豊かさを誇る日本。その景気はバブル時代を超え、自動車産業では「トヨタが世界一に君臨する日」も近いとされる。
本書は、その中の闇、すなわち「豊かさの中の貧困」にスポットを当て、日本社会に警鐘を鳴らす。

ワーキングプア。この言葉の意味するところは正直、次のようなものだと漠然と思っていた。
「自分探し? 自分らしさを求めてのモラトリアム? ふざけるな! こっちは21歳から命を削り、ときには午前様で働いてるんだ」
「日本社会の表面的な豊かさ、つまりバブルの残滓と円高デフレに便乗し、社会を舐めて働かなかった奴らがいる。怠け者のそいつらが年齢を重ね、周りとの格差を意識し始めただけのことだろう? 自業自得だ、ざまぁみろ」
「そりゃぁ、まじめに働いても収入が少ない人もいるんだろうけど、それは例外だ……」
本書は、そんな浅はかな思いを吹き飛ばし、衝撃を与えてくれた。「働かない」のではなく、本当に「仕事がない」現実を知った。

「田舎は捨てられちょる。都会なば、ちぃとずつ、良くなってきちょるが、田舎はだめだ。捨てられちょる」
海外移転した大工場。病気の母と暮らす30歳の女性社員は転勤よりも退職を選ぶが、アルバイト求人すらない田舎の現実は、想像を超えて凄惨だ。失業保険の期限切れが迫る中、その母親の落ち着いた、しかし悲痛な叫びが胸を打った。

「お金を持つ人間と持たない人間は、そもそも住む世界が違う。競争も、それぞれの中でしか行われない。自分は現実を受け入れて、この世界で頑張るしかない」
家の事情で進学できず、高校卒業後もアルバイトを続けてきた若者。30歳を過ぎると状況は一変し、日々の食料費さえ欠くことになる。このまま路上生活を続けるしかないのか。

「家があれば生活保護が受けられねぇって言うんだべよ。したら、仕方ねぇ。貧乏人は死ぬしかねえべ」
仕立屋として30年以上の職人人生を生き抜いてきた。地方の崩壊とデフレ経済に巻き込まれ、その結果が「年収20万円」の極貧生活だとは! 妻の介護の負担が重くのしかかり、食費を切り詰めて必死に耐える老人の姿は、涙なしでは語れない。そして、官僚の自己満足のための作文「医療制度改悪」が、ギリギリの生活を営む市井の善良な老人を追い詰める……。

「農業は、もうダメだ。やっていけねぇもの。食べていけねぇもの」
作業場で働く60歳代の夫婦。早朝から深夜まで米を作り、漬け物を作って売る毎日。年中休まずに丹誠込めて田畑を耕し、農作物を世に送り出しても、赤字になるだけ。これが日本の米所、秋田県の現実なのか。
「働いても『給料が安い』なんて愚痴を言っている都会の会社員は、信じられないかもしれないが、『給料をもらえるだけマシ』なのである」か……

他にも「死ぬまで働かざるをえない」老人の哀れな末路、安価な中国製品との競争を強いられるだけでなく、日本製品を作る「時給200円の中国人研修員」に苦しめられる中小零細企業の叫び、家庭環境から、余裕のない生活に追い詰められる子供たちの姿など、深刻な現実が明らかにされる。

最後に、自己責任について。
「大丈夫というか、やるしかないですよね……。大丈夫じゃなくてもやり通さなきゃいけない……」
「あと10年頑張れば、自分の体がボロボロになっても、子供たちは巣立つと思うので、あと10年、自分がどう頑張れるか……どう生きれるか……私が果たさなきゃいけない責任……」
二人の子供を抱える母子家庭の母親は、昼夜のダブルワークで睡眠時間は4時間。児童扶養手当で何とか生き延びてきた家庭を、「児童扶養手当改定法」が容赦なく襲う。国は「自主」「自助努力」「自己責任」を合い言葉に、ほとんど中身のない支援策でごまかすばかりだ。資格を取るための支援策らしいが、そんな時間と学費を用意できる母子家庭が、どこにいるのか? 彼女は力なく語る。
「勉強したくてもできない……。それを簡単に『自助努力』の放棄と言われても……。こうやって生活している私たちは、『自助努力が足らない』ことになるのでしょうか……」
そんなこと、いったい誰が言えるのか?

仕事への「誇り」、人間としての「誇り」が奪われている、か。
本当、久しぶりの快作に出会った。
偶然の成り行きでこのブログを読んでくださった皆さんにも、是非、読んでいただきたいのです。

ワーキングプア 日本を蝕む病
著者:NHKスペシャル『ワーキングプア』取材班、ポプラ社・2007年6月発行
2007年11月15日読了