一部の政治家や外国勢力がナショナリズムを扇動し、平穏な少数派民族と多数派民族の共存する社会を混乱に追いやる。これは旧ユーゴスラビアと旧ザイールで起こり、現在に生きるわれわれが目撃したことである。
本書は、1947年の分離独立に至るまでのインドとパキスタンの地で起きた"外来文明"がもたらした、"中世インド文化の解体"の歴史を明らかにする。

古いインド世界。そこでのヒンドゥーとムスリムの長く融け合った生活は、他でみられない独特の文化、たとえばムスリムのバラモン、イスラムの礼拝を欠かさないヒンドゥー教徒などを編み出した。

イギリスが持ち込んだ近代思想。その実、恣意的な"科学的"国勢調査や文明的改革に触発され、インド社会内部の自発的な宗教・社会改革は宗教ナショナリズムへと発展した。イスラム教徒とヒンドゥー教徒は純化し、分離独立したインドとパキスタンはいまなお、戦禍を絶やさずにいる、

宗教に関係なく北インドの民衆が使っていたヒンドゥースターニー語から発祥したウルドゥー語とヒンディー語は、19世紀以降、それぞれムスリム、ヒンドゥーの言葉として定着してしまった。

ヒンドゥーの枠組みにとらわれない合理主義を取り入れた初期の改革運動は上流階層に受け入れられ、ヒンドゥー教徒の内部へと浸透していく。出版物と集会を媒介に中間層を取り込み、やがてナショナリズムへと変貌した。
一方で、ムガール帝国解体の衝撃を受けたムスリムは、イギリスへの抵抗の無意味さを悟るとともに、擡頭するヒンドゥー勢力を意識しながら、積極的に大英帝国インドの現地支配層に変貌していった。
つまり、ヒンドゥー勢力への対抗心が、インド・ムスリムの観念を醸成させたのだ。
ここに、現地二大勢力への分割と対抗意識を通じた支配が実現し、イギリスの思うままとなった。

ヒンドゥー穏健派は国民会議派に収斂し、それに飽き足らない者はヒンドゥー大協会(現在のインド人民党の前身)を結成した。大衆相手に和解を説いて回ったガンディーの想いは実を結ぶことなく、ヒンドゥー大協会の青年に暗殺されるに至った。

このような概観を示した上で著者は説く。民族主義に限定されない地域主義が、宗教ナショナリズムを抑制する要素となり、さらに宗教ナショナリズムを煽る政治エリートとは別の価値観を有する大衆の自立性と叡智が、かつての共生の世界観の良き点を復活させる切り札になるであろう、と。

中国と共に、荒々しい人々のエネルギーと可能性に満ちあふれたインド。その人類文明に占める重要性は増すばかりだ。隣国パキスタンとの敵対性は薄れることはないだろうが、紛争をコントロールしつつ、その目指すところを今後も探ることとしたい、

世界史リブレット71
インドのヒンドゥーとムスリム
著者:中里成章、山川出版社・2008年3月発行
2009年2月19日読了