スコットランド沖の小島における夏のある一日と、第一次世界大戦を挟んで10年後のある一日における一家の行動を、沖の灯台へ出向くまでの出来事を描く。人の行為や事件・事故に委ねるのではなく、ラムジー夫人とリリーの心情の吐露を軸に、登場人物の"こころ"の繊細な内面をこれでもか、と表現するのが本作の特徴であり、発表(1927年)から80年を経た現在でも特別な位置を占めていると思う。

第1部はラムジー夫人の物語。
英国哲学界に確固たる名声を戴く10歳年上の夫とは、倦怠期を過ぎている。だが8人の子供たち(末子ジェームズは6歳)と、ロンドン市内や大学街で知り合った友人に取り囲まれた忙しげな毎日に充足感を味わう。近郊の"恵まれない家庭へのお世話"も、本人にとっては自己満足さと満悦感を充実させる行為だ。「奥さんはどうも直感に頼りがちで、人のことより自分の都合にあわせて判断するきらいがある」(109頁)との周囲の思いには目を塞いでいるようだ。
夏期を過ごす英国北部の小島。古くとも大人数の集う一軒家。夜には灯台の灯りが部屋を照らす、ラムジー夫人にとっての天国だ。幸せの情景。

第3部はラムジー夫人の娘キャムと息子ジェームズ、独身女性リリーの物語。
幼少にして母親が急逝し、戦争に長兄を奪われ、出産で長姉を亡くした17歳と16歳の姉弟にとって、厳格な71歳の父親は畏怖、そして憎しみの対象でもある。10年ぶりに訪問した我が家で「灯台へ出向く」と宣言した父に抱く思いは複雑だ。夫人に特別な想いを抱いていたリリーは貴重な縁談話も逃し、絵画に日々を費やす"おひとり様"。ラムジー夫人の思い出の庭園で、10年前に完成に至らなかったキャンバスに絵筆を向ける。

「他人のささいな心の揺らぎなど目にしても、人はいずれ忘れてしまう/…そんないっときの微妙な表情をだれが教えてくれるだろう」(228頁)
「あそこ("客間への上がり段")の空っぽな感じをどう表現できるだろう。これは肌身の感覚で、頭で考えることとは違う」(229頁)
死者の記憶……"美しい人だった"だけでなく、その様々な表情やしぐさ、心の内の現れをどう残すのか? 個人の思い出の永遠のテーマだ。

第3部11章では、リリーの特別な場所である"客間への上がり段"に影を落とす、客間で腰掛ける夫人の姿が現れる。10年前の日常と変わらず、編み針で子供たちの靴下を編む姿。リリーの"想い"が呼び起こした束の間の奇跡か、あるいは幻か……。実に感慨深い。

TO THE LIGHTHOUSE
灯台へ
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅱ-01所収
著者:ヴァージニア・ウルフ、鴻巣友季子(訳)、河出書房新社・2009年1月発行
2011年2月14日読了