East India Company イギリス東インド会社ほど特異さを放ち、また存続した250年の間にその性格を大きく変えた企業は他に存在しない。純粋な商社として出発し、大英帝国政府の代理人として「非キリスト教国への宣戦布告権、講和権」を獲得し、会社独自の軍隊を駆使して現地諸王族の領土を奪い取る。やがて商取引から手を引き、完全な統治機関として存立する。最終的には1857年のインド大反乱の責任を取らされて解散させられるのだが、その史実を概観しただけでも、歴史の面白さに惑溺しそうになる。

もし、17世紀にオランダに競り勝ち、名前の通り(インドネシアを中心とする)"東インド"を基盤に活動していたなら、インドはフランス支配下に置かれ、世界史は大きく変わっていただろうな。(阿片戦争や日英同盟も無かったろうに。)

本書の特徴として"会社の軍隊"に一章が割り当てられている。
イギリス東インド"会社"軍が数億人の人口を有するインドを征服できたのはなぜか。諸勢力の反目につけ込み、あるいは加熱させ、"インド人"としてのナショナリズムは萌芽させずに個別に制覇したのは見事な戦略だ。(幕末日本のイギリス=薩長、フランス=幕府とは異なるが。)
この「インド人現地兵」を最大限活用したシステムは長期に渡る統治を可能にしただけでなく、英国人の指揮下、ビルマ侵攻、アフガン侵攻/防衛、世界大戦時のの中東戦線等、大英帝国最大の兵力供給源となった。、

で、インド兵は何のために戦っているのか。
「兵士の忠誠の対象は直属士官であり、連隊旗であるという。そして連隊の名誉のために戦った」(130頁) キップリングの小説"キム"や"サーヒブの戦争"の老兵の語りは、このことを裏付けているようだ。
ただし「従順な傭兵でも、自分たちの尊厳とアイデンティティーを傷つける不条理な命令は…命を賭けて抵抗した」(132頁)のであり、3度の反乱で示されるように、ヒンドゥーやイスラムの教義に反することのないよう、軍のシステムや命令には注意を払われたことがわかる。
江戸の平和を享受している間、東南アジアと南アジアで熾烈な争いが展開されていたと思うと、感慨深いものがある。手を出さなかったのが幸いしたのか、後の災いになったのか……。

現地人を優遇した穏やかな支配とでも言おうか。現地官僚や士官として赴任する際にはウルドゥー語(ムガル帝国の公用語)だけでなく、赴任先の現地語(パシュトゥー語、パンジャブ語など)のマスターも必須とされた。この大英帝国の、現地社会をそのままに支配のみ行う姿勢が、200年に渡ってインドを支配できた秘訣なのであろう。
(インド独立時の1947年には、高級官僚の半数はインド人だったらしい。)

ひるがえって大日本帝国だ。朝鮮支配に際しては鉄道・道路・港湾・橋梁等のインフラ、医療施設と技術、教育の充実化と高度化などを施し、植民地社会の文明レベル向上への貢献度は大英帝国に引けを取らないはずだ。"現地人"を二等国民扱いした点でも同じ。結局、創始改名等の"同化政策"を強行したことが強い反発を招いた理由の一つであり、帝国の崩壊に少なからず寄与することになったのだろう。

イギリス東インド会社 軍隊・官僚・総督
著者:浜渦哲雄、中央公論新社・2009年12月発行
2011年3月2日読了