な文学的才能を併せ持ち、強硬的な対外政策と社会福祉を同時に推し進めた保守党のディズレーリ。この二人の「飾りのない」人物像を知ることができたことが、本書の収穫であった。

新・人と歴史 拡大版29
最高の議会人 グラッドストン
著者:尾鍋輝彦、清水書院・2018年7月発行
2022年6月26日読了