山形県の小学校を卒業し、女中奉公のために1930年の東京に躍り出た14歳のタキは、玩具会社の常務夫人となる時子奥様の家に移り住む。

戦前の好景気の波に乗って会社は事業を拡大する。家族が北西の郊外に建てた一戸建ては赤い屋根を持つ和洋折衷の、当時を代表するモダーンな文化住宅だ。
使用人ではあるが、ときに姉妹のように接してくれる奥様と、ぼっちゃんと、再婚した旦那様。慎ましやかな、幸せな日々は楽しく過ぎてゆく。
戦前昭和の、まさにベル・エポック期。
そして、会社の若手デザイナー板倉氏と奥様の秘密がはじまる。

戦争は、美しい日常の裏に隠れている。勝って終わるはずの事変は、いつのまにか、太平洋戦争へとなだれ込んでゆく。

昭和モダンを満喫する一般市民が、最初はゆるやかに、やがては急峻に奈落の底へ投げ落とされるさまが伝わってくる。
人肌伝わる日常と、乾ききった悲劇は、実は密接しているのだ。時代の空気に流されることの恐ろしさ。無関心とまでいかないが、ある程度は世相と距離を保つことの重要さを確認せざるをえない。

「そうだ、小さいブリキの、進駐軍のジープの話をしよう」(p271)
7章まで読者をタキの世界に引き込んでおきながら、最終章でいきなり突き放す。66年後の東京と金沢での物語も切ない。
「気の毒だったのは、大叔母が、一人で泣いているのを見たときだ」(p279)
「僕は、痩せて丸まった背を不器用に撫でた……どうして神様は大叔母に、やすらかな最晩年を与えなかったのだろう」とタキの甥の息子である健史は思う。だが少なくとも「泣きながら亡くなったのではないだろう」(p280)ことが慰めだな。
読者のひとりとして、タキの半生とその心の内を垣間見た側からすれば、その涙の理由も伝わってくるようで、実に切ない。その真の理由はさらに後のエピソードで明かされるのだが。

ああ、小説でもらい泣きしたのは久しぶりだ。

「坂の上の上の庭の金木犀の香り」(p301)
余韻に浸りながら、書店カバーを外し、あらためて本書の美麗な表紙を眺めると……そこには最終章に登場する『小さいおうち』16枚目の内容が現れ、もう一度感動させてくれるという仕掛けだ。ありがとう!

小さいおうち
著者:中島京子、文藝春秋・2010年5月発行
2012年3月14日読了