本書は、
・アメリカライズされる社会文化、大衆消費社会
・社会格差の拡大と是正の試み
・大衆民主主義の屈折した発展と挫折
の三つの論点を軸に、戦前昭和の時代と人々の姿を活写し、現代日本社会への考察が加えられる。

・政党とその卓越した個人間の熟成した議論を重ねて物事を決めるのではなく、"スマートな印象"を持つ時代のカリスマに運命を委ねることといい、ハリウッドの影響力、20倍もの年収格差、社会改革をあきらめて"自分たちの趣味世界"に没入する時代思潮、ニート=高等遊民やインテリ失業群、世界=アメリカとの短視観。なるほど、現代と変わらない。
そして「他人まかせの民主主義」は、現在もなお続く。

・昭和モダンを飾る"モダンガール"や、時代がかった"プロレタリヤ"、それに「大学は出たけれど」と東京帝國大学卒業生が嘆く、昭和恐慌の生々しい姿が目前に蘇る。

・1930年のロンドン軍縮会議が"平和と民主主義の頂点"(p113)であり、以降、ナンセンスな二大政党制を大衆は見限り、昭和デモクラシーは日本主義へと変化(へんげ)する。そのきっかけこそ満州事変であり、国家社会主義のへの道のりとなった。
国民再統合の最終的手段、すなわち戦争へとながれこむ経緯の恐ろしさは、現代こそ忘れてはならない重要事だろう。

・ヒットラーに仮装した近衛文麿の写真が掲載されている(p222)。なんと形容して良いのか。大衆迎合の極み、元カリスマ政治屋の末路、理想の雲散霧消した哀しき残滓……。そうか、「吐き気をもよおす光景」か!
あとは軍部の恣ホシイママ。
余談だが、最近も近衛文麿と同じく、国会(議会)をスルーして直接、大衆に語りかける政治家の姿を見たような気がする。ニコニコ動画……だな。国民の生活が第一、って当たり前のことだろう。

・重慶を陥落させても終わらない日中戦争の泥沼化。一方で、われわれが想像する以上に世間は楽観的だったことがわかる。エプロン(割烹着)と"もんぺ"スタイルが推奨され、国防婦人会の活動が最盛期を迎えた時でさえ、洒落たファッションに身を包み、銀座を闊歩する若い女性の華やかさは、2012年の光景となんら変わらない。
ただし、ラジオをはじめ、マスコミは完全に政府の統制下におかれていた。日中戦争での戦死者リストの公表は"自粛"され、英雄美談が協調されたことは、なるほど、わかる。
それでも、太平洋戦争前の1939年においてさえ、日米友好を示すニュースが大々的に報じられ、外交・内政・経済上の困難な局面もやがては解決されるだろうとの甘美な期待すら感じられた。
突如として「鬼畜米英」なる言葉が氾濫するのは、1941年のことだ。
どこで間違えたのだろうか。

われらの祖父の世代、すなわち大正期を経て伝統文化と近代文明の混淆した社会を生きた日本人の精神は、1940年代の一時期を除いて、まさに現代を生きるわれわれに継承されている。これが本書の結論だと思う。

戦前昭和の社会 1926-1945
著者:井上寿一、講談社・2011年3月発行
2012年8月9日読了