日露戦後に"一等国"として急速に隆起し、アジア・太平洋戦争に突入するまでの日本の推移を、内政および国際関係面から概観する。

第一次世界大戦の結果、世界三大軍事大国に名を連ねた日本だが、その経済的実力はいかほどであったのか。英仏二大帝国はおろか、イタリアやオーストリアと比べても絶望的なほど貧弱であり、やがて敵対する米国、英国に依存しなければ国力を維持できないレベルであったことが、冒頭に数字で示される。
1918年に山県元老が、1921年にワシントン会議全権代表の加藤海軍大将、1939年に有田外務大臣がそれぞれ述べたところでも、生産力の諸列強との圧倒的な格差と、資金・資材・貿易を通じての英米との連携に日本の行く末がかかっていることを政府中枢が認識していたことがわかる。
満州、中国、南洋への分不相応な膨張は米英依存を前提としたものであり、それだけにハル・ノートを突きつけられた政府・軍部による対米英開戦の"自暴自棄"さがわかるというもの。

著者はまた、日本の国家権力構造・政治体制の二面性、すなわち専制主義的側面と立憲主義的側面の特徴と構成要素を取り上げ、双方が時代によって優劣を変遷させたため、日本政治の進路が紆余曲折したことを論じる。
日英同盟から日露同盟への軸足の変更、対中外交のふらつき、ロシア革命の衝撃……。

「政府は作戦に関与できず、大本営は出先軍を統御できぬまま、戦線は拡大した」(p55)
責任の曖昧な所在。憲法上、統帥権と国政権が分離されたことが、軍事と政治の両面から日本国民に悲劇をもたらしたことがうかがえる。

元老、枢密院、貴族院、軍部が力を持つ中で、今日では当たり前となっている民主政治を維持することの貴重さと困難さが伝わってくる。
政党は国民より政党自身を優先する。このことが2012年現在だけでなく戦前の事例からも明確になる。

全政治政党は解散させられ、大政翼賛会が成立する。ここに至り、日本国民は基本的人権と市民的・政治的自由を剥奪され、総力戦へと動員されることになる。帝國瓦解への第一歩は、政治への関与の浅さから始まったと言える。

1910-30年代の日本 アジア支配への途
【岩波講座 日本通史 第18巻 近代3】所収
著者:江口圭一、岩波書店、1994年7月発行
2012年2月6日読了