昭和6年頃の横浜と東京を舞台にした長編。旧仮名遣いは日本文学に相応しい。

大邸宅に暮らし、自家用車を乗り回す20歳のブルジョア、佐保子。
腹違いの妹、洋子の存在を気にしつつ、享楽の日々を送る。
両親の遺産を継いだ兄は丸ビルに事務所を構える会社に午後から顔を出す。その兄がダンサーに子を宿し、手切れ金で解決する様をみて、自らの階級と生き方に疑問を抱く。すべてを捨てて純真無垢に、自然のままに生きようとの願い。だが決心は付かない。

佐保子の親しい学士、相川もブルジョアだ。旧制高校、大学と一緒だった友人たちの境遇は様々だ。南米に旅立つ者、労働者運動に興味本位で参加し、メーデー騒ぎで拘留される者、ガソリン・スタンドを開き苦労する歴史学者崩れ、メロン畑の経営に乗り出す者。相川だけはブルジョア階級らしく、佐保子とテニスを楽しむ毎日だ。

世は不景気のただ中。大学卒業者の就職率が五割にも達せず、世には失業者が溢れている。華やかなデパート・ガールの洋子も若く貧しいままだ。役所勤めの洋子の養父も早期退職を余儀なくされた。

その洋子の生き方は清貧そのもの。上の境遇の者=佐保子の家から金をむしり取ることに執着する養父に対し、自分たちより貧しい者たちの境遇を気にする気性だ。やがて養父の差し金で佐保子の家をそうと知らずに訪問させられ、その行為に赤面するシーンは痛々しい。

結局、佐保子の最後の決心は実を結ぶことはなかった。"白い姉"のタイトルが如実に示すラストシーンは、相川を、洋子を、深い悲しみに突き落とす。

印象的だったのは二つ。佐保子の兄が妹に諭し、相川も友人に語る「中産階級の苦しさ、大資本に飲み込まれる潮流」の不気味さが脳裏に残る。ブルジョア生活を満喫する一方で、没落するリスクを常に背負って生きていく宿命。ロシア革命で日本に亡命し、娼婦に身を落とした貴族階級の姿が念頭にあったのだろう。

大正後期から昭和初期にかけての都会の描写は深く印象に残った。"女性"を主張し始めるモダン・ガール。その典型と言える佐保子と、その先を進む人妻、モダン・マダム。都会の華やかさとリゾート。ダンス・ホールにジャズにチャールストン。洋品店に"ブラジア"に"レコード・ケエス"。"ウヰスキー・タンサン"はハイボールだな。「欲しがりません、勝つまでは」「鬼畜米英」のスロ-ガンを叫ぶ昭和10年代の日本との乖離を強く感じた。終戦後の焼け野原をはさんでの復興と昭和30年代の華やかさが昭和の初期に実在したことを新鮮に思った。

大佛次郎セレクション
白い姉
著者:大佛次郎、未知谷・2007年9月発行
2010年10月15日読了