肥大化する公務員組織は、必要のない仕事をひねり出しては、自己存在の正当性を主張する。いつの時代、どの国でも見られる光景だ。だが、それが市民に害を及ぼすとしたら……。

カフカの三大長編の一つ、審判を久しぶりに読んだ。
高層アパートに住む銀行員、ヨーゼフ・K。若干30歳ながら、類い希な才覚によって支店長の要職にのし上がった彼は、ある朝突然、寝室で逮捕される。
身に覚えのないところで起訴されているという。奇妙なことに、身柄を拘束されるわけでなく、これまで通りの生活に支障も無く、月に1~2回の公判への出頭のみが命ぜられた。
最初の日曜日、9時に裁判所を訪ねたKは、そこが高層住宅の一部であり、裁判所職員の一住居を間借りした臨時の法廷であることを知る。
驚愕は続く。裁判官と下級判事専属の肖像画描き、画家にまとわりつく幼い姉妹、おびただしい数の事務員、彼らすべてが裁判所の関係者だという。さらに、弁護士と裁判所職員のもたれあい、クライアントであるはずの被告人を奴隷のように扱う弁護士、何年待っても進展しない、気まぐれな裁判システム……。
Kは最初は突き放す。やがて一族がかかわり、職場でも周知の事実となり、肉体的、精神的に裁判に深く巻き込まれてゆく。
相変わらずの怠慢な裁判は続く。だが気まぐれか、必然か。その「仕事が完遂」されるため、ちょうど1年後の同じ日に、ヨーゼフ・Kは処刑されねばならなかった。

身近に突然起こる恐怖の光景。ある意味、全体主義のこれは、ドイツ的、あるいは、ゲルマン気質と呼べなくもないだろう。

自己増殖する官僚機構に制動をかけ、適正な姿に戻すのは政治家の責務であり、ひいては為政者を選択する国民・市民の義務でもある。
公務員は必要だろう。だが、公的機関としての役割が低下したのなら、その組織も縮小すればよい。公的組織の必要性を強調するのなら、非営利団体NPOが十分、その役目を果たすだろう。

どこの自治体も、膨大な赤字財政を放置・先送りし、破綻直前になってやっと「行革」らしきものを立ち上げる。兵庫県もそうだ。
今朝(2007年11月18日)の神戸新聞によると、兵庫県「県職員文化祭」なるイベントが、神戸国際会館を借り切って開催されたそうな。
これは兵庫県庁の職員と家族、OBだけが参加できるイベントだ。主催は職員互助会らしいが、その予算1,200万円の半分、実に600万円もの税金が投入されたという。残る600万円は県からの補助らしいが、それも我々の税金だろうが。
賃料もバカにならない「こくさいホール」では、職員によるダンスやバンド演奏が披露されたという。(まさか、仕事そっちのけで練習してたんじゃないだろうね?)
一般の県民にはサービス低下、各種補助金削減という痛みを強いておいて、バカ高い報酬を得る自分たちだけで、ノホホンとお祭りを愉しむのだ。その「まるで特権階級のサロンを思わせる」閉鎖的なお祭りに、われわれの血税が惜しみなく投入されるのだ!

なになに? 「中止も検討されたが、やむを得ず開催した」だって? 楽しみにしている職員が多く忍びない? 1年かけて準備してきたサークルの努力を無駄にしないため? そんなん、知るか!
う~ん。現代日本もある意味、カフカ的世界だなぁ……。

Der Process
審判(カフカ小説全集2)
著者:フランツ・カフカ、池内紀、白水社・2001年1月発行
2007年11月11日読了