近代科学技術。それを生み出した土壌が人口集積地である都市の発展であり、それは人類社会の生活の変革をもたらした。すなわち季節と体内時計を基準とする生活から、産業時刻に管理された生活へ、と。

現在では当たり前のロー・テクも、100年前の先進国では最新ハイテク技術であり、現在の発展途上国においてすら(IT等の一部を除いて)「この目で見たこともない」ハイテクとなる。
また、規格に合わない特殊事情者、採算の取れない少数者、役所審査の上での不適格者等、現代のハンディキャップを背負った人たちには技術の恩恵が行き渡っていないことが指摘される。これを解消するのは「社会技術」上の課題であるとも。

興味深かったのは余暇の解説。欧米、特にプロテスタント諸国では「仕事から解放された自己実現の時間」こそが余暇であり、その時間を増やすために猛烈に技術革新に取り組んできた。それは、余暇の原語=スコレーが転じて学校(スコラー)が成立したにも窺える。一方で明治以降の日本は「余暇=自由勝手に使える時間」と理解している。技術革命の成果だけを取り入れ、その本質をわかっていない。そのように欧米から時折揶揄されるのも、その誤解が根底にある、と著者は語ります。

近代技術と社会
著者:種田明、山川出版社・2003年8月発行
2006年7月7日読了