1枚の絵がある。
乳飲み子を抱いたまま、黒こげて横たわる若い母親。
子供の手足は肉が溶け落ち、それでも小さな白骨は、母の二の腕をしっかりと掴み――原爆に焼かれて亡くなった母子の絵だ。

美しい国? そんな薄っぺらいスローガンなど吹き飛ばす、凄まじい世界がここにある。

平日にもかかわらず、見学者は多い。新館1階の入口に入ると、幕末明治の広島が西の軍都となる歴史が、日露戦争時には大本営(明治天皇滞在)や臨時の帝國議会議事堂が設営されるなど、臨時首都と機能していたことと合わせて紹介される。やがて時代は下り、原爆が投下され、都市がどのように変貌したかが精密な都市模型によって再現される。
ここらあたりまでは笑い声も残る。他の美術館などと同じだ。
2階へ移る。戦後の広島・被爆者の苦難、世界中からの救いの手。その一方で増強される世界の核兵器システムと、それがもたらす絶望の未来。ヒロシマからの「世界平和」が、来訪者に強く訴える。
そして本館へ。被爆直後の街を再現したと思える等身大ジオラマ。詳細は書かないが、あまりの惨状に、無駄話をする見学者などいない。
展示される小さな「遺品」には、魂が残っているかのようだ。さぞかし無念だったろうに。
最後に、被爆者自身の絵が展示される。冒頭の「焼け死んだ母子」も、その中の1枚だが、強く心に残った。

ほとんど無傷の死体、すなわち強い放射線を浴びて死亡した多数の中学生が、まるで丸太を積み重ねるように埋葬される絵もあり、思わず涙を誘う。

たとえば、目の前に焼けただれた、それでも何とか生命をつないでいる子供がいる。
手足の皮膚はただれ落ち、綺麗だった顔容(カンバセ)は血と煤にまみれ、ボロボロの衣服からはひどい臭いが鼻を衝く。
果たして自分は、彼を、彼女を、抱きしめることができるだろうか。
人間性が試される真実の瞬間、自分はどう行動するのだろうか。

本館2階の通路の窓から、原爆死没者慰霊碑を眺めながら、そんなことを思った。

余談。
出張先での仕事が終わって小腹が空いたので、広島焼きを賞味した。広島駅構内南側のASSE内にある「麗ちゃん」だ。昼食時に20人以上も並んでいたが、夕食には少し早い時間帯だったので、3分待ちで座れた。
なんて美味! 
思ったより小ぶりだったが、神戸の広島焼きとは別物。やっぱり食は本場に限る。

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(2007年1月19日)