アパルトヘイト政策が続く1986年の南アフリカ。ケープタウンの自宅に戻ったミセス・カレンは、ガレージに居着く一人の浮浪者を発見する。
「よりによって、こんな日に……」
こんな日。すなわち、70歳のカレンが"末期ガン"を宣告された日に、だ。

「こんな国」からアメリカに移住させた一人娘は結婚した。一度も会ったことはなく、永遠に逢うことのないであろう二人の孫たちもいる。日常を共有するのは黒人の家政婦とその幼い娘たち。戻ってきた家政婦の長男は「黒人の闘志」と自覚している。その友人の冷たい目。
歓迎せざる者たちが集うようになった我が家。しかし、ミセス・カレンの頼りにするのは、一人の浮浪者のみ。その異臭のする中年男へ、娘への長い手紙=遺書を託す。

白人と黒人の絶望的な隔絶。本名を明かさない黒人。躊躇無く発砲する白人警官。黒人を分裂させて支配する"アフリカーナー"。ラテン語も幅広い教養も役に立たない。"ただ善良"なだけでは生きてはいけない、この国の悲しい現実。

弱り切った白人老女を蹴り、口に棒きれを突っ込み傷を負わせるのは、10歳にも満たない黒人の子供。銃と爆発物を扱うのは、15歳の黒人少年。けしかけるのは黒人の指導者たち。
「アパルトヘイトの終焉」や「人種の融和」等の言葉が寒々しい。きれい事ではすまされない南アフリカの闇が、赤裸々にされる。

大人の黒人に闘争の無意味さを説いても、価値観の違い、と一蹴される。それだけならまだしも、黒人少年に、闘争への参加を止めるよう説き、それが聞き入れられず、自宅に踏み込んできた警官隊に射殺されるのを目の当たりにしたことは、ミセス・カレンにとって大きな悲劇だろう。

一方で、白人が黒人を支配、虐待している事実へ自分が荷担していることも意識している。
「白人は灰に、黒人は塊のまま地面に埋まり、その上を白人が踏みつけて歩く」

ブッカー賞を2回、そしてノーベル文学賞。著者のJ.M.クッツェーのテーマは「恥」にある。
抗ガン剤の副作用による幻覚との戦い。女としての弱さ。遠く会えない肉親ではなく、素性の知れない男へ気を許すことの"罪"の意識。いまわの際の描写は、悲しく、はかなく、美しい。

AGE OF IRON
鉄の時代
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-11
著者:J.M.クッツェー、くぼたのぞみ(訳)、河出書房新社・2008年9月発行
2009年10月21日読了