アメリカ同時多発テロにより、その存在がクローズアップされた「イスラム過激派」。本書は、20世紀初期からの複数の水脈から、60年代から80年代にかけて中東、中央アジア、アフリカ、東南アジアに拡散し、90年代に大きく変貌したたイスラム・テロ・コネクションの姿を明らかにする。

イスラム・テロリズムの起源として、血の復讐の掟を持つエジプト・上ナイル地方の、英国植民地支配に対抗する中で勢力を伸ばしたモスレム同胞団、殉教思想を持ち、イラン・イスラム革命によって力を得たシーア派イスラム、インド亜大陸で日常的にヒンドゥー教徒と対立したムスリム聖職者集団が上げられる。

モスレム同胞団は、元々互助会のような組織であるのだが、一部の強硬派がそれまでの「イスラムの敵を殺せ!」から「イスラム回帰を邪魔する者は皆殺しにせよ!」へと思想を進化(?)させ、現在のイスラム過激派の思想の拠り所となった。政教分離国家の元首をも暗殺の標的にし、イスラム原理主義国家のサウジアラビア、革命後のイラン、スーダンがこれを経済面で支援し、移動等の面で便宜を図っている。

イラン・イスラム革命の熱波はレバノンに飛び火し、そこで結成されたのが神の党=ヒズボラだ。殉教思想を武器に自爆攻撃を繰り返す「狂信者集団性」と、外国人誘拐等の「犯罪者集団性」の融合したテロリスト集団であり、その活動はイスラエルやアラブ諸国にとどまらず、南米にまで及ぶ。

インド・カシミール地方のゲリラ組織。彼らは、反インド活動を目的にパキスタン軍統合情報局が設立されたとされる。インドからの分離独立当時から政治、軍事、経済に強い影響を持つパキスタンのイスラム協会を背景とするISIは、決して表面に出ることなく、彼らを指揮し、カシミールとインド国内に争乱を引き起こしてきた。

これらの系譜が、ソ連の崩壊後、アフガニスタンとパキスタンを舞台に融合、再編成され、アルカイダを中心とする強力なテロ・ネットワークへと発展した。

エジプトの最強硬組織「ジハード」の首魁、アイマン・ザワヒリと、アサマ・ビン・ラディンが手を結び、前者は事実上、アルカイダのナンバー2となった。パキスタン、バングラディシュ、カシミール、フィリピン等のイスラム組織が加わった強大な組織は、90年代後半になり、いよいよアメリカに牙を剥いた。アフリカでの大使館爆破事件、駆逐艦爆破事件……。
その流れの延長に、世界貿易センタービルへの攻撃が行われたのだ。
警告はあった。イエメンの米軍艦艇は沖合に避難したし、中東各国、東南アジア各国、そして日本にもテロへの警戒が呼びかけられた。しかし、まさか米国本土で大規模なテロが実行されるとは、思いも寄らなかったのかも知れない。

さて、2008年11月にムンバイ同時多発テロを引き起こしたのは、ラシュカレトイバ(Lashkar-e-Taiba ラシュカル・エ・タイイバ=純粋な軍隊)とされている。カシミール地方でヒンドゥー教徒を殺戮してきたこのテロ集団も、活動拠点はパキスタンにあるとされる。アルカイダの関わりも取り沙汰され、インドとパキスタンの軍部の動きも穏やかでは無い様子。ほんの数十人のテロ集団が国際政治に及ぼす影響は計り知れないものがある。

イスラムのテロリスト
著者:黒井文太郎、講談社・2001年10月発行
2008年12月7日読了