大英帝国をローマ帝国の発展型とみなすキップリングの短編作品集。鳳書房の"インド傑作編"や岩波文庫に収録されていない作品ばかりだ。

「祈願の御堂」 The Wish House
サセックスの田舎町。老婦人二人が集まれば昔話に花が咲く尽きることのない話題。素行の悪い孫息子、亡き夫=暴君から解放された未亡人の恋、報われぬ恋。
悪化する足の病気、だが決して口にされない病名、"癌"。ミセス・フェットレイの涙声が耳に届きそうだ。

"祈願の御堂"の伝説。誰かのために自己犠牲を求める精神。思い人のために身代わりになったと信じ切ることが、生きることにつながるとミセス・アシュクロフトは言う。来年の再会はないと知りつつ……。

「サーヒブの戦争」 A Sahib's War
南アフリカ戦争を舞台にシーク教徒の老兵がインド軍の若き英国人士官の思い出を語る。ボーア戦争に従軍したキップリング自身の体験を活かした短編だ。

語り部は"非正規軍"の形態で戦闘に参加したシーク教徒のインド軍兵士。南アフリカの列車に乗り合わせた白人に自らの経験を語る。所属するインド軍騎兵連隊のイギリス人の隊長は、兵士にとって幼少から息子のように接してきた"チャイルド"であり、"親父さん"と呼ばれて信頼しあっている。"病気休暇"を取得して南アフリカへの個人参戦に臨む隊長に、ひとり随行する兵士。

従属するように振る舞い、その実、オレンジ自由国の手下である南アフリカ人たち。西欧式の正規軍間の戦闘と大きく異なる。昼間は農民、夜間は戦闘員となる現地住民が敵となる。影から「ビルマ戦争と同じだ」と兵士は語る。
21世紀の我々にとっては米国=大英帝国の実質的な後継者によるベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラクの泥沼の様相が思い起こされる。

ボーア陣営に与する現地アフリカ人に騙し討ちに遭い、絶命する隊長。死霊となってもなお、復讐に躍起となる兵士を制止し、大英帝国の建前"白人の戦争"に従順に従おうとする……。

戦争遂行に関し、キップリングはインド軍の大規模な投入による効率的な勝利を考えているようで、"白人の戦争"を建前にした本国政府への批判が随所に表れる。
ボーア戦争。「ダイヤモンド鉱脈と金鉱脈の奪取」というあからさまな帝国主義戦争であり、キップリングによる"大英帝国の総力戦"の思想を垣間見ることが出来る。

「塹壕のマドンナ」 A Madonna of Trenches
1918年、キップリングの息子も戦死した第一次世界大戦の激戦地、ソンム。。
過酷な戦場で兵士たちが唯一すがることのできるのは、故郷に残してきた家族、友人、知人との絆だ。

ドイツ軍の毒ガス攻撃。毎日のように発生する死者。その身体は凍結し、軋む。
「…ぼくが飛び降りたのは機関銃の砲座の上で、そのそばに古い砂糖ボイラーと、二人のアルジェリア歩兵の骸骨がころがっていました。…死んだフランス兵が両側にそれぞれ六列も並べられている上に、さらに敷板の下にまでぎっしり敷きつめられている……、遺骸はこちこちに凍って血の滴りはすでに止まり、軋みが始まっていました」(130頁)

銃後の世界で暮らす愛しい女性。その乳癌による死を悟るように、男が塹壕に見る幻。護る者を失った彼に、この世の地獄での選択肢は一つしかない……。

「アラーの目」 The Eye of Allah

13世紀のロンドン、まだプロテスタント・英国教会のない時代。ローマ・カソリックの修道院で写本の装飾画に精魂を傾けるジョンは、ムーア人=イスラム占領下のスペインで密かに手に入れた「アラーの目」により、それまで誰も見たことのない世界を発見し、自らの装飾本に"悪霊"の姿を描くことに成功する。

修道院の夕食会に集う三人の博士たち(パロディだな)。麻薬の仕業とするローマの権威者、実験と観察の意義を説くオックスフォードの修道士(後に有名なロジャー・ベーコンと明かされる)、厳格な僧院長。披露された装飾本の"悪霊"の姿に対する三者三様の反応。

実は僧院長は知っていた。「今回の出現は、諸君、時宜にかなったものとは言えない。これを表沙汰にすれば、ただいたずらに死を重ね、拷問を増し、さらに分裂を招き、この暗黒の時代にあって、いっそう闇を濃くすることになるだけだ」(194頁)
ジョンの発見した"ミクロの世界"と"新しい生命"も、暖炉の炎で失われる……。

科学上の発見が認められず、カソリックの教義と矛盾があれば"異端"として処刑された時代だ。"聖書に記されたことが真実である"との原理原則が、中世欧州の発展を阻害した。
イスラム教世界も同様だが、"解釈"によって目の前の現実を受容し、中世キリスト教世界よりも科学技術の面で先を行った。現在のイスラム世界こそ原理原則に縛られているようで皮肉に思えるが、やがては近代化の波に洗われ、脱皮するのであろう。

「園丁」 The Gardener
事故死した弟の子供マイケルを叔母として育て上げたヘレン。オクスフォードへの進学の直前、甥は1914年の西部戦線に招集され、非業の死を遂げる。軍当局からの公報、発見された遺体と遺品、墓地の案内。
砲弾製造工場にて「わたしも悲しみの遺族に製造されてゆく」(207頁)と独りごちる。

物語の終盤、苗木を植える園丁に甥の墓地の在処を尋ねるヘレン。甥こそ、実は彼女の実の息子であることを一瞬で見抜く園丁。ここに、"全知全能の彼"の現出と、それまでの彼女の言動が自らをも騙す偽りのものであったことが明かされる。
「嘘にひどく疲れてしまったんだもの…何年も何年も、口に出す言葉はみな注意をして、次にはどんな嘘をつくか、懸命に考えなければならなかったんです」(215頁)
これは前日の半狂乱のスカーズウァース夫人の言葉。振り返れば、実はヘレンの心中告白でもあったことが分かる、巧妙な文章構成だ。

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バベルの図書館27 祈願の御堂
著者:R・キプリング、J・L・ボルヘス(編纂)、土岐恒二、土岐知子(訳)、図書刊行会・1991年10月発行
2011年2月25日読了