放浪記を読んだばかりなので、林芙美子の遺した紀行文の抜粋と、彼女の"旅"と"放浪"にまつわる角田光代と橋本由起子のエッセイを収録した本書を手に取った。

・1931年のパリ旅行が芙美子にとっていかに重要であったか、冒頭の角田光代氏のエッセイ≪旅という覚醒≫が明確に示してくれる。
足の裏で旅をする醍醐味! うん、旅は"ひとり旅"に限る。
(観光旅行は複数が楽しいが。特に食事。)

・幼少の九州極貧時代を経て、尾道では恩師に才能を見いだされ、文学の世界を目指す芙美子。初恋相手を追って女学校卒業後に上京するも、待っていたのは破綻の悲しみ。そして男と職の放浪が始まる。
生きることへの執念が極貧と絶望を超越し、経験と才能が幸運をたぐり寄せる。

・流行作家になると"遠い親戚"や"友達"がわらわらと登場する。「仕事のゆきづまりとか云った、そんな生やさしいものではなく、妙に目にみえない色々のわずらわしさ」からの解放を求めて1934年、芙美子は北海道と樺太へ逃避する。
「彼女がひとりで遠い北海道を目指したのは、そうした、追い詰められた自身の気持ちから逃れたかったからでした」(p79)
この心境、僕自身の事情もあって、痛いほど良くわかる……。
ところで、樺太の南半分は日本領だったんだなぁ。豊原(Yuzhno-Sakhalinsk)、大泊(Korsakov)、敷香(Poronaisk)……いまでは気軽に訪問することの叶わない土地なので、先人の紀行文を鑑賞するしかない。

・北京では、小さな泥の家に住む民の貧しさを放置し、巨大な宮殿と豪壮な祭壇造りに注力した歴代支那王朝を非難する。あくまでも下層民の視点を捨てない態度には共感する。僕も2000年7月に旅したマレーシアでは、首都クアラルンプール中枢の近代ビル群の麓にバラック小屋が"住宅街"を成す光景に絶望的な未来を感じた。典型的な途上国の都市の姿とはいえ、辛い思いをしたことを憶えている。当時(若かった)はバラック小屋の住宅街に立ち入ってうろうろしたが、いま思えば迷惑な話だ。

・古里を持たない芙美子だったが、著名人となって下落合の高級住宅街に住まう。300坪の敷地か……。川端康成が葬儀委員長を務めた告別式には近所の住民が多数参列し、関係者を驚かせた。「地元」に死す。48歳の早すぎる急死であったが、最後の"旅立ち"は幸せなものだったに違いない。

林芙美子 女のひとり旅
著者:角田光代、橋本由起子、新潮社・2010年11月発行
2011年10月24日読了