"これからする話を聞いてほしいんだ。"
ホテル"黄金の都プラハ"の給仕見習いとして社会人生活を開始した14歳の少年、ジーチェの立身出世物語。
前半では"熱々のソーセージ"、"ジッパー"、重なって倒れる2台の自転車、セールスマン"ゴムの王様"の持ち込んだ○○人形、<検査室>でくんずほぐれつする老齢の仲買人、等々の下ネタ、面白エピソードが満載だ。

貴族や僧侶、現役大統領の密会に使用される閑散とした"ホテル・チホタ"では、労働の価値を大衆に説く有閑階級の欺瞞と、その金銭感覚を目の当たりにする。少年はカソリック教会のある歴史的取引に立ち会う名誉を得るも、ホテルオーナーの金銭欲の犠牲となり、ここも去ることになるのだが。

プラハの"ホテル・パリ"では理想的な上司=給仕長に出会い、職務に必要な"勘"を日々鋭利にさせる。
300名が列席したエチオピア皇帝歓迎式典では、ホテル前でラクダを殺して丸焼きにし、その腹の中に動物園で調達した二頭の羚羊(レイヨウ)と20羽の七面鳥を詰めた豪快な料理が供せられる。ホテル所有の黄金のナイフとフォークが並べられる中、偶然の所産により、少年が皇帝の給仕に指名される。
報償と勲章は名誉とともに嫉妬をも生む。それも好転し、名誉を回復するまでは良かったのだが……。

中盤より政治的背景が色濃く顕れる。オーストリア・ハンガリー帝国の支配から脱したチェコスロバキアだが、1930年代後半にはドイツによる浸透を受け、民族意識の高揚はドイツ系住民に攻撃の矛先を向ける。女性にも容赦ない嘲笑と暴力が加えられる中、ドイツ娘と親しくなった少年は、敵に通じた売国奴と呼ばれ、ホテル・パリを解雇される。

新しい職場は、ドイツ国境に新設されたナチス肝いりの宿泊施設だ。"新しいヨーロッパを担う高貴なアーリア人を誕生させる"施設での、すべてが科学的に進められる様は異様だが、これも血脈が異常に重視された世相の為せる技か。
プラハで反抗的チェコ人の処刑が行われている間に、主人公とドイツ娘の結婚式が執り行われる。鈎十字の赤い旗が翻り、軍人と親衛隊の見守る中で、"ドイツのための新しい絆"が総統の胸像の前で誓われた。愛によらず、義務と純血と名誉に満たされた新婦の瞳は、ベッドの新郎を失望させるに十分だ。

第二次世界大戦の終焉は、チェコからドイツ人を一掃した。殺戮されたユダヤ人の遺産を悪用し、念願のホテル所有者として富裕層に成り上がる主人公。だが1948年の共産化の波は、強制収容所へと彼を運ぶことになる。

後半は無産階級=労働者となった主人公が、道路工事夫として満ち足りた人生を送る様子を描く。
中盤までのドラマティックな展開から一転し、静かな山村での魂の充足が語られる。
追想することと考えること、わたしの人生の証言。(p223)

出来事を一気に述べ立てる文体と、さりげなく散りばめられたエトス。日々の出来事に生と死を見つめる目は、オーストリア、ドイツ、ソビエトといった大国に翻弄されてきた国民に特有の冷徹な精神によるものだろう。懸命な、それでもユーモアを失わずにいる彼らの平常心は、安穏な日々に浸るわれらの精神を叩き起こすのに十分であるといえよう。

OBSLUHOVAL JSEM ANGLICKEHO KRALE
わたしは英国王に給仕した
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅲ-01所収
著者:Bohumil Hrabal、阿部賢一(訳)、河出書房新社・2010年10月発行
2012年4月5日読了