中東を中心とする現代イスラーム世界の混乱と紛争は、何も宗教対立が原因ではなく、近代、特に19世紀以降の西洋諸国による介入とオスマン帝国の分割が原因であると解説される。
明治維新の少し前、1830年代のオスマントルコの改革は、軍制度の近代化、官僚制度の整備が中心となって進められるも、列強の進出を機会に地方勢力が独立志向を高めたことは、帝国の瓦解を加速した。また、資本制度の導入、鉄道網の整備は、それ自体がイギリスの勢力を深めるものになるとは理解し得なかったのだろうか。結局は財政が破綻し、列強の支配下に置かれることになるとは。
日本も一歩誤れば、同じ運命だったと思うと、先人の英知にただ感謝するばかりだ。

近代化のためのイスラーム改革運動は、その揺り戻しを内包しながらも発展するが、その成果のひとつが、イラン革命につながる「法学者の統治」理論であったことは、西欧社会へのしっぺ返しとも言えよう。

オスマン帝国の一部なるも事実上の独立国であったエジプト。かの国も近代化に乗り出すが、やはり財政が破綻し、棉花栽培への特化=モノカルチャー化への道を歩む。雄大な歴史を有するエジプトは、単なる原料供給地として大英帝国に従属するに至った。そしてこれが、ムガール帝国=インドの綿手工業者を死の淵に追いやることになる。グローバル化は当時から始まっており、いつも弱いものが泣かされる、か。

その他、オスマン帝国の歴史は、当時にあって突出したコスモポリタン的性格を有する中央権力=イスタンブールを中心とし、地方の有力者との権力のせめぎ合いを続けてきた帝国であったこと、アラビア語には住民の帰属を示す5種類の言葉があり、血縁・言語、地縁、宗教・宗派、政治単位、心理的な人間集団によってアラブ人を中心とするイスラーム世界のアイデンティティが形成されてきたことなど、日頃接することのないイスラム社会に関する知識を深めることができた。

世界史リブレット37
イスラーム世界の危機と改革
著者:加藤博、山川出版社・1997年3月発行
2008年2月4日読了