テロリズム。今日のマスメディア報道でその言葉が使われない日は無いと言って良い。では、テロリズムとは何か? 本書は、その漠然とした疑問に明快な答えを示す。

それは、一般市民を標的とし、政治的目的をもって行使される暴力または脅迫である。

よって警察や軍に対する暴力行為はテロではないし、無論、非暴力的なデモ行進やストライキは含まれない。ゲリラ活動でさえ、一般市民を標的にしない限り、テロ行為には含まれない。

テロにも種類があり、大きくは民族集団や宗教集団等によるものと、国家によるものの2種類に分類される。
国家テロ対国家テロとして、インド対パキスタンの例が挙げられる。国家成立の過程で数千万の人々が絶命し、その後もヒンドゥー、ムスリム、スィークの対立が続く中、双方の国家は代理テロリストを支援し続ける。
一方、イスラエルとパレスチナの対決は、国家テロ対民族集団によるテロとして挙げられる。
イスラエル国家は、かつての宗主国であるイギリス市民に対する大規模なテロ活動と、土着のパレスチナ人から土地を奪うための大量虐殺行為によって成立した。
現在のパレスチナ人に対するイスラエルの暴力は、すでに国家防衛のための合法的な活動を逸脱し、自国民に対する国家テロ以外の何ものでもない。だがイスラエル政府にとって、「ホロコーストを引き起こした無防備なユダヤ人の状態」を引き起こさないためには、筆よな行為なのだ。
多くのパレスチナ人にとって自国政府は「略奪者」以外の何者でもなく、ユダヤ人に対する攻撃は、全く正当な行為とされる。相容れない主張は、未来に渡ってテロリストを育む。

テロと対テロ戦争は、民主政治にどのような影響を及ぼすのだろうか? これが本書の主題であり、短期的には、先進国では自国民の政治的権利の縮小が促進され、独裁色の残る途上国では「人権」そのものの消滅につながることが示される……。
この「民主主義の新しい概念」を否定しつつ、テロ行為そのものを抑制(無くならない)するために、どうするのか? テロリストを戦士としてではなく「卑劣な犯罪者」として扱い、テロ後に軍事報復(リ・アクション)ではなく、経済的・政治外交的手段によって彼らの不満を和らげること(プリ・アクション)が、解決策として提示される。
「社会改革」と「真の民主主義」を進めることが。テロ、対テロ戦争による暴力の連鎖を崩す。そういうことだろう。

冒頭に、テロリズムの定義が本書に明快に示されると書いた。これによると、国家間戦争はテロ行為に含まれないことになる。政府対政府の戦いであり、互いの正規軍が対峙する「19世紀までの伝統的な戦争」は、その通りなのだろう。
では20世紀型の戦争、すなわち総力戦はどうなのか。
大量破壊兵器を持ち出すまでもなく、都市に対する絨毯爆撃、ゲリラ組織を壊滅させるための農村の破壊、数千人に上る一般市民の「やむを得ない犠牲」とは何なのか? これこそ、国家テロの最大限の行使ではないのか?
著者の視点が欠けているとは思えないが、なんら説明されていないのが残念だ。

the NO-NONSENSE guide to TERRORISM
テロリズム その論理と実態
著者:ジョナサン・バーカー、麻生えりか(訳)、青土社・2004年12月発行
2007年8月17日読了