アール・ヌーヴォー、エドワーディアン、カタロニア・モデルニスモ、ユーゲントシュティール、ゼツッェション……。19世紀末の西欧で、世界中の文化・文明が蒐集されて花開いた魅惑的な文化運動を、<都市>と世紀末、<現代>と世紀末の座標からアール・ヌーヴォーの第一人者が語る。

・1880年代から1914年頃までをベル・エポックと懐古されるが、それは「生活の中で美術が求められる時代」(p13)でもあった。近代化が進んで機能が優先されたモダーン都市と異なり、装飾の重視されたことがアール・ヌーヴォースタイルの特徴であり、パリ16区等に世紀末文化の残り香が観られる。

・世紀末モダン・パリでは、都市の光と影、大通りと裏町の二つの面が発見された。世界旅行者の行き交うブールヴァール(大通り)と異なり、自由で貧しい芸術家が集うカルティエ=ボヘミアは都市の新たな魅力だ。

・アール・ヌーヴォーの源流は、日本美術からジャワやケルトにいたる、エキゾチックな世界だ。多様な芸術を受け入れることのできたパリの自由な都市空間がアール・ヌーヴォーを開花させた。

・世紀末のアール・ヌーヴォーは女性的ではあったが、それは男性の目を楽しませるためのものであり、本格的に女性が進出するには1920年代を待たねばならなかった。

・カフェは「人間のネットワークのために現代都市がつくりだした装置」(p45)であり、カフェ・コンセール(音楽カフェ)、カフェ・テアトル(演劇カフェ)等が隆盛を誇り、文化的創造性を担った。モンマントルは1900年の万博で観光化が進み、芸術家や革命家はモンパルナスに集うようになった。

・劇場、音楽ホールとは別に、酒場と劇場、ダンスホールを兼ねたキャバレー(現代日本のそれとは異なる)が世紀末のパリに登場し、西欧に拡がった。ベル・エポックの終焉した1920年代でもキャバレーは盛況であり、秘密めいた前衛芸術を含む華やかな場を提供した。バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)やルヴゥ・ネグル(黒人レヴュー)も、大挙押し寄せたアメリカ人観光客と併せ、1920年代のパリを賑わせた。

・ヴィクトリア時代の封建的な精神を遺すイギリスでも、アーツ・アンド・クラフツ運動が登場し、エドワード朝時代には劇場街、デパート、ホテル、レストラン等の新しい時代を象徴する都市文化が華やいだ。

・19世紀に城壁が取り払われて作られたリングシュトラーセ(環状道路)と、周囲の建築物が都市としてのヴィーンを特徴づける。権威的な芸術からの脱却を試みたゼツッェション(分離派)が、ヴィーン世紀末の華であった。
多民族を内包するオーストリア・ハンガリー帝国の末期に、特異点として表出したのが、世紀末ヴィーン文化だと思う。

・エミール・ガレ。ナンシーにこだわる彼にとってジャポニスム、「日本」は漠然とした古い文化ではなく、同時代的で、モダンなものであった。(p131)

その他、べル・エポック時代のポストカードの持つ意味、アメリカの写真雑誌、女性ファッションの変遷、ココ・シャネルの革命、ラファエル前派、ロシア・アヴァンギャルド、アール・ヌーヴォーの終焉とアール・デコの登場などのエッセイが収められている。実に興味深い一冊だった。

これは、世紀末の残照を鑑賞に、パリに行かねばならないな!

世紀末のスタイル アール・ヌーヴォーの時代と都市
著者:海野弘、美術公論社・1993年9月発行
2011年7月27日読了