1904年のロンドン。第一次世界大戦には少し遠く、アフリカ白地図の塗りつぶしをフランスと競いつつ、新生ドイツ帝国に目を向けながらも、それでも大英帝国が世界覇権を謳歌していた時代の物語。

上流中産階級に属する女主人公、マーガレットは三十路を控えてロンドン近郊の一軒家に妹と弟と暮らす知識人だ。帝国主義的な価値観を静かに否定し、人類の営みが蓄積された文化・芸術に生きる価値を見いだす一方で、商業利益を求める実業家の働きがイギリスに富をもたらし、自分たちの金利生活を支えている現実を理解している。かたや妹のヘレンは活発で、恋愛に熱しやすく冷めやすいと言ったところか。彼らドイツ移民二世のシュレーゲル家と、生粋のイングランド人であり、ブルジョア企業経営者であるウィルコックス家のあいだに引き起こされる紆余曲折した交流を軸に話は展開される。

ロンドンを離れた農村部、ウィルコックス家の所有するハワーズ・エンド邸で物語の舞台は幕を開け、人の縁と理解、人が暮らす家の意味、価値観の異なる人間の愛憎、運命の変遷を経て、ハワーズ・エンド邸で最終章を迎える。

印象に残ったのがレオナード・バスト氏だ。下層中産階級=事務系サラリーマンである彼は努めて文化的な生活を志すも、生活費に追われる現実はあまりにも厳しい。平日は昼休みとヘトヘトになった帰宅後だけが自分の時間であり、本を読み熟考する時間すら確保できない。そして思うままにならない低収入。低俗で退屈で嫉妬深い年上の妻。まるで21世紀初頭の日本人サラリーマンそのものじゃないか。
その最期は上流中産階級の男に暴力を振るわれて……何かもの悲しい現実だなぁ。

「……その国の美徳を海外まで持って行くこの人種を超自由農民と呼びたい気もする。しかしこの帝国主義者というのは自分が思っているようなものとは違って、破壊者であり、やがては国際主義を招き、その望みがかなえられるようなことがもしあっても、この人種のものになる世界は灰色をした世界なのである」(457ページ)

1910年の作品だが、キップリングに代表される帝国主義文学とは一線を画す精神が、ここに顕現する。グローバリズムが浸透した現代に本作品を読むと、この時代の価値観が現在も形を変えて残っており、アメリカが大英帝国の正統な後継者であることがハッキリする。そしてアメリカ式資本主義が破綻の色を濃厚にしたいま、グローバル化が地域の独自性=ローカリズムの正しさを際だたせ、個性が力となりうることを示しつつあるのだろう。
100年前の世界文学を手にする意味が、ここにある。

HOWARDS END
ハワーズ・エンド
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-07
著者:E・M・フォースター、吉田健一(訳)、河出書房新社・2008年5月発行
2009年3月1日読了