近年、日本の戦争責任に対する中国と韓国の批判が強まっている。国家の煽動だ、と一蹴できない"何か"がその底辺に横たわっている。
原爆投下を巡る日米両国民の認識の隔たり、ユーゴ内戦に対する欧州と日本の対応の違い、コソボ戦争終盤のユーゴ空爆に対する欧米社会と日本社会の対応の落差が現れたが、「国民の戦争の記憶」の正体を探ることで、その遠因が説明される。

・戦争の記憶。それは個人の私的体験が家族と地域で語り継がれことによって社会の記憶となり、公的戦争史観が制定されることで"国民的体験"となる。
・国家の権利として戦争を認める伝統的な「現実主義」に対し、いかなる理由であれ戦争に反対する「反戦主義」と、侵略者に対する武力制裁を行うことで平和が保たれるとする「正戦主義」とが対置されるのが現代政治の構図となる。
・現代アメリカは「正戦社会」だが、かつては、破壊的な南北戦争の経験が「反戦社会」としていた。しかし現代の米国「正戦社会」は第二次世界大戦の勝利が原体験となっており、今後も変わることはない。
・「反戦社会」である現代日本で戦争を主張する者はごく少数。だが戦前では、反戦の声を上げる者こそ少数派だった。破滅的な敗戦が日本社会を根底から変えた。
・反核平和運動主義の問題点。親中ソ・反米的な要素はともかく、普遍的な"ヒロシマ"を語っても、広島の惨劇、具体的には実在の原爆被害者を救済することを考慮しなかったことは致命的だ。

1929年に発効した不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)をあざ笑うように、幾多の人命が銃弾と炎と苦痛と絶望の中で絶えてきた。第二次世界大戦が終了して60年。やっと「戦争は犯罪である」との共通認識が定着しつつある。それでも「正戦主義」は根強く残る。

なんとなく「反戦・平和主義」だった日本社会も、「限定的正戦主義」の意識が主流となりつつあるように思える。米国との同盟を最重視する点からも、それが現実的だと思う。

戦争を記憶する 広島・ホロコーストと現在
著者:藤原帰一、講談社・2001年2月発行
2007年1月6日読了