ホテルを文化誌の一側面、博物誌的に捉える試み(p15)がなされ、人間味あふれる魅力的な一冊となっている。
従業員の語る著名人の意外な振るまい、一流ホテルの流儀が文学作品にもたらした影響、1920年代の旅行ブームが後押ししたグランド・ホテル、パレス・ホテルの建設ブーム、文明開化を経て西欧と同時代的な発展を遂げた戦前日本の高級ホテル業界、などなど。

・ロンドンのランガム・ホテルに刺激されたナポレオン三世がパリに建設したのがグランド・ホテル。ユージェニー皇妃が列席した1862年の開業式は、さぞや華やかだったんだろうなぁ。

・ホテルは総合芸術の場でもある。ロビーの美術品、室内装飾、食の彩り、庭園、そして音楽。なるほど、この環境が芸術にインスピレーションを与えることも肯ける。(p112)

・意外にも、身近で廉価なビジネスホテルの話題も取り上げられる(p50)。隣の宿泊客の話し声が聞こえる。酒杯片手に友人と会話に興じたり、あるいは家族への電話であったり。それはささやかな、でも大切なひとつの物語だ。
私事だが、父は平成11年に亡くなる前年、それまでの通関関係業務から、損害保険会社代理店業務に従事した。まったく異なる慣れない仕事。出張先のビジネスホテルから母に電話をかけてきて、思わぬ弱音をつぶやいた。電話回線のターミナルとターミナルの繋がりだけが当時の父を支えたのだと、いま「家族の声」の尊さを思う。

・2010年の3月にロンドンのウォルドーフ・ホテルに5泊した。最盛期の大英帝国の残り香を感じさせるゴージャスな造りには、特にダイニング・ルームには、よく見る戦後のシティ・ホテルとの差異が見て取れた。今となっては恥ずかしいが、19世紀ロンドンを意識した古くさいオーバージャケットとハンチング帽スタイルで高級ダイニングルームに、それもディナータイムに足を踏み入れた僕は、いかにも上流な老婦人に「ワーカーズ・スタイル」とバカにされてしまった。悔しい思いと、次に宿泊する際はドレスアップすることを決意したことを覚えている。

・神戸オリエンタルホテルに1889年に滞在したキップリングや、1922年のアインシュタイン、1932年のチャップリン等、戦前日本のホテルに宿泊した著名外国人に関する逸話も興味深く読めた。(p210)

東京ステーションホテルのリニューアルオープンが楽しみになってきたぞ。

ホテル博物誌
著者:富田昭次、青弓社・2012年4月発行
2012年8月2日読了