近代日本文学の秀でた独立峰とされる夏目漱石の漢詩を、作家の古井由吉氏が解説する。
原文だとさっぱりだが、日本語に読み下され、さらに丁寧な解説が付くおかげで、漱石の心情まで理解できた気になった。文学の面白さがここにある。

修善寺での病気療養時代と最晩年の『明暗』執筆時の詩作が中心だが、病床でここまで詠める漱石の教養深さには、驚嘆させられる。

・1910年9月、吐血した1ヶ月後に漱石が読んだ漢詩の一節だ。
『首を九原より回らせば 月 天に在り』(p20)
彼岸参りの夕刻遅く、墓地で周りを見回せば、ふと、天空の月の輝きに気付く。自分の生死に関わりなく、太古からの刻の流れは不変、と意訳した。

・仰向けに寝続け、空しく過ぎ去ってゆく日々に焦燥と安逸を感じる詩は、僕も同じような経験があるのでわかる(ような気がする)。能動的でない自分がそこにいる、そんな感覚。(p23)

・我天を失いし時 併せて愚を失う……の詩は気に入った。(p143)
得ることは失うことと同じであり、すべて"空"になってはじめて得たことになる、か。うん、難しいな。
『空に砕くるは燦爛たる夜光の珠』
心の内の宝が、砕け散りながら、燦爛たる音を立てる。末期を予感する漱石の、まっさらな心情に浮かんだ言葉だろうと思う。

・易経や八卦は、実は見事な自然哲学であり、その実践編。東洋の知恵は無視できない。(p125)

・秦の始皇帝の時代から延々と受け継がれた精神も、東洋文化の魅力の一つだ。
『焚書の灰裏 書は活くるを知り
 無法界中 法は蘇るを解す』(p108)
あるものがそのままにあるのなら、真にそのものになれない、か。考えさせられる逆説だな。

・文とはすなわち、綾、模様、飾りのことであり、秩序ある形を表す。文をもって化する、文をもって民を治める、これすなわち"文化"であり、文治政治か。なるほどな。(p59)

・日本語には和文脈と漢文脈とがあり、後者抜きでは日本語は成り立たないのだが、次第に日本人は漢文脈に疎くなっている。これは日本語にとっての危機だと著者は示す。(p150) 正直、ピンとこないが。
漱石や鴎外が英語、ドイツ語を自在に駆使した背景には、漢文の素養があったことを挙げ、日本人にとって、実は漢文脈こそインターナショナルである、との記述はなんとなくわかる気がする。

「漢文的な知識が、日本人の言語の論理をつなぐ、一つの大事な糸だった」(p161)
漢詩、漢文を知ることは、逆説的に「長い呼吸の文章を話す」(p164)日本語の成り立ちと奥深さの理解を助けるし、世界を深く見ることに繋がるんだな。

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漱石の漢詩を読む
著者:古井由吉、岩波書店・2008年12月発行
2012年3月27日読了