「白い夜」
1939年、深夜2時の横浜の裏通り。決闘相手である柿本を刺した直後の北沢は、いきつけのバーで東京から遊びに来た上流風情の男女と遭遇する。
"小皺を隠して白く塗った顔に唇だけなまなましく紅く塗って仮面舞踏会のピエロのやうな顔をした夫人"と北沢の評する有閑マダム、山村満喜子。酔ったもの同士の笑みの挨拶。三十路の放漫な身体の満喜子は、イタリア人を父に持つ北沢の風貌に興味を抱く。
有閑階級にとって遊びが生き甲斐だ。深夜4時に車を呼び、北沢に案内された殺人現場で、悲鳴と友に消え去る男女。満喜子の取り巻き、華族の男、貴族的作家、外交官の息子……。

逮捕を覚悟する北沢。最愛の百合に別れを告げると、一緒に逃げようと誘われ……。
柿沢の死に際、病院での苦悩。柿本に鶴子という娘がいることを知った北沢は信州を訪ねる。
再会した満喜子たちがスキー場で楽しむ間、柿本家を訪ね、そこの貧しさを確認する。自らも生まれ変わる決意を持ち、北沢は親代わりとなる。

北沢の支援に応えることなく、自らの新しい人生を見つけた鶴子。相手が北沢と因縁ある小説家なのが、唯一の救いなのだろう。

最終章は北沢だけでなく、全男性にとって容赦ない。ある意味、女の強さと言おうか、「あの時の情熱はあの時だけのもの」と男を嘲笑うような百合の言動が胸に痛く残った。
ダンディズムの美徳、あるいは代償か。悲しい夢は、夢のままだ。

「レスナー館」
明治の実業家を父に持つ日米混血児のレスナー氏は、風貌は日本人のくせに日本語が苦手で、同じく混血でありながら白人然とした弟と妻に内心、嫉妬を抱く。

病気療養のため、ベトナムから上海経由で横浜に戻ると、関東大震災後の地所に立つ古い洋館の=住むことの出来ない自宅に足繁く通う。幼少の思い出がそうさせる。女中上がりの母はいつも泣いていた。太って尊大な父親。
白人の世界にも容れられず、日本の土地にも拠り所のない、中途半端な自分の立場。こころの病を引き起こした遠因とも言える、ハーフの悩む心が描写される。

「愛情」
かつては結婚を意識した女性、素子は清純な乙女だった……。が堕ちるところまで堕ち、それでもあきらめきれずに素子のいる店に通う美術誌記者、瀬木。ある時、素子の新しい相手と思われる男に声を掛けられ……。
形を取りかけた"男の夢"は儚く、簡単に崩れ去るという現実。女は平然として、強い……。

「離合」
1940年代後半か1950年代か。日本を離れて7年になる画家の浦野は、住居のパリを離れて個展の開催されるミラノ、休暇のヴェニスへ赴く。ヴェニスで老紳士と出会い、老人の妻子と1944年に中尊寺で邂逅したことを思い出す。東大理学部から学徒出陣した一人息子は南方で戦死し、妻は病死したと言う。
「私まで死んでしまったら、ふたりを覚えているものがなく、思い出して一緒に生きてやる者もなく……、一日一日を、いきいきと生きることを考え、その力をふたりに分けてやります……」(252頁)
自分以外にも妻子を覚えている人間のいたことに深く感謝する老人。著者は明確にしないが、浦野もまた、故郷の鎌倉に残してきた妻子のことを思ったのだろう。

かつての我が家を「(仕事から帰って)寝るだけの家」と表現した老人。身近な人物の死に直面すると、家族のありがたさ、尊さが身にしみてわかるものだ。僕がそれを思い知ったのは、31歳の秋だった。本書では表題作よりも、この最後の短編が印象深く残った。

ところで、海外の都市で日本人を見かけるようになったは良いが、普段和服を着ることのない若い娘たちが、渡航前に着物を急ごしらえしたあげく、「裾前も合わず帯もゆるんで、寝間着のようにだらしなく見えるのに、こちらが恥ずかしくなって顔を背けて隠れる」(242頁)と浦野に言わせるのが面白い。これは著者の本音なんだろうな。

大佛次郎セレクション
白い夜
著者:大佛次郎、未知谷・2007年9月発行
2011年3月11日読了