著者は日経欧州総局編集委員。本書では、2009年以降の世界金融・経済秩序の主導権を巡る各国の攻防・協調の表裏を背景に、今後のグローバル・ガバナンスの将来の考察と、日本の活路に関する提言が行われる。
円高是認論にも一理あるが……長期的には良いとして、すぐ目の前の厳しさに耐えられるのだろうか。

・12年ぶりに政権奪取した米国民主党。リーマンショックは、多国間国際協調主義への変換を否応なしに受け入れさせた。フランス等の強い主張も作用し、新興国を全面的に参画させる新たな政治・経済体制構築の模索が、G8拡大論の発展した"G20首脳会議"を誕生させた。
G20はかつてのG7と新興BRICSを内包することになる。
もともと投資対象を示す経済用語だったBRICS。国家体制の差異は置き、新興国の利益を代表する政治体制へと転換された。南アフリカを含め、先進国の主導してきた世界経済体制への挑戦とも取れる動きを示している。

・当時の日本政府によるIMFへの1,000億ドル融資提案が嚆矢となり、世界金融の安定化がもたらされた。この日本のイニシアチブが、各国から絶大な評価を受けたとは知らなかった。
80年台後半から90年代前半にかけて存在感を示してきた日本。残念ながら日本の貢献は、2008年10月のこの提案と実施が最後となった。……その後の目を覆わんばかりの迷走ぶり! 日本の地位を貶めたルーピー鳩山氏と菅氏は末代まで恥ずかしい記憶と共に語られるな。
当時の中川財務相(故人)はよくやったと思う。今度、夫人が遺志を継いで衆院選に出馬される。影ながら応援したい。

・当面の目的="世界恐慌の回避"を実現したことでG20の有用性が立証されたが、その後の価値観の違いが表出すると、皮肉にも葬り去られたはずのG8の重要性が再認識されるようになる。
それでも、無視できない経済パワーを保有する新興国との協調を探る場としては、G20がベターと言える。価値観の差異、特に通貨問題を抱えた米国と中国の対立をどのように調整するかが今後の課題となる。

・2009年のCOP15の失敗が、米国と中国の軋轢を決定的にした。本書を読むと、チャイナ・デイリー紙の報道を含め、当時の中国政府の対応は「相当にひどいもの」で、"コペンハーゲン・ショック"として語り継がれている。これでは中国が世界のならず者だと思われて当然だろう。(p122)
民主主義資本主義国と根本から異なる「国家資本主義国」=中国は、残念ながら世界経済に欠かせない存在となってしまった。

・IMFのストロスカーン専務理事のスキャンダルはセンセーションを巻き起こし、当人は辞任に追い込まれたが、結局は無罪放免となった。本書によると、最初から筋書きはできていたようで、最終的にはライバルの女性フランス財務相が新理事に就任し、副専務理事に中国出身者が就任することとなった。報道されない裏事情は思いっきり黒いようだ。(p193)

・個人的に衝撃を受けたのは、世界に冠たる帝国を築いたポルトガルから、かつての植民地、アンゴラへ多数の労働者が出稼ぎに出向いている現実だ。南欧の構造不況は、かつての宗主国と植民地の関係をも逆転させる……。
・深刻な財政危機に陥り、デフォルトも取り沙汰されるギリシャ、スペイン、ポルトガルが中国による国債購入を歓迎すれば、イギリスはインドに急接近する。
経済新秩序を巡るパワーゲーム。21世紀の世界は、新興国頼みの経済体制がより露骨になりつつある。

・リーマンショックを乗り越えた各国は新たな危機に直面する。政府債務=ソブリン・リスク。景気刺激策による赤字を抑制するには財政緊縮策への転換が欠かせないが、舵取りは容易ではない。ギリシャ・デフォルト危機、アメリカ国際格下げ等に代表される政府債務への不信感は、世界不況を長引かせる要因となっている。

・なるほど、今後はインド、ブラジルに注目、か。(p230、p232)

・世界統一国家の存在しない世界。「グローバル・ガバナンスとナショナル・ガバナンスをどう連動させていくかは重要な課題だ」(p247)。アジアに限定しても米国主導・中国抜きのTPP、中国主導・米国抜きのASEANプラス3、とシステムは並立する。
「多様な国・地域を抱えるG20に過大な期待を抱くのは禁物だが……G20をうまく活用することは、多極化時代のグローバル・ガバナンスを機能させること」と著者は結論する。(p248)

G20の場では、中国の発言力の前に日本は霞んでしまうのが目に見えている。日本は安保理常任理事国ではないが、ミドルパワーとして多数の加盟国と協議・連携の場を増やし、国連総会で、せめて経済社会理事会でのイニシアチブをとることが望まれる。

The Great Game in 21st Century
G20 先進国・新興国のパワーゲーム
著者:藤井彰夫、日本経済新聞出版社・2011年8月発行
2011年9月16日読了