社会福祉を重視するとして、肥大化した政府に反比例して低下する行政サービス。ストばかりで働かない労働者。ヴィクトリア時代に栄華を極めた一方で、現代は老朽化した社会資本。金融以外に強い産業はなく、そのロンドン市場すら東京市場に凌駕された。サッチャー登場前夜のイギリスはこんな感じだった。そしてバブル時代の日本には「この斜陽した旧帝国には、何も学ぶことはない。我々はやがてアメリカをも追い越すのだから」との慢心いっぱいの風潮が蔓延していたことを記憶している。
そんな時代に書かれた著書だから、いわゆる警世の書の類の一角を占めるのは事実だ。だが豊富なヴィクトリア時代の文学、社会情勢と大衆の風俗、グローバル化の萌芽と大衆への帝国意識の浸透、進歩の影の「闇」の意識など、専門の19世紀イギリスに関する記述が面白く、いまは消え去った「自称・愛国主義者」による著書とは一線を画する。

スマイルズの「セルフ・ヘルプ」に代表される自助努力啓発本が売れ、当時のやる気のある若者は勤勉に励んだことだろう。トーマス・クックもその一人で、禁酒運動参加者のディスカウントチケットを実現したのをきっかけに、鉄道網の発展、労働環境の改善と、レジャー指向の萌芽、ロンドンとパリでの万国博覧会の開催等、時代の加速度的変化を敏感に読み取り、家族総動員で世界一の旅行代理店業を築き上げた。こういった新進の精神は、いまではアメリカに移ったのだろうか。

昭和の日本でも顕著だった「企業城下町」のルーツもイギリスなら、探偵小説、猟奇殺人等をセンセーショナルに報道して売り上げ部数を伸ばすマスコミ産業産業の発端もイギリスか。

産業革命によって勃興したホイッグ=自由党。社会の底辺を占める労働者に対し「溝から這い上がった自分たちのように、おまえたちも這い上がって見せろ」と鼓舞するが、温情を示すことはない。
トーリー=後の保守党も、より大きな鳥瞰から、長期的な社会全体の底上げを図ろうとした跡もない。結局、重視されない大衆自身の政治的・経済的身分の向上は、自分たちの代表=労働党を議会に送り出すしかなかったわけで、この点でもぬるい日本と異なり、大きな社会変革力が認められる。

恥ずかしながら、よく目にする「アルバート」が何であるか、本書で始めて知ることができた。ヴィクトリア女王の夫であるが、その人物を知るほど、現在のイギリスを築いた功労者であることがわかる。自らのアイデアに基づくロンドン万国博覧会。その王立準備員会での演説記録等からは「よくぞこのような人物がいたもんだ」と感嘆させられる。
著者が示すには、アルバート氏の最大の功績は万博に非ず。民主主義時代のイギリス王室のあり方の範を示したことであり、それが、革命に倒れたフランス等とは異なるとされる。日本皇室もまたしかり、か。

島国の世紀 ヴィクトリア朝英国と日本
著者:小池滋、文藝春秋・1987年9月発行
2010年2月13日読了