2003年、ブッシュ政権のネオコン最盛期から、米国世論に厭戦気分が蔓延し、英国軍など「有志同盟」が解体しはじめた時期に朝日新聞系のメディアに発表された論評集。

中国に配慮しすぎではないの? と余計な口を挟みたくなるが、熟練の筆だけあって、安心して読める。

米国衰退、朝鮮核半島、中国標準、文明衝突、強制戦略。
400頁にもおよぶ本編のテーマは多岐に渡り、どれも読み応えがある。だが中核は「日本孤立」に関する危機感だ。
そして全篇に通底するのは、多様な意見を聞き、議論し、妥協を探ることの価値を説いていることだ。

■民主主義の活力の弱体化
小泉政権が登場し、孤立化、右傾化、そして何より、他者への非寛容さが加速した。著者の親日派の友人-米国人、韓国人が懸念し、非難し、半ばあきらめ顔で語るのを、著者は苦い思いでいたに違いない。
歴史問題では、靖国神社参拝反対者への言論テロ、そして暴力が放置されてきた。
拉致問題では、あろうことか東京都知事が、外務審議官に対する脅迫を"擁護"し、"あおる"ような発言をしたにもかかわらず、非難する者はいない。
民主主義が云々の問題ではなく、道徳の問題とも言える。寄らば大樹の陰、長いものには巻かれる日本社会の特質か?

自由と民主主義と市場経済は、日本一国主義ではなく、国際社会で生きる大前提だ。少数の尊重と多様性の保障(保証ではなく、暴力からの"保障")、透明性と言論の自由の確立が、あらためて問われる。

■早期英語教育無用論
「小学校は日本語優先。英語教育など不要」(伊吹文相:当時)
この国際化社会にあって、英語教育は早いに超したことがない、これは海外旅行で苦労した僕の経験からも言える。なにせ、話せないと、相手にされない。
著者は力説する。英語は世界に生きるための糧である、と。
「言葉は社交のために学ぶ。社交とは人間が社会でよりよく、より豊かに生きていく術である」(395頁)
「英語が事実上の国際共通語である以上、それをよりよく使いこなすことが国際社会で自らの機会を追求し、自らの可能性を発見し、自らの志や夢を表現する上で決め手になる」(396頁)

■日本外交レインボー・ブランド
21世紀、日本文明は米国文明と中国文明の狭間に位置する。これを危機ととらえるのではなく、持ち前の融合力で調合することで、新たな発展が期待できる。その力の源泉として著者は七つの力を提唱する。
経済力と技術力(モノづくり)、民生力(民主主義に基づき国際ルールを築き使命を果たす力)、地域安定力(日米同盟と東アジア諸国の地域協力を結びつける力)、文化力(文明の"与え方")、海洋・森林力(土建国家からの脱却)、共感力(途上国の境遇と挑戦への想像力)、そして融合力(新しい日本文明。そして普遍的な世界文明)。

■それにしても……。
2000年代以降のプチ国粋主義とでも言おうか。戦後政治、戦後教育の全否定。国連の否定。日本国中心主義。"勇ましい"右傾化。この風潮には不快さを感じていた。
昔は愛読していたSAPIO誌はその流れに乗ったから、とっくに読むのを止めたし。
グローバリズム経済にはくらいついているが、政治・社会交流、文化交流の面ではどうだろう。日本中心主義、「日本人、サイコー!」と陶酔している間に、世界中から見放された。そんな感じ? 

思えば、小泉(アメリカべったり、他国の心情無視の靖国神社参拝)、安倍(美しい国。その実、アメリカ賛美と戦前日本の美化)、福田(よくわからない)、麻生(ローゼンメイデンを愛読? 国民生活の破綻を尻目にアニメの殿堂?)と、それこそ、とんでもない時代だったな。
で、この4人って世襲政治家なんだな。まぁ鳩山政権もそうだけれど。

民主党政権になって、この流れが大きく変わる予感がする。矢継ぎ早の新政策の発表と、国連総会での地球温暖化防止策。米中が沈黙する中、EUには歓迎されたし。
日本政治だけでなく、日本社会も変わるかな。これまで期待していなかった分、刮目しようか。

日本孤立
著者:船橋洋一、岩波書店・2007年7月発行
2009年9月19日読了